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166.世界の狭間
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『行くってどこに?』
こちらの手をとったグリがふわっと浮かび上がる。驚くことに私もそれに続いて浮遊した。目を見張っている間に天井を透過してあっという間に屋上農園へと出る。そのまま月が輝く夜空へとぐんぐん昇っていった。こちらの問いかけには答えず、死神は質問を質問で返してくる。
「ねぇ、あきら。あきらはこのままルカを助けにいくつもり?」
突然の問いに面食らったものの、グッと拳を握りこんだ私はそれに答える。
『もちろんよ、これ以上仲間を失うわけにはいかないわ』
「俺は反対」
『なっ!?』
何を非情な、と反論する前に、こちらを振り返ったグリは真剣な顔をしてこう告げた。
「ルカを助けに行く前に、君は本当の事を知らなくてはならない」
『本当のこと?』
「知らずに話を進めることもできる。だけどそれはきっとフェアじゃない」
これは俺の罪の告白でもあるけど……と、小さく続けられた言葉に片眉を上げる。どういうことかと尋ねようとしたところで、次の言葉にドキリと鼓動が跳ねた。
「テラへ帰ろう、あきら。見せたいものがある」
テラ。テラって、地球? 私が元いた世界に帰れるの? うそ、ここに来て?
グリはある地点で急に止まった。私は慌ててその腕にしがみつく。うわわ、いつの間にこんな高いところに。城下町を丸ごと見渡せるし、関所遊園地だってシェル・ルサールナ行き停留所の港町だって見える。広大な畑も、自警団の訓練場も、屋外演劇場も……それらの要所をつなぐように街道が張り巡らされ、街灯の魔法のランプが道に沿って夜の道を照らし続けていた。
(こんなに、作ってきたんだなぁ)
感慨にふけっている間にも、グリは帰還の準備を進めていた。再び鎌を召喚して易々と空間を切り裂く。べろんと、まるで布のようにはがれた空間を寄せると虹色が渦を巻く光景が見えてきた。
『あ、なんか見覚えある!』
あれだ、こっちの世界に召喚されたときにクローゼットの中から繋がってた異空間だ。じゃあ本当にここを通れば元の世界に帰れるのかも。手を引かれる感覚がして、私は慌てて引き留めた。
『ちょっと待った。またこっちにも来れるんだよね? 一方通行ってことない?』
「それはまぁ、へいき」
歯切れの悪い回答に若干の不安を抱きつつも、まぁ戻って来られるならいいかと素直に従う。しっかり彼の腰に掴まり直した私は異空間に突入した。すさまじい色の洪水に目がチカチカしてくる。死神様は目的地がわかっているかのようにまっすぐ飛んでいった。
「そもそも、世界をまたいで肉体を持ち越すことは不可能なんだよ」
『え、だって、それじゃあ私はどうやってこっちの世界に?』
めまいがしてくるので目が開けられない。しばらくして返ってきたのはどこか物憂げな声だった。
「……俺は君につらい事ばかり伝えている気がする」
答えになってないと言おうとしたところで、さらにグンッと加速するような重力を感じた。まるでジェットコースターに乗っているみたいな感覚に小さな悲鳴をあげる。
「目を閉じていた方がいいよ。しっかり掴まっていて」
もともと絶叫系は得意じゃないから、そこからの一分間は忘れられないものになった。右に左に急旋回・急上昇・乱降下を繰り返す。そろそろ上下の感覚がなくなってきた頃、ハッと気づくといつの間にか私はしっかりとした地面を踏みしめていた。
「ようこそ、中継地点へ」
異世界転移してからというものの、多少の不思議現象には慣れていたつもりだったけどさすがに目の前の光景には唖然とした。どこかの街中みたいだけど、視界にモノクロフィルターでも掛けたかのように何もかもが白黒なのだ。直線的でシンプルな建物ばかりで、歩いている人は一人もいない。
『ここ、どこ?』
「俺が元々いたところ。死神界というより、世界の狭間の空間って言った方が正しいかな」
なんていうか、陰影がハッキリしすぎて違和感がものすごい。絵画の中に迷い込んでしまったと言えば伝わるだろうか。建築基準法なんてまるで無視した造りで壁の側面から家(?)のような物が横向きに生えていたりする。少なくとも現代日本じゃないことだけは確かだ。
「こっち。はぐれないようにね」
『う、うん』
歩き出すグリの後を小走りで追いかけていく。音もない、風も吹かない、真っ白な空のどこにも太陽らしきものは見当たらない。どこまでも無機質な空間がどこまでも広がっていた。だけど街を抜けると少しだけ変化があった。足元を駆け抜けていく小さな生き物が居たのだ。
『あっ、今のもしかしてニヤニヤ草?』
「マンドラゴルァもあっちにあるよ」
そういえばアキラ芋の原種であるマンドラゴルァはペロによって死神界から持ち込まれたものだっけ。色はやっぱり白黒だけど確かに同じ植物(?)だ。
そんな感じで歩いていると、ある地点を境に森のような場所に突入した。原生林っていうんだろうか、高く伸びた白い木々たちが群生していて、木漏れ日が隙間から差し込んでいた。思わずハッとするような幻想的な風景だ。
『太陽もないのに、木漏れ日はあるんだ』
「この森は心象世界に近いものだからね。現世の理屈は通じないのさ」
つまり誰かの夢の中っていうことなんだろうか。じゃあここに居る私はその誰かさんの夢の中の登場人物? ……んん、やめよう。これ、考え出すとグルグルと怖くなるタイプの考え事だ。
『!』
その時、向こうの並木の合間に赤い何かがよぎったような気がして私は反射的に振り返った。肉体もないのに急に心臓がどくどくと暴れ出した。今の、って。いや、でもまさか
ふらりと、無意識の内に一歩踏み出したところで後ろからグリに肩を捕まれ引き留められる。
「あれは幻影。危ないよ」
『え……、ひっ!』
自分の足元を見て青ざめる。私が進んで行こうとしたまさに数歩先に、落ちたら簡単には上がって来られなそうな深い深い溝があったのだ。おそるおそる覗き込むと下の方でチカチカと白い光が瞬いている。
「気を付けないと、こんなところで還らぬ魂になりたくはないでしょ」
『……ごめんなさい』
反省して、今度は余計なものに気を取られないよう数歩先のグリのかかとだけを見つめて歩くことにする。無言で歩みを進めていると、前方から問いかけられた。
「今のはね、真に会いたいと思ってる人を映し出して惑わせるんだ。ラスプが見えたの?」
言い当てられて胸の辺りをギュっと抑える。否定も肯定もしない代わりに私は自嘲するように口の端を上げた。
『ばかだなぁ……私ね、結局最後までラスプに言えなかったの』
行き場を失ったこの気持ちはどうしたら良いんだろう。捨てるにも隠してしまうにも持て余すくらいの、いつの間にか育ってしまった感情を。
『私も、あなたのことが大好きだって』
グリは何も言わなかった。気づけば、辺りは水に満たされていた。水没してしまった原生林に浮かびながら、私は仰向けになった状態で森の中をたゆたう。こぽりと口から出た泡が空に上っていった。上からの木漏れ日をまぶたの裏で感じながらゆっくりと沈む……沈む……沈む……。
どこか遠くの方で、赤ちゃんが泣いているような声が聞こえた
麦穂同士が擦れ合うような優しい音も聞こえる
波のさざめく音が、誰かの笑い合う楽しそうな声が、
私の一番奥底にある原初の記憶をくすぐるような気がした
***
おかえり、あきら。穏やかな声にまぶたを開けた私は、いつの間にか駅のベンチに腰掛けていた。朝日が射し込むプラットホームは人もまばらで、プォーンと警笛を鳴らしながら快速の上り列車が滑り込んで来る。毎朝通勤に使っていた、私のアパートから一番近い駅だった。
「ようやく君は帰ってきたんだよ」
こちらの手をとったグリがふわっと浮かび上がる。驚くことに私もそれに続いて浮遊した。目を見張っている間に天井を透過してあっという間に屋上農園へと出る。そのまま月が輝く夜空へとぐんぐん昇っていった。こちらの問いかけには答えず、死神は質問を質問で返してくる。
「ねぇ、あきら。あきらはこのままルカを助けにいくつもり?」
突然の問いに面食らったものの、グッと拳を握りこんだ私はそれに答える。
『もちろんよ、これ以上仲間を失うわけにはいかないわ』
「俺は反対」
『なっ!?』
何を非情な、と反論する前に、こちらを振り返ったグリは真剣な顔をしてこう告げた。
「ルカを助けに行く前に、君は本当の事を知らなくてはならない」
『本当のこと?』
「知らずに話を進めることもできる。だけどそれはきっとフェアじゃない」
これは俺の罪の告白でもあるけど……と、小さく続けられた言葉に片眉を上げる。どういうことかと尋ねようとしたところで、次の言葉にドキリと鼓動が跳ねた。
「テラへ帰ろう、あきら。見せたいものがある」
テラ。テラって、地球? 私が元いた世界に帰れるの? うそ、ここに来て?
グリはある地点で急に止まった。私は慌ててその腕にしがみつく。うわわ、いつの間にこんな高いところに。城下町を丸ごと見渡せるし、関所遊園地だってシェル・ルサールナ行き停留所の港町だって見える。広大な畑も、自警団の訓練場も、屋外演劇場も……それらの要所をつなぐように街道が張り巡らされ、街灯の魔法のランプが道に沿って夜の道を照らし続けていた。
(こんなに、作ってきたんだなぁ)
感慨にふけっている間にも、グリは帰還の準備を進めていた。再び鎌を召喚して易々と空間を切り裂く。べろんと、まるで布のようにはがれた空間を寄せると虹色が渦を巻く光景が見えてきた。
『あ、なんか見覚えある!』
あれだ、こっちの世界に召喚されたときにクローゼットの中から繋がってた異空間だ。じゃあ本当にここを通れば元の世界に帰れるのかも。手を引かれる感覚がして、私は慌てて引き留めた。
『ちょっと待った。またこっちにも来れるんだよね? 一方通行ってことない?』
「それはまぁ、へいき」
歯切れの悪い回答に若干の不安を抱きつつも、まぁ戻って来られるならいいかと素直に従う。しっかり彼の腰に掴まり直した私は異空間に突入した。すさまじい色の洪水に目がチカチカしてくる。死神様は目的地がわかっているかのようにまっすぐ飛んでいった。
「そもそも、世界をまたいで肉体を持ち越すことは不可能なんだよ」
『え、だって、それじゃあ私はどうやってこっちの世界に?』
めまいがしてくるので目が開けられない。しばらくして返ってきたのはどこか物憂げな声だった。
「……俺は君につらい事ばかり伝えている気がする」
答えになってないと言おうとしたところで、さらにグンッと加速するような重力を感じた。まるでジェットコースターに乗っているみたいな感覚に小さな悲鳴をあげる。
「目を閉じていた方がいいよ。しっかり掴まっていて」
もともと絶叫系は得意じゃないから、そこからの一分間は忘れられないものになった。右に左に急旋回・急上昇・乱降下を繰り返す。そろそろ上下の感覚がなくなってきた頃、ハッと気づくといつの間にか私はしっかりとした地面を踏みしめていた。
「ようこそ、中継地点へ」
異世界転移してからというものの、多少の不思議現象には慣れていたつもりだったけどさすがに目の前の光景には唖然とした。どこかの街中みたいだけど、視界にモノクロフィルターでも掛けたかのように何もかもが白黒なのだ。直線的でシンプルな建物ばかりで、歩いている人は一人もいない。
『ここ、どこ?』
「俺が元々いたところ。死神界というより、世界の狭間の空間って言った方が正しいかな」
なんていうか、陰影がハッキリしすぎて違和感がものすごい。絵画の中に迷い込んでしまったと言えば伝わるだろうか。建築基準法なんてまるで無視した造りで壁の側面から家(?)のような物が横向きに生えていたりする。少なくとも現代日本じゃないことだけは確かだ。
「こっち。はぐれないようにね」
『う、うん』
歩き出すグリの後を小走りで追いかけていく。音もない、風も吹かない、真っ白な空のどこにも太陽らしきものは見当たらない。どこまでも無機質な空間がどこまでも広がっていた。だけど街を抜けると少しだけ変化があった。足元を駆け抜けていく小さな生き物が居たのだ。
『あっ、今のもしかしてニヤニヤ草?』
「マンドラゴルァもあっちにあるよ」
そういえばアキラ芋の原種であるマンドラゴルァはペロによって死神界から持ち込まれたものだっけ。色はやっぱり白黒だけど確かに同じ植物(?)だ。
そんな感じで歩いていると、ある地点を境に森のような場所に突入した。原生林っていうんだろうか、高く伸びた白い木々たちが群生していて、木漏れ日が隙間から差し込んでいた。思わずハッとするような幻想的な風景だ。
『太陽もないのに、木漏れ日はあるんだ』
「この森は心象世界に近いものだからね。現世の理屈は通じないのさ」
つまり誰かの夢の中っていうことなんだろうか。じゃあここに居る私はその誰かさんの夢の中の登場人物? ……んん、やめよう。これ、考え出すとグルグルと怖くなるタイプの考え事だ。
『!』
その時、向こうの並木の合間に赤い何かがよぎったような気がして私は反射的に振り返った。肉体もないのに急に心臓がどくどくと暴れ出した。今の、って。いや、でもまさか
ふらりと、無意識の内に一歩踏み出したところで後ろからグリに肩を捕まれ引き留められる。
「あれは幻影。危ないよ」
『え……、ひっ!』
自分の足元を見て青ざめる。私が進んで行こうとしたまさに数歩先に、落ちたら簡単には上がって来られなそうな深い深い溝があったのだ。おそるおそる覗き込むと下の方でチカチカと白い光が瞬いている。
「気を付けないと、こんなところで還らぬ魂になりたくはないでしょ」
『……ごめんなさい』
反省して、今度は余計なものに気を取られないよう数歩先のグリのかかとだけを見つめて歩くことにする。無言で歩みを進めていると、前方から問いかけられた。
「今のはね、真に会いたいと思ってる人を映し出して惑わせるんだ。ラスプが見えたの?」
言い当てられて胸の辺りをギュっと抑える。否定も肯定もしない代わりに私は自嘲するように口の端を上げた。
『ばかだなぁ……私ね、結局最後までラスプに言えなかったの』
行き場を失ったこの気持ちはどうしたら良いんだろう。捨てるにも隠してしまうにも持て余すくらいの、いつの間にか育ってしまった感情を。
『私も、あなたのことが大好きだって』
グリは何も言わなかった。気づけば、辺りは水に満たされていた。水没してしまった原生林に浮かびながら、私は仰向けになった状態で森の中をたゆたう。こぽりと口から出た泡が空に上っていった。上からの木漏れ日をまぶたの裏で感じながらゆっくりと沈む……沈む……沈む……。
どこか遠くの方で、赤ちゃんが泣いているような声が聞こえた
麦穂同士が擦れ合うような優しい音も聞こえる
波のさざめく音が、誰かの笑い合う楽しそうな声が、
私の一番奥底にある原初の記憶をくすぐるような気がした
***
おかえり、あきら。穏やかな声にまぶたを開けた私は、いつの間にか駅のベンチに腰掛けていた。朝日が射し込むプラットホームは人もまばらで、プォーンと警笛を鳴らしながら快速の上り列車が滑り込んで来る。毎朝通勤に使っていた、私のアパートから一番近い駅だった。
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