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第7話 私、バイトを始めました!

4 ラグラスさんの安否をめぐり……

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 ポピーさんが去り、十分ほどが経過した。その間、重苦しい空気と沈黙が続いている。
 遠慮がちにラグラスさんをちら見してみた。ラグラスさんの表情は完全に死んでおり、全身から負のオーラが漂いまくっている。生気のない瞳で遠くを見つめるその姿は、まるで生ける屍のようだ。

 ちょっと! 初日から超気まずい空気になっちゃったよ! ラグラスさんのこの死んだ顔は、完全に元カノに未練がある証拠だよね!? 『お互い納得した上で別れた』とかなんとか言ってたけど実は違うでしょ!? ひょっとすると、ラグラスさんは一方的に振られたんじゃないの!? だって元カノが既に過去の人になってるなら、その人が結婚するって知っても、ここまでヘコんで負のオーラを爆発させたりしないもん、絶対!

 どうしよう!? ここは何か声をかけた方がいいのかな? でも下手に声をかけて、余計雰囲気が悪くなったら大変だし……。ああ、こういう時にお客さんが来ればなぁ。そうすりゃ、多少はこの重苦しい雰囲気もどうにかなるかもしんないのに……。っていうか、既に帰りたくなってきた……。

「……ユウコちゃん」

 覇気のない声でラグラスさんが声をかけてきた。

「は、はいぃ! なんですかっ?」

 動揺して声が思わず上擦る。

「接客の方、一人でも大丈夫みたいだし……、しばらく店番頼むよ。俺、倉庫で商品の整理とかしてくるから……」

 ラグラスさんは死んだ表情のまま、のろのろと倉庫と思われる部屋へ入ってしまった。

 たった一回接客しただけで何が大丈夫と判断されたのかわからないけど、今は一人で店番をした方が精神的に楽だ。
 あの重苦し~い気まずい雰囲気から逃れることができ、ほっと安堵した。
 それからしばらく、一人で店に立っていたが特に問題は起きなかった。
 捌ききれないほど客が来るわけでもないし、来る客は皆愛想のいい常連客ばかりだからだ。

 ラグラスさんのことは気になるが、私は楽しく仕事に励んでいた。
 そうこうしてる内にお昼になった。
 昼休みとかはどうなってるんだろう、と考えていると、来客を告げるベルが鳴り響いた。

「いらっしゃいま……ゲッ!」

 またもアレックスが現れた。

「なんだ、もう一人で店番を任されているのか? あの店主も存外早計な判断を下すものだな。そんなに店の評判を失墜させたいのだろうか」

 アレックスの毒舌が炸裂する。こいつの口からは悪態しか出てこないの!?

「それどういう意味!? 聞き捨てならないんだけどっ! 一体何しに来たの? もしかして私の働きぶりをチェックしに来たとか!? うわ~、超陰険~」

「そんな暇なことするか。私はただ煙草を買いに来ただけだ」

 アレックスは小馬鹿にした態度で、しれっと言った。

「煙草って……朝買ったばかりじゃんか」

「今朝買ったものはもう無くなった。最近の学院は、素行の悪い連中が多くてな。そのせいでストレスが普段の倍になり、喫煙量が増えてしまうのだ」

「はっ! 臨時講師のくせに何言ってんだか……。あと普段もストレス溜まってます、みたいな言い方してるけど、そんなの無縁でしょ? あんた、基本やりたい放題の超自由人じゃん。で、いくついるの?」

「自由人はお前だ。一緒にするな。二つもらおう」

「二つね。八百ディルだよ」

 悪態の応酬を交えつつ、煙草の棚を開けた。
 千ディル札で支払われたので、お釣りの二百ディルとheaven&hellとかいう銘柄の煙草を二つ渡す。

「ほう……なかなか客捌きの手際がいいではないか。正直、もっともたついたものだと思っていた」

「何それ? 誉めてるつもり?」

「そのつもりだ。最大の賛辞だろう?」

 尊大な物言いのアレックスを、無言で軽く睨みつけてやった。

「ところでユウコ。お前が店番をしているということは、店主は不在なのか?」

「ラグラスさんなら倉庫で商品整理してるよ」

「すまんが呼んできてくれないか。少々話があるのでな」

「えっ? あ、いや……今日は止めた方がいいかもよ……」

「? なぜだ?」

「ん……実はね……」

 こういう話を気安くしていいものかと思ったが、私は簡単に事の次第を説明した。どうせはぐらかしても、こいつは絶対に引き下がらないと思うし。

「なるほどな……。ならば、尚のこと様子を見に行った方がいいぞ」

「なんでよ? あんた、私の話ちゃんと聞いてた? 今はそっとしといた方がいいって。とにかくヘコみっぷりがハンパじゃないし、とても声なんかかけられる雰囲気じゃないんだから」

「わからないか? 店主、今頃失恋を苦に、倉庫内で自殺しているかもしれんぞ」

 アレックスが無表情に淡々と、核兵器級の爆弾発言を投下した。

「えええっ!? じっ、じっ、自殺とかって、いくら何でもそれはないでしょ……! ちょっと、いきなり縁起でもないコト言い出さないでよッ!」

「わからんぞ。失恋の痛手は人生における悲しみの中でも、常に上位に君臨しているからな。あの店主、女に全く縁があるようには見えんから、ようやくの思いで得た恋人だったのだろう。その恋人が自分の元を去り、他の男の妻になると知ってしまったのだ。それが死に値す悲しみをもたらしたとしたら……。彼の落胆振りは異常だったのだろう? ならば、そういう可能性も全くないとは言い切れないと思うのだが?」

 アレックスは淡々長々と自分の推論を語った。
 うっ……、そんな話を聞いちゃったら、そういう可能性もあるかも、とか思っちゃうじゃんか……。

 確かにあのヘコみ方は、ちょっとばかしヤバかったもんね。っていうかこいつ、ラグラスさんに対して何気に失礼なこと言ったよね? 女に全く縁がないとかって。

 う~ん、これは一度様子を見に行った方がいいかも……? でも“冷たくなったラグラスさんを発見!”ってことになったら……。……うわッ! 考えただけで怖いッ!
 アレックスの語った“ラグラスさん自殺説”に怯み、その場から動けないでいると、

「呆けていないで、早く様子を見に行ったらどうだ?」

 怖じ気付く私に対し、アレックスは無情の一言で急かしてきた。

「うっ、うっさいな! あんたがヘンなこと言い出したから、余計に行きづらくなってんだよ!」

「言っておくが、今ここで様子を見に行くことを先延ばしにしてもなんの意味もないぞ。どうせお前が後日、店主の亡骸を発見する羽目になるんだ。それも夏の気候によって腐敗しきった、思わず目を背けたくなるような腐乱死体としてな。そういう強烈な変死体を発見してみろ。消えがたいトラウマを刻みつけることになり、もう二度と安眠することなどできなくなるぞ。いや、最悪の場合、発狂して廃人になるかもしれんな」

 アレックスは涼しげな無表情顔で、死刑宣告と同レベルの恐ろしい忠告をしてきた。

「ちょっとッ! 何その最悪必至の救いが全くない鬱展開!? “腐乱死体発見!”って、グロいこと言って脅かさないでよっ! 大体なんで第一発見者が私限定なワケ!?」

「店主の両親は既に他界し、他に身寄りもいないそうだからな。そしてお前はこの四つ葉堂のたった一人の従業員だ。ゆえに、第一発見者になるのは自然な流れだろう?」

 アレックスはしれっと言った。

「なっ、何それ!? 意味わかんない……」

「さあ、早く様子を見に行け。今ならせいぜい首を吊った店主の亡骸を発見する程度のことで済むんだ。まあ、それでも多少のトラウマを背負うことになるかもしれんが、蛆にまみれた腐乱死体を発見するよりは遙かにましだろう」

 アレックスは再び私を絶望の淵に立たせる発言を炸裂させた。ってか、こいつの言い分も意味わかんないっ! 何? こいつの頭ん中じゃ

死体発見時のトラウマ度の高さ=腐乱死体>首吊り死体

とかいう公式でも成立してんの!?

「止めてよ、バカッ! 大体なんでラグラスさん既に死んでることになってんの!? あんた、あの人に恨みでもあるワケ!? あ、わかった! あの人、ちょっとクリンちゃんに気があるもんだから『この機会に、死んでくれてたら都合がいい』とかなんとか、ドス黒い願望が現れてんでしょ!?」

「そんなわけないだろう。何を的外れな勘違いをしているんだ。誰がクリムベールに想いを寄せようが、私の知ったことではない。それがわかったら早く行け。夏という気候と倉庫という程よく閉鎖された空間の条件が重なれば、腐敗が驚くほど早く進むことになるんだからな。それともお前は、有り余る好奇心に任せ、敢えて腐乱死体を拝もうとしているのか?」

 アレックスの度重なるグロ発言に、とうとう私はキレた。

「腐乱死体腐乱死体うるせーよ! そんなん見たいワケねーだろ、コラ! もう最悪ッ! ここまで私に恐怖心植え付けたんだから、罪滅ぼしと思って、あんたも一緒に倉庫に来てよねっ!」

 アレックスに掴みかかり一気にまくし立てた。

「仕方ないな、いいだろう。まったく、生意気なくせに小心者だな」

 アレックスはやれやれといった感じに毒づいた。そんなアレックスを無言で睨みつける。

「そう睨むな。では行くぞ。ああ、その前に言っておく。首を吊った亡骸も初めて見る者には、かなり凄惨なものだから覚悟しておけ。参考までに説明すると、首が引き伸びて異常なほど長くなり、眼窩からは眼球が半分以上飛び出し、舌はこれほど長かったのかと思うくらい伸びきって垂れ下がり……」

「具体的に説明すんな! だ・か・ら! なんでラグラスさん死んでることにしちゃってるの!? 決めつけるのは早過ぎるでしょ!? お願いだから、もうこれ以上グロいことや不吉なこと言わないでくれる!? そういうことばかり言うから、あんた“死神”みたいって後ろ指さされんだよ!」

 アレックスの体を盛大に揺さぶりながら、またもまくし立てた。

「人の親切がわからん奴だな。予備知識もなく縊死体いしたいを前にして、腰を抜かしても知らんぞ」

 アレックスは一頻り毒づくと、倉庫のドアに手をかけた。
 どうもこいつはラグラスさんに死んでいて欲しいような気がしてならない。
 アレックスの背後に隠れるようにして、その後に続く。
 ラグラスさーん、お願い、ちゃんと生きててね……!
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