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106.塔の上のダナエ

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「ひっ!」

 その時、廊下に出るための扉がカチャっと音を立てる。あ、あぁ、なんだ、ちゃんと閉まってなかったのね。原稿を手にしたままそちらに向かった私は鍵を掛けようとして固まった。違う、確かに鍵はかけたはず。ならどうして開いてるの?

 震えた手から紙束がバサリと落ちる。自分の影が扉に映っている。私は少しも動いていないはずなのに、影が大きく振りかぶって

「っ―― ぎゃあっ!!」

 とっさに振り返った瞬間、足元にバラまいた原稿に足をすべらせ派手に転んでしまった。扉に後頭部をぶつけたせいで一瞬星が飛ぶのだけど、頭上で振り切られたナイフに目を見開く。さっきまで私の首があった位置だ。

「ひぃっ!?」

 謎の襲撃者はフードを目深にかぶった人物だった。ロウソクの灯りを背にして逆光になっているのでよく見えないけど、ほっそりとした顎の上にある口からチッと舌打ちが漏れる。今度こそトドメを刺そうとゴツい得物が振りかぶられた。ここでまともにやりあっても死ぬ! 冷静な自分からの叱咤に私は思いっきり息を吸い込んだ。

「キャアアアアアアア!!!」 

 つんざくような悲鳴に襲撃犯は一瞬ビクッとひるむ。その隙で充分だった、震える手でポケットからビー玉くらいの魔導球を取り出した私はわずかな魔力を注いで思い切り床に叩きつける。ボフッとくぐもったような音と共に白い煙幕が――ぶぇっ、ぶぇっ!! ぶぇーっくし!!

「アキラ!」

 犯人と共にくしゃみ合戦を続けること十五秒、悲鳴を聞きつけて到着した護衛隊長が扉を壊れる勢いでブチ開ける。彼は部屋の中を一瞥しただけで状況を察したらしく、素早く謎の襲撃者を取り押さえた。その横で私は、扉の影から様子をうかがっていた開発者に向けて『護身用魔導球』の使用感を伝える。

「っくし、ぶぁー!! ライムぅご、ごれっ、効ぎすぎ……!!」
「そっか、じゃあこのくらいでちょうどいいね」
「鬼だば!」

 この魔導球は私が一人の時に襲撃されても、誰かの助けが来るまで時間稼ぎ出来るように作られたものだ(ペロが不審人物として関所に現れた時に使いかけたっけ)コショウ・トウガラシを主に刺激物を風魔導で爆破させる物なのだけど、ごらんの通り使用した側までくらう諸刃の剣でもある。そりゃ、威力を弱めて撃退できなかったら元も子もないけどさ!

 止まらない涙で歪む視界の中、同じようにくしゃみを連発していた襲撃犯が目に入った。ラスプに取り押さえられているその人物は小柄で手足もほっそりしている。よく見ると手はケモノのような形状をしており、腕には薄茶色の毛がみっしりと生えていた。ヒト、じゃない?

「離せ! 赤毛野郎!」

 飛び出た声も男性にしては高い。その声に聞き覚えがあるのか、遅れてやってきたルカが私を助け起こしながら怪訝そうに問いかけた。

「……ダナエ?」

 馬乗りになったラスプが目深にかぶったフードを引き下げる。その下から現れたのは大きな三角耳をつけたネコ顔の少女だった。髪の毛もちゃんと生えていてパッと見は人間にかなり近いのだけど、ツンと飛び出たマズルからωにかけて線が繋がっている。興奮しているのか真ん丸に開いた瞳孔で虹彩は黄色。よく見ると腕の毛にはうっすらと茶トラの縞が入っているようだ。

「ど、どちらさま?」

 幹部たちは知った顔のようで、私だけが説明を求めてみんなを見回している。微妙な空気がただよう中、ロウソクの芯だけがジリジリと音を立てていた。


 ***


「出せ! ここから出せ!」

 ダナエと呼ばれた猫耳少女が、鉄格子に突進してガシャンと音を立てる。肉球の隙間からニュッと出た爪が明かりを反射してギラリと光った。

 ここは自警団の詰所近くに作られた留置所。普段は酔っぱらって大騒ぎする人を収容するぐらいにしか使わないので、本格的に法を犯して入れられたのは彼女が初めてになる。

 そんな不名誉な第一号になってしまったダナエは、こちらを針のような瞳孔でにらみ付けながら叫んだ。

「腐った魚のデュクデュクめ! 誰の許可を得て魔王なんて名乗ってるんだ!」

 ……え、今もしかして、罵倒された? デュクデュクって何だろう。後で調べてみようと思っていると、困ったように眉を下げたルカがようやく彼女を紹介してくれた。

「主様、こちらはリュンクス族のダナエです。元・魔王軍で遊撃隊の隊長を務めていた兵士になります。ダナエ、魔王様に向かってぶしつけですよ」
「だから! なんでそんなヤツを魔王とか呼んでるんだよ!! アタシたちの魔王はアキュイラ様ただ一人だろ!?」

 その言葉が癇に障ったようで、シャーッと猫そっくりに威嚇した暗殺者はオレンジ色の髪を掻きむしった。ところがルカはまるっきり無視して紹介の続きをするように淡々と続ける。

「御覧のようにアキュイラ様に心酔しきっていましたので、どうやら現魔王さまを偽物と判断し暗殺しに来たようです」
「なに冷静に解説してんだコルァァア!!」

 おぉぉ、闘志満々。ここに入れる時に武装解除はしたから大丈夫だとは思うけど(暗器が出て来るでてくる)念のためちょっと離れておこう。

 いくら暴れても抜け出せないと観念したのか、彼女はふてくされたように牢にあぐらをかいて座り込んだ。だけど敵意を含んだ視線は相変わらずこちらに向けられている。ようやく話ができると判断したのか、ライムがしゃがんでちょっとだけ呆れたように問いかけた。

「だってダナエ姉ぇ、アキュイラ様が死んじゃってから何も言わずに姿を消したじゃないか。どこ行ってたの?」
「ハァ!? メモ残していっただろ! 目ン玉ついてんのかよ!」

 横で机に行儀悪く腰掛けていたグリが、不服そうに「あんなの読めるわけない……」と呟く。悪い方面での達筆なのか。

 自分の伝言がまったく伝わっていなかった事に気づいたのか、ダナエは苛立ったように膝にパシッと手を打ち付けた。

「アタシはなぁ! 逃げ出したヤツらを集めようと走り回ってたんだよ! なんなんだよアイツら、アキュイラ様が亡くなった途端に手のひら返すようにわらわら逃げていきやがって……!」

 怒りをにじませた声が小さくなっていき、彼女は悔しそうに歯がみをして俯く。それじゃあ、この子はアキュイラ様が亡くなってからずっと魔族諸島を駆け回っていたの?

「どいつもこいつも腰抜けだ。しかも、風のウワサで魔王が復活したからと聞いて戻ってみりゃ、どこの馬の骨かわかんねぇ女が平然とアキュイラ様の位置に収まってるし!」

 自ら怒りに燃料を注いだのか、彼女はその金色の瞳で射貫くようなまなざしをこちらに向けた。

「おい偽物! どんな手を使ってそいつらを丸め込んだっ! どうせ色仕掛けでも使ったんだろ、新聞に書いてあったぞ」

 敵意に満ちた言い方に、自分の頬がひくりと引きつるのを感じた。あぁ、あの下賤なゴシップ記事……。軽く痛む頭を抑えて人間領で書かれている三流記事を思い出す。

 女一人にイケメン幹部四人の逆ハーレム状態となると、まぁ、そういう根も葉もない憶測が流れるわけで……夜な夜な乱交してるだとか、魔族の特性を使ったプレイをしてるだとか好き勝手書かれているらしい。おぞましくて読んでないけど(それをいい笑顔で持ってきて「いっそ事実にしませんか?」とかのたまったルカは本気で殴っておいた)

 そんな与太話を信じちゃってる層が恐ろしいことに一定数いるらしい。目の前にほら一人。

 真剣な顔をして言い放ったダナエに、それまで黙っていたラスプが急にプッと吹き出した。私の頭に肘を乗っけると小ばかにしたように片手を開く。

「おいおい、コイツのどこに色仕掛けできるような要素があるってんだよ。まだ桃の方がそそるぜ」
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