異世界執事

伊簑木サイ

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第七章 結

雨降って地固まる

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 私の背中にも、彼が腕をまわしてくる。左からも、……右からも。硬くない。ちゃんと、あたたかく柔らかい肉体の感触。
 ……よかった。
 心底ほっとした。緊張がとけ、力強い腕と広い胸に包みこまれる安心感に、はにゃーんとなる。私は、すっかり力の抜けた体を彼に預けた。
 ああ、ここだ、と思う。
 カイちゃんや女神様の背中にすがっても、何か違うって感じてた。欲しい感触はこれじゃないって。満たされない思いに、他の何かを探してた気がする。
 だって、欲しかったのは、ここ。いつだって、いつまでもずっと居たいって思う。どこよりも一番、八島さんの腕の中が好き。
 好き。
 顔をこすりつけて、感触を確かめる。すると、彼も応えるように私の頭に頬を寄せ、抱きすくめてくれた。
 伝わっているのかな。伝わっているといいな。心奪われるって言ってくれたこれなら、たくさん、たくさん、いくらでもあげられる。だから、もっと欲しいって思ってほしい。手放しがたいって思ってほしい。
 ふと、不思議になる。私、さっきまで何をこだわっていたんだろう。彼の体温にこうして包まれていると、もうよくわからなかった。
 少しの隙間もないように、ぴたりと引き寄せ、それでもまだ足りないって、彼は全身で伝えてくるのに。こんなふうに、この腕の中にいる以上に、満たされることなんかないのに。

「千世様」
「はい」

 呼ばれるだけで、嬉しくなる。胸の中で、たくさんの小鳥が羽ばたく感じ。何を言われるのかな。それとも聞かれるのかな。今だったら素直に答えられそうな気がする。どんなことでも。

「私は危ないことなど何もしておりません」

 ……なのに、転がり落ちてきたのは、そんな言いぐさで。私は思わず顔を上げて、声をはりあげた。

「何言ってるんですか! 刃物持ちだして、萌黄さんとやりあってたじゃないですか!」

「あれに私は斬れません。……もちろん、私が千世様の大切なものならば、ですが」

 すぐに、お詩さんを名付ける時に、萌黄さんを言霊で縛ったことだとわかる。私の大切なものと私に、危害を加えてはいけない。そう言って萌黄さんを支配下に置いた。
 私はカッとして、彼を睨みつけた。

「八島さんは、私の大切な人ですよ! なんで疑うんですか!?」
「ええ。確かに今回は、あれの刃は、私を傷つけられませんでした。……ですが、人の心はあまりに脆く、うつろいやすい」

 じっと私を見るまなざしは、凪いでいた。失望もしていないかわりに、希望もしていない。彼は淡々と事実を述べているだけ。
 それに、胸の底が、じりじりと焼けついた。くやしい? 腹立たしい? 悲しいのかもしれなかった。 

「八島さんは、私がいつか、八島さんが大切じゃなくなるって思ってるんですか!?」
「そうは申しておりません」

 それから、困ったように少しだけ表情をゆるめた。

「ただ、千世様は恐怖に弱くていらっしゃる。我を失われることも、恐怖に捕らわれてしまうこともありましょう。……このように」

 八島さんは首元に手をやり、襟を引っ張った。裂けた切れ目が口を開け、私は息を吞んで目を見開いた。

「私は、たとえあれが言霊に縛られておらずとも、後れをとることはございません。本来なら、このようなことにはならない」

 彼が襟を、すっと撫でる。すると、裂けていたはずのそこに、もう切れ目はなく、真っ白く布地はつながっていた。

「我が霊力が続くかぎり、この体も、纏うものも、手にするものも、何一つ損なわれることはない。……千世様が、そうあれと、思い描かぬかぎりは」
「私は、そんなことっ、」
「はい。意識して望まれたことではないと承知しております。それでも、人は恐れを思い描いてしまうのでしょう。このように、形になるほどに」

 確かに私は、首元を刃がよぎった時、かすめたかと思った。八島さんが傷ついてたらどうしようって、怖かった。……それだけだったのに。

「先日も、千世様が特別だと、そうお伝えしようとしただけでしたのに、あれほどに怖がらせてしまいました。……今も、本当に、ご寝所の呪を掛けなおすべきだとお考えですか? 契約が破綻した返しは、あれと同じことが起こるのですが」
「え!? あ、あれと、いっしょ……?」

 内側から裏返って苦悶の表情で死んでいった人たちを思い出して、私は蒼白になった。

「もう一度お願い申し上げます。私が起こしに参るまで、ぜひともお待ちいただけませんか」

 八島さんが私の頬に触れてくる。大きくて耳の後ろまですっぽり包まれる。それ
がまるで、他は何一つ見ないでと、私だけを見てくださいと言っているようで。切なげに細められた目に宿って見える熱と相まって、私の声と思考を奪う。

「私もまた、千世様の言霊に縛られた存在。永遠を共にするとお約束したそれが、何があろうと、必ず私を千世様の許へ導きましょう。ですから、それまでは、どうか」
「ほんとうに?」

 喉の奥に熱いものがこみあげてきた。目頭も熱い。
 私は、彼の背中の布地をつかんで、強く握った。

「ほんとうの、ほんとうの、ほんとうに? 絶対、起こしに来てくれる?」
「はい。我が存在のすべてを懸けて、お約束いたします」

 彼は神語で誓いを口にした。真実の響きが世界に広がっていく。約束が、世界に刻み込まれていく。

「うん」

 嬉しくて、嬉しくて、笑ったはずなのに、涙がこぼれた。鼻をすすりあげて、私もちゃんと言葉にする。それで彼を縛れるなら、約束を守る力になるなら、何度でも誓いたかった。

「うん。待ってます。八島さんが来てくれるのを」

 彼の顔が近付いてきて涙を吸い取ってくれる。
 涙の幕がなくなって見えた八島さんは、いつも浮かべる大好きな微笑みで、私を見つめて笑ってくれた。
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