異世界執事

伊簑木サイ

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第四章 またまた転

失敗は成功のもと

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 ああ、今日はよく遊んだ。いや、遊んであげたから、すごく眠い。
 私は先を行く八島さんの後を歩きながら、欠伸をかみ殺した。

 カイはあんなに小さいのに、とっても力持ちだ。ロープで引っ張りっこしていたら、危うくつんのめって転んじゃうところだった。
 体にしては太い四つ足も、私の片手で簡単に包みこめてしまう顎も、思いがけないほど力強いのは、もしかしたら彼岸の犬だからなのかもしれない。
 なにしろ、私が美人に見えてしまうくらいだもんね。八島さんみたいな『  』が生まれるところだし。だいたいここは、神様の住まう世界なんだもの、此岸の常識では測れない不思議がたくさんあるんだろう。

 とはいえ、子犬は子犬だ。前庭の隅の方に置かれた犬小屋で、クーン、クーンと寂しがっている鳴き声がしている。
 私は足を止めた。彼も立ち止まって、私が庭の方を見ているのを見て取り、「なりませんよ」と、やんわりと言った。

「今日我慢させるか、明日我慢させるかの差でございます。今日かまってやれば、明日は期待して、もっと鳴くことでしょう」

 わかってる。わかってるけど、だけど、あんなに悲しそうなんだもの。動くに動きだせないでいたら、八島さんが幾分低い声で聞いてきた。

「……あれを、ご寝所に入れてやるおつもりなのですか」
「いいえ! まさか。そんなことできません」

 それはもちろん、あれだけムクムクのモフモフ、抱きしめて眠ったら気持ちいいだろうなと思う。でも、あんなに綺麗なベッドに入れて、悪戯されて破られたり、粗相そそうでもされてしまったら目も当てられない。というか、

「家に上げる気はありません」

 だって、神様が建ててくださった建物だよ。私が住むのだって畏れ多いのに、獣を住まわせるなんて罰当たりなことできないよ。

「それを聞いて安心いたしました」

 八島さんは自然な仕草で私の手を取ると、引いて寝室へと歩き出した。

「お一人でお寂しいのでしたら、眠られるまでお傍におりますが」
「あはは。寂しがっているのは、カイちゃんですよ」

 私はうろたえて空々そらぞらしく笑った。
 眠るまで手を握っていてくれるとか、枕元についていてくれるとか、そういうことを言っているのだと見当はつくのだけれど、さっきまでカイを抱っこして眠ることを考えていたから、つい八島さんを抱っこして、というか抱っこされて眠る図が頭の中に浮かんでしまった。
 それはないない! と自分で自分に思いっきりつっこんでみたけど、気恥ずかしさはまったく減らない。

 ……頭の中身が見えなくてよかった。実は、八島さんの腕の中はとても安心して心地いいから、さぞかし寝心地もいいに違いないと、密かに考えてしまった。
 深くてまろやかでゆったりとした意識の彼方のめくるめく安眠の世界。そんな睡眠、一度味わってみたいよね……。
 ……だけどきっと、ドキドキしちゃって、よけいに寝つけない。寝つけないかぎり、眠りの世界にも行けないんだから、本末転倒もいいところだ。

 それに、いくらなんでもそこまで八島さんに付き合わさせちゃいけないと思う。一日中私のために働いてくれているのに、寝る時ぐらいゆっくりしてもらわなきゃ、主として失格だ。

「私は大丈夫ですよ。特に今日はよく動いたから、すぐに眠れそうです」
「さようでございますか。……残念です。少しでも長くお傍にいたかったのですが」

 思ってもみない寂しげな微笑に、どきんと心臓が大きく鳴って、でんぐりがえった。
 こ、ここで不意打ちを繰り出してくるって……っ!! さすが八島さん、死角がない。ああ、何度くらっても慣れないよ、この極甘台詞!
 心理的体勢を立て直す間が欲しいところに、ちょうどカイの哀れな鳴き声が耳に届いた。

「カイちゃんも、はやくここに慣れるといいですね」
「さようでございますね」

 ……うん。さっきよりは、鳴き声が途切れがちになっているような、気がするような?
 カイも眠くなってきたのかもしれないなと思いながら、私はすみやかに寝室に逃げこむことにした。



 翌朝からご飯の後、お散歩を兼ねたカイの躾が、私の日課になった。
 本日三日目。彼岸の犬のせいか、もう来た時の四倍くらいの大きさになっている。大きなスイカ二個分くらい?

「カイちゃーん、持っておいでー!!」

 私は、投げたボールをまっしぐらに追っていくカイのお尻に向かって叫んだ。カイはボールに追いつくと、あぐ、と噛みついて頭を左右に振って、足で押さえて、また噛みついて振っている。
 ……あれはたぶん、獲物を確実にしとめる仕草なんだろうなあと、野性味あふれる姿に苦笑する。本能ってすごい。教えなくてもできちゃうんだもの。
 しかし、問題はここからなのだ。本能以外のことを教えなくちゃならないのだから。

「持っておいでー!!」

 私の声にカイはこちらを向いて、フサフサの尻尾をぶんぶん振ってくれた。けれど、足は別方向、私から離れる方へと動き出す。
 うん。それも本能だよね。獲物を横取りされたくないんだよね。

「カーイー!」

 おいでおいでと手招きして、ピョンピョン飛び跳ねてみるが、カイはじゅうぶん離れた場所に移動して、ボールを咥えたまま腰をおろしてしまった。
 ……うう。あれは私を待っているのだろう。
 私は焦りを覚えながら、カイ、おいで!! とさらに呼んでみた。
 ……しかし動かない。
 あああああ。どうしよう。
 私は上げていた手を下におろした。

 一日目に、『持ってこい』を教えるつもりでボール遊びしたら、つい、ボールを渡そうとしないカイを追いかけまわして、取り合いっこをしてしまったのだ。
 そうしたら、それ以来、『持ってこい』はボールを放ってもらって取りに行って、私と追いかけっこの末にボールを取り合う遊び、と認識されてしまったようなのだ。

 しょっぱなから、躾失敗……? 実家では、どうやって躾けていたっけ。小学校低学年だったから、あんまりよく覚えてない。
 叩いたりして怒っちゃダメ、というのと、悪いことをしたらその場でピシッと叱る、というのは覚えているんだけど。どっちかっていうと私は犬と一緒に遊んで、兄や姉や両親に躾にならないって笑われていたんだった。
 まさに今、その状態だ。追いかけていいのかわからず、かといって、呼んでも来てくれず、途方に暮れて立ちつくす。

 そうしてしょんぼりとカイを見ていたら、尻尾の振りがだんだん小さくなって、おもむろに、トットットッと私の足元までやってきた。
 これは新展開だ。
 私がしゃがむと、カイはさっと二三歩逃げだした。でも、じっとしていたら、また傍までやってくる。

「カイ」

 まっすぐ目を見て、静かに呼びかけた。カイはしばらく動かなかったけれど、そのうち観念したかのように、上目遣いで顎を開き、ぽとりとボールを下に落とした。
 ころころ、とボールが転がってくる。

「くれるの?」

 カイは、はっはっはっはと早い息をして舌を垂らしながら、ゆったりと尻尾を振って、笑ったような顔で私を見上げている。そっとボールを拾うと、尻尾がぶんぶん大きく振られた。急に前足を上げて、もっと遊ぼうというように何度も後ろ足で立ち上がる。
 私はその前足をすくいあげた。引っ張って膝の上にのせ、小さい頭を撫ぜまくる。

「カイちゃーん、ありがとー、いい子ねー!!」

 かわいー、かわいー、かわいいよー!! 濡れた鼻の頭にちゅーっとしちゃってもいいかなーっ?

「千世様!!」

 突然、八島さんの硬い声が聞こえたと思ったら、目の前を何かがさっと横切り、私はそれに、ウチューッとしていた。
 ちょっと硬い。乾いてる。
 んん? と目だけ動かしてそれが何と繋がっているのかを確かめたとたん、ぶわーって顔に熱が集まってきた。背後から伸ばされた手。わーっ、八島さんの掌にキスしちゃったー!?
 私は慌ててのけぞった。そのせいで、後ろにいた八島さんに思い切り体当たりしてしまう。

「すすすすすみませんーっ!!!」

 そしてその拍子に、カイも放り出してしまったらしい。キュウンって泣き声が足元で聞こえて、見たらコロンとカイが転がっていた。

「わーっ、カイちゃんもごめんねー!!」
 あわてて八島さんから体を起こし、カイを拾い上げようとするも、その前に後ろから抱き留められて、止められた。

「千世様」

 耳元で名前を呼ばれる。背筋がびくぅってなる。猛烈に恥ずかしい。だから、そこだめなのに、くすぐったいのに、そんな素敵ボイスで囁かれたら、腰に力がはいらなくなるのにー!
 でも、わかってます、私が迂闊でした、悪うございましたー!!

「はいーっ、そうでした、動物とむやみに接触してはいけないんですよね! どんな病気持ってるかわからないからっ。すみません、お手数おかけしました、もう二度としません、以後気をつけますーっ」
「……二度となさらないのですね?」
「しません、しません、絶対しません!」

 ふっとゆるんだ吐息が聞こえ、なぜか、ぎゅっと抱きしめられた。

「あ、あの、八島さん?」

 呼んだらよけいに力が強くなる。どうやら、すごく心配させてしまったらしい。

「ごめんなさい。本当にもうしませんから。家に上がったら、すぐに手も洗います、ちゃんと石鹸で」

 そう言うと、ようやく腕がゆるんで、八島さんの方を向くことができた。案の定、笑みのない憂い顔をしている。

「そうですよね、彼岸の動物ですもの、此岸にはない怖い病気を持ってるかもしれないんですよね。これからはきちんと気をつけますね。……あの、もしかして、お茶の時間ですか?」

 話題をそらすべく、こちらから尋ねてみた。

「はい」
「呼びに来てくださったんですね、ありがとうございます。じゃあ、カイちゃんを小屋に連れて……」
「私が連れていきますので、千世様は先にお戻りになって、手をお洗いください。服に毛もついておりますので、どうぞお着替えを」
「はい。……じゃあ、カイちゃん、またね。八島さん、お願いします」

 うろうろして私たちのやり取りを見ていたカイは、こころなしかショボンとして見える。尻尾はすっかり足の間だ。まさか人の言葉が全部わかるわけではないだろうけど、いつも最後に「またね」と言うから、それは覚えたのかもしれない。
 カイは可愛くて力がある上に、どうやら賢いらしい。飼い主馬鹿にもそんなことを考える。
 よおし、明日こそは、取ってこいを覚えさせるぞ! それから、お座りに、待てに、伏せと、他は何を教えればいいかな……。
 指折り数えながら、私はお屋敷に戻ったのだった。
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