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 私――アイシャ・ヴェルライトは【聖女】だ。

 年齢は十七歳。

 容姿は長い金髪に青い瞳。

 ……地味な容姿だと、ときどき言われる。

 他者にはない【異能】を授かった特殊能力者であり、国は【聖女】を神が地上に遣わした神意の代行者として称え、数々の特権を与えてくれる。

 というのが建前だけれど、実際のところは【異能】を使って毎日毎日、ひたすら仕事仕事仕事……あんまり楽な生活ではない。

 というか、激務だ。

 ここラクーナ王国の聖女として生きる私は、毎日のスケジュールが儀式や公務、異能の行使による重傷者や重病者の治癒――私が持っている【異能】は【治癒】なのだ――で埋め尽くされている。

 充実した毎日といえば聞こえはいいけど、やっぱり休みが欲しい。

 それに加えて、最近は私を憂鬱にさせる出来事があり、ますます休みがほしい今日この頃だった。。

「はあ、あの噂は本当なのかな……」

 その日の仕事を終え、自宅に戻るための馬車に揺られながら、私は深いため息をついた。

 私の婚約者であるヴァレンタイン・ラクーナ第二王子殿下。

 一年前に婚約して以来、結婚の準備が緩やかに進んでいるんだけど――。

 最近、そのヴァレンタイン様がとある貴族令嬢と逢瀬を重ねているという噂があった。

 実際問題、この婚約は完全に政治的な理由で決まったものだ。

 別に、私とヴァレンタイン様が燃えるような大恋愛をした末のものではない。

 そもそも私たちの間に恋愛感情じみたものは微塵もなかった。

 ヴァレンタイン様はこの一年の間に、私と会ってくれたことは数回のみ。

 それも一時間や二時間程度、軽く食事をして、互いの近況報告をして終わり。

 恋人同士のような会話なんて皆無だし、なんなら手を握ったことすらなかった。

 まあ、政略結婚にそんなものを求めてはいけないと分かっているけど、私にだって恋に憧れる気持ちくらいはあるわけで――。

 もし、この世界のどこかに燃えるような恋をできる相手が――運命の相手がいるなら会ってみたい、と妄想したことは一度や二度ではない。

 とはいえ、それは所詮夢物語。

 現実の私は決められた婚約を……そしてその先にある結婚に向かって生きていくしかない。

 私は自分にそう言い聞かせて、恋に恋する気持ちを頑張って封印してきた。

 ヴァレンタイン様との婚約に自分なりに向き合ってきたつもりだ。

 なのに――その婚約があっさり壊れてしまうかもしれない。

「あー……モヤモヤする」

 沈んだ気分を少しでも上げようと、私は庭に出た。

 夜空には一面の星が瞬いている。

 聖女の【異能】は星から授かったものだと言われている。

 私が星からもらった異能は【癒し】は、文字通り他者を癒やす力。

 傷を治し、病気を治す。

 その力でもって、私は多くの人間を救ってきた。

 多くの人間に称えられ、王子の伴侶となり、女としての幸せをこれからまさにつかもうとしている――。

 その幸せが足元から崩れるかもしれないと思うと、星を見ても気分が晴れない。

 私の未来はどうなるんだろう?

 聖女でも、自分の未来を見ることはできない。

 自分の心を癒やすことはできない。



「アイシャ……」



 ふいに、呼ぶ声がした。

 気が付けば私は空にいた。

 周囲に星が輝いている。

 あれ? さっきまで馬車の中にいたはずなのに。

 しかも私は飛行魔法なんて使えない。

 これは夢……?

「アイシャ、共に星の道を歩んでいこう。伴侶として――」

 誰かが語りかけてくる。

 スラリとした青年。

「ヴァレンタイン様……?」

 私は婚約者の名を呼んだ。

 顔がうっすらとしか見えない。

 たぶん、ヴァレンタイン様だと思うんだけど――。

 が、その顔が大きく揺らぎ、また別の顔が見えた。

 今度は見たことのない青年だ。

 とはいえ、ぼんやりとしていて鮮明には見えない。

「誰……?」



 私の、運命の相手……?



 本能的にそう確信できた。

 ただ、肝心のその顔が見えない。

「一体、誰なの……?」

 胸の鼓動が高鳴っていくのが分かる。

 こんなの高揚感は、ヴァレンタイン様相手には感じたことがない。

 甘い胸のときめきを――。



 その日は王宮で舞踏会が催された。

 ヴァレンタイン様も当然出席されているし、私も呼ばれた。

 その席で、私はヴァレンタイン様から一人の青年を紹介された。

「レオル王国の第三王子ユリウス・レオルと申します、聖女様」

 一礼した彼は銀髪碧眼の美しい青年だった。

 澄み渡った光をたたえた瞳は、まさしく夜空で瞬く星のよう――。

 なんて、これは聖女らしい感想だろうか。

「アイシャ・ヴェルライトと申します、殿下」
「ユリウスとお呼びください」

 ユリウス様が微笑んだ。

 同じ『王子様』でも、苛烈な性格のヴァレンタイン様とは違う、物腰柔らかで優しげな方だ。

「では、私のこともアイシャと」

 会釈を返す私。

「言っておくが、俺の婚約者だからな。手を出すなよ、ユリウス」
「はは、分かっているよ。これほど美しい聖女様と婚約できるなんて、君は幸せ者だ」
「――ふん」

 ユリウス様の言葉に、ヴァレンタイン様は小さく鼻を鳴らした。

 まるで私のことを侮蔑するように。

 おおかた、『こんな地味な女は俺にはふさわしくない』とでも言いたいのだろう。

 実際、面と向かって似たようなセリフを言われたことはある。

 ……そのときは笑顔で受け流したけど、ひそかに傷ついていたりする。

「俺は参加者へのあいさつで忙しい。悪いが、そいつの相手をしてくれるか、ユリウス」
「大変だね、ヴァレンタイン」
「俺は人気者だからな。言ってくる」

 あいかわらずの自信家だった。

 ヴァレンタイン様は颯爽と去っていき、その場には私とユリウス様が遺された。

「婚約者様ではなくて申し訳ありませんか、しばらくの間、俺がお相手させていただきますね、アイシャ様」
「光栄です、ユリウス様」

 正直、ヴァレンタイン様と話すのは圧迫感があって苦手だった。

 ユリウス様は初対面だけど、全然そんな感じがしなくて、こうして向かい合っているだけで安心感がこみ上げる。

 ヴァレンタイン様もこういう態度で接してくれたらなぁ……。

 そう思った瞬間、私はハッと気づいた。

「えっ、ユリウス様って――」

 昨日見た幻影の青年の顔と、目の前の美しい青年の顔が一つに重なっていく。

 まさか。
 運命の相手だと直感した、あのシルエットは――。

「? どうかなさいましたか、アイシャ様」
「い、いえ、その……失礼いたしました」

 あなたはもしや、私の運命の相手では?

 ――なんて初対面の相手に聞けるわけがない。

 とはいえ、その可能性を意識すると、とたんにドキドキしてきた。

「実は、俺は星の研究をしているんですよ」

 ユリウス様がそう切り出した。

「えっ」
「夜空の星々の運行や、それに付随する魔力の流れ――星を見れば、世界の運命や魔術の真理すら解き明かすことができる。まさしく万物の源だ」

 そう語るユリウス様は、今までの大人びた雰囲気が薄れ、まるで情熱的な少年のようだった。

「……っと、申し訳ありません。つい語ってしまいました」

 ユリウス様は苦笑した。

「憧れの聖女様に出会うことができて、舞い上がっているようです。ご容赦を」
「私が、憧れ……?」
「聖女とは星から力を授かった者なのでしょう。星の探求者として、俺はぜひあなたにお会いしたいと思っていました。何年も前からね」

 ユリウス様が私を見つめた。

 星の光のごとき瞳で。

「では、もう少し星について語りましょうか」

 私は笑顔でそう誘った。

「ええ、ぜひ」

 ユリウス様が嬉しそうに笑う。

 すでに初対面という感覚はなくなっていた。

 まるで旧知の友のように、私たちは会話を弾ませ始めた――。



「この間、新しい星を見つけたんです。今日の夜にでも一緒に見ませんか?」
「わあ、楽しみです!」

 私はユリウス様――いえ、ユリウスと定期的に会っていた。

 星の研究のためであり、いちおうヴァレンタイン様には許可を取っている。

 そのヴァレンタイン様は、方々で遊び回っているという噂が聞こえていた。

 どうやらご執心の貴族令嬢がいるらしい。

 だから、私がユリウスと会うことに興味なんてないんだろう。

 もしかしたら、本当に近々婚約を破棄されてしまうかもしれない――。

 そんな想像をしても、以前のような不安さがなくなっていた。

「どうかしましたか、アイシャ?」

 ここ数か月のうちに、彼の私への呼び名から『様』が取れていた。

 私の方から頼んだのだ。

 交換条件として、彼も自分のことを『ユリウス』と呼ぶように、ということで、私たちは二人で会うときは、お互いに『様』をつけずに呼び合っている。

 たった一文字のことなんだけど、それが二人の距離感の縮まりを示しているようで、どうしようもなく喜びを感じている自分がいた。

 というか、敬語もやめて普通に話してくれてもいいんだけどな……。

「ユリウス、あの……私には敬語じゃなくてもいいんですよ?」
「いや、あなたは聖女様ですし、それになんとなく照れくさいというか」
「あ、それは分かります」
「呼び名から『様』を取るのも、実を言うとかなり照れています」
「ふふ、私もですよ」

 私たちは微笑を交わし合う。

 他愛のないこんな会話の一つ一つに、私は幸せを感じていた。

 幼いころに聖女としての【異能】を発現し、それ以来十年以上の間、聖女として生きてきた。

 プライベートな時間をすべて犠牲にして、己に与えられた役割をこなし続ける毎日だった。

 充実していても、やっぱり空虚さもそこにはあって。

 聖女じゃない、一人の女の子としての自分を大切にしたくても、そんなことは一切許されなくて。

 だからこそユリウスと過ごす時間は、これまでずっと憧れながらも、叶わなかった夢の結晶のような気がしていた。

 願わくば――。

 彼と過ごせる時間が、少しでも長く続きますように。

 私はいつしか、そう願うようになっていた。

「こんな時間がずっと続けばいいのに……最近は特にそう思います」

 まるで私の心を読んだかのように、ユリウスがつぶやいた。

「えっ」
「俺には第三王子としての公務があります。こういった時間を作るのも一苦労で……しかも、長くは過ごせない」

 言って、ユリウスは苦笑した。

「いや、あなたの方こそ多忙を極める聖女ですよね。俺がこんなことを言うのは申し訳ない」
「い、いえ! お気持ちはすごくわかります。私も、もっと星の探求というか、ただ何も考えずに夜空の星を見つめていたい、って思う時があります」
「俺もですよ。王子としてではなく、一人の人間として――ただ趣味や夢に没頭したい気持ちもある。けれど、それは立場が許さない」
「そして、その立場を放棄することはできない……責任がありますものね。私も、あなたも」
「その通りですよ」

 言って、ユリウスは小さく笑った。

「こんな話、誰にもできません。共感してくれるのは、あなただけかもしれない」
「私も、こういう話をしたのはユリウスが初めてです」

 私は微笑んだ。

「……ヴァレンタインとは?」
「えっ」
「婚約者でしょう? そういう話はしないんですか?」

 たずねるユリウスの瞳は、さっきまでよりも鋭さが増しているように思えた。

「……っ! い、いえ、すみません。俺に、あなたたちのことをどうこういう資格なんてないのに」
「ユリウス……?」
「嫉妬など……俺は……」

 苦い顔で首を左右に振る彼を、私は驚いて見つめた。

 嫉妬? まさか、私とヴァレンタイン様のことを?

 いえ、まさか――ね。

    ※

 ――最近、アイシャの様子がおかしい。

 ヴァレンタイン・ラクーナは周囲からそんな話を聞き、苦い気持ちでいた。

「あの野暮ったい女が、まさかユリウスと――」

 星の探求をするためにユリウスと共同で星々の観察をしたい、と申し出があったのは、つい一か月ほど前のこと。

 相手がユリウスなら、とヴァレンタインは二つ返事で了承した。

 彼のことは昔からよく知っている。

 友の婚約者に手を出すような男ではないし、そもそもアイシャのような凡庸で地味な女を相手にはしないだろう。

 そう、アイシャは【聖女】という特別な出自こそあるものの、『それだけ』の女である。

 ヴァレンタインが女性に対して求める華やかさや色香とは無縁だった。

 なぜ、俺がこんな女と結婚しなければならない――。

 婚約が決まった当初から不満ばかりだった。

 一年前に婚約が決まってから、未だに手すら握っていないのも、触れる気にもならないからだ。

 そんな苛立ちをぶつけるように、ヴァレンタインは女遊びにのめり込んだ。

 忙しい公務の合間を縫い、王都のめぼしい美女と浮名を流し、あるいは地方に出向いたときには、その地方で評判の美女と一夜を共にした。

 自分はアイシャに対して不義を働いている。

 そのことに対する罪悪感はなかった。

 ただ、アイシャの側が自分以外の男に惹かれているとしたら――絶対に看過できない。

 他者から見れば自分勝手な考えだとしても、関係ない。

「俺を舐めるなよ、アイシャ――」

 ヴァレンタインは激しい情念を燃やし始めた。

    ※

「できた――新しい術式!」

 さらに三か月が経ち、私はその日、大きな発見を成し遂げていた。

 聖女の力が星に由来することは先に述べた通り。

 そして、星の運行を読み取ることで、聖女は独自の魔法を使うことができる。

 その魔法の新たな術式の開発に成功したのだ。

 名付けて――【広範囲治癒】。

 従来なら一人ずつにしかかけられなかった聖女の【癒し】を、一定の範囲内にいる人間全員にかけることができる。

 現状だと、せいぜい五メートル四方くらいの範囲だから、数人にかけるのが限度だけど、それでも効率は数倍だ。

 さらに、この術式にはまだまだ発展の余地があった。

「全部あなたのおかげです、ユリウス」
「俺は何もしていませんよ、アイシャ。あなたの努力のたまものです」

 ユリウスが微笑んだ。

「心から敬意を表します、アイシャ」

 その場に跪き、ユリウスは私の手を取って口づけした。

「や、やだな、かしこまって……照れてしまいます」
「俺はこれからも、あなたとともに星を探求していきたい」

 ユリウスは跪いたまま、私を見上げていた。

「私もです、ユリウス」

 笑顔でうなずく私。
 と、

「ほう? 新たな術式を開発するとは。意外に有能だな、アイシャ」

 やって来たのは、ヴァレンタイン様だった。

「――やあ、ヴァレンタイン」
「なんだ、お前。アイシャなんかに傅いて」

 ヴァレンタイン様が嘲笑を浮かべた。

「俺はただ、彼女の研究の成果に純粋な敬意を表しただけさ」
「敬意、ねぇ」

 ヴァレンタイン様は私をジロリと見た。

「……何か御用ですか、ヴァレンタイン様」
「おいおい、婚約者がお前を訪ねちゃ悪いのか? まるで邪魔をされたくないとでも言いたげな顔じゃないか」

 言いながら、ヴァレンタイン様はいきなり私を抱き寄せた。

「きゃっ……!?」

 そのまま、顎を上向かされた。

「さあ、新しい術式を開発した褒美だ。祝福してやろう」

 ニヤリと笑い、ヴァレンタイン様が顔を近づけてくる。

 キスされる――。

 私と彼は婚約者なのだし、それは自然な行為なのだろう。

 ……実際には、私はヴァレンタイン様からほとんど放置されている状態で、キスもされたことがないんだけど。

 それがどうして今日に限って……!?

 ゆっくりと近づいてくる唇を見つめ、私は反射的に視線を横に向けた。

 ユリウスが呆然とこちらを見ている。

 彼の前で、他の男に唇を奪われてしまう。

「……っ! い、や……ですっ!」

 私は必死で両腕を突っ張り、ヴァレンタイン様を押しのけた。

「……!」

 ヴァレンタイン様は驚いた顔をして私を見つめる。

 その顔がすぐに紅潮し、こわばった。

「貴様……この俺を拒むか!」

 まずい。

 私は全身から血の気が引いていくのが分かった。

 ヴァレンタイン様は苛烈な性格だ。

 そしてプライドが高い。

 私がキスを拒否したことで、彼のプライドは大きく傷つけられただろう。

 殴られる……くらいで済めばいいけど、まさか処刑されたりしないわよね……?

「許さんぞ、アイシャぁ……」

 ヴァレンタイン様が詰め寄ってくる。

 と、その前にユリウスが立ちはだかった。

「その辺りにしておくんだ。いくら婚約者とはいえ、無理強いは駄目だろう」
「貴様、俺に意見するか!」
「俺は彼女を守りたいだけだ」

 ユリウスは一歩も退かずにヴァレンタイン様をにらみつけた。

 うわぁ、頼もしい――。

 私の前に立って、盾になってくれているのが本当にありがたい。

「この……っ!」
「まさか、その剣を抜くつもりか? その場合、俺も抜かざるを得ないが――」

 と、ユリウスは腰の剣に手をかけた。

「悪いが、お前が俺に勝ったことはなかったよな?」

 えっ、ユリウスって強かったの!?

「ぐぐぐぐぐ……」

 ヴァレンタイン様は歯ぎしりをしていた。

 いちおう彼の名誉のために言っておくと、ヴァレンタイン様も剣の腕は達者だ。

 上級騎士との模擬戦で圧勝したのを見たことがある。

 そのヴァレンタイン様がひるむくらいにユリウスは強い、ということ……?

 人は見かけによらないというか、なんというか。

 ともあれ、今はひたすら頼もしい――。



「ちっ、興を削がれた。俺はもう行く」

 しばらくして、ヴァレンタイン様は去っていった。

「はあ……」

 そのとたん体の力が抜けて、私はその場にへたりこんでしまった。

「大丈夫でしたか、アイシャ」

 ユリウスが私の側にしゃがみこむ。

「は、はい、気が張っていたのが一気に抜けた感じです……」

 私は弱々しく言ってから、

「先ほどはありがとうございました。助かりました」

 へたりこんだまま深々と頭を下げる。

「いえ、ただあなたを守りたくて無我夢中だっただけです」

 ユリウスが微笑む。

「あなたがヴァレンタインに無理強いされなくてよかった」
「はい……婚約者といっても、私は彼にキスなんてされたことがなくて……だから驚きました」

 私は事実をそのまま告げた。

「すごく怖かったんです……ヴァレンタイン様の、その……本性を見た気がして」
「……確かに、あいつは苛烈なところがあります。苛烈が過ぎるところが」

 ユリウスの表情が曇る。

「それがあなたに向けられたのは――俺は、正直言って許せなかったんです。守りたかった」
「ユリウス――」

 私は彼に抱き着いた。

 こんなことをしてはいけない、と思いながらも、止められなかった。

「守って下さって、ありがとうございました」
「何度でも守りますよ、アイシャ」

 ユリウスが微笑む。

 その顔がゆっくりと近づいてきた。

「あ……」

 さっきと似たようなシチュエーションだ。

 けれど、まったく違うシチュエーションだ。

 嫌悪感も恐怖感も、欠片も湧いてこない。

 私は静かに目を閉じ、彼がさらに近づいてくるのを待った。

 唇が、静かに重なった。



「お前との婚約を破棄する! 聖女アイシャ・ヴェルライト!」

 それから三日後、私は突然ヴァレンタイン様から婚約破棄を申し付けられた。

「は、はあ……?」
「俺は真実の愛を見つけたのだ。したがって、お前は用済みとなる。婚約破棄を了承してくれるな?」
「えっと……」

 私は唐突な展開に唖然となる。

 正直、ユリウスと想いが通じ合った今、婚約破棄してもらえるのは願ったり叶ったりだ。

 だけど、どうして――。

 そう考えたところで、私はハッと気づく。

 ヴァレンタイン様はプライドが高い。

 ものすごく高い。

 だから、自分の婚約者が他の男と仲良くしているのは嫌だったろうし、私に無理やりキスしようとしてユリウスに止められ、しかも追い返されたのはさらに屈辱だっただろう。

 その屈辱を払拭するために、『自分が聖女を捨てた』という形を取りたいんじゃないだろうか。

 ということは、私がやるべき立ち回りは――、

「婚約破棄? そんな! お願いですから私を捨てないでください!」

 いかにも悲痛な表情で切々と訴えかけてみせる。

「くはははは、残念だったな! お前では俺に不釣り合いだ。まあ、俺に惚れてしまったのは仕方がない。俺が魅力的すぎるからな!」

 いいぞ、その言葉を待っていた。

「そういうわけで、お前はどこへなりと行くがいい。聖女として、せいぜい公務を頑張るんだな」

 言うだけ言って、ヴァレンタイン様は去っていった。

「――よし」

 私は小さくガッツポーズ。

 こうして『捨てられる女』を演じることで、ヴァレンタイン様はウキウキで婚約破棄を進めてくれるだろう。

 そして自由になった私は、

「待っててくださいね、ユリウス」

 晴れて、愛しい人の元へ赴く――。

【おわり】
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