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第二章 承
一寸先は闇
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空気が、変わった。濃く清涼なそれを吸い込むだけで、体に溜まった不純物が霧散していくよう。呼吸ごとにまるで体が生まれて変わっていくみたいで、私はすうっと大きく吸った息をゆっくり吐きだしながら、瞼を開けた。近くで見下ろしている彼の姿が目に入り、ぼんやりと見たままを口にする。
「八島さん」
「おかげんはいかがですか」
「大丈夫、です」
何を聞かれたのか、ちゃんとわかった。これまでになく正確に理解できたと思う。『生気を一時的に大量に使ったけれど、気分は悪くないですか』。そう言っているのだ。
「本当に繋がってたんですね……」
驚いたというか、不思議というか。思わずこぼした呟きだったけれど、その瞬間に見せた八島さんの表情に、心臓が大きく跳ねた。
う……っ、無駄に色っぽい。とにかく元のスペックが高いから、ちょっと魅力的な表情をすると、威力が凡人の数万倍だ。不整脈起こしちゃってるよ、私の心臓。
とても嬉しげで、満足げで、満たされたまなざしが、語りかけるように私を見ている。声に出してないのに、千世様、て呼んでいる。
うあーっ、どきどきしすぎて心臓壊れる、顔が熱いー!! 目をそらしたいのに、ヘビに睨まれたカエルのように、目がそらせない。魅力的すぎて、意識が釘付けされてしまうのだ。
「千世様」
「う、あ、は、はい!」
半ば裏返った私の返事に、八島さんはさらに魅惑的に微笑んで、失礼いたします、と言って屈んだ。かと思ったら、背中と膝の裏に腕がまわされ、ふわりと体が浮き上がる。
なっ!? お姫様抱っこ!? なにゆえに!?
「や、八島さん! 重いです、私、重いですよ! 降ろしてください!」
「羽根ほどの重さも感じませんよ。どうかお気になさらず」
余裕の笑みで、足取りもしっかりと歩みだす。
「ダメ、ダメです! 降ろしてください!」
だって、いくら八島さんが服の上から見ただけでスリーサイズがわかる人で、私の体重なんていまさらかもしれなくても、それを知られているだけなのと味わわせるのでは、天と地の差がある!
「……居心地悪うございますか?」
八島さんが足を止め、申し訳なさそうに聞いてきた。
「違います! 全然そんなことないですよ! 居心地いいですよ、とっても!」
彼の憂いを晴らしたくて、私は握り拳で正直な感想を力説した。
八島さんたら、本当に謙虚すぎる。経験したのは初めてだけど、これは完璧なお姫様抱っこだろう。なにしろ、抱き上げたそのままで揺すり上げすらしないんだよ。いかにも軽々と運んでくれている。もしかして私、本気で羽ほどの重さしかないのかもと思えるくらいだ。
しかも、一歩ごとに揺れるふわふわ感と、でもゆるぎなくきっちり抱えられている安心感に、夢見心地になってくる。この胸と腕に体を任せきって、このままどこにでも連れてって、て気分になってきちゃうんだよ。すごいよね、さすが八島さん、何をやっても一流だ。
……もちろん、そんなずうずうしいことはできないけどね。自分の体重は自分が一番よく知っているもの。
「でしたら問題ございませんね。それより、あちらをご覧ください」
八島さんがにっこり笑って、何事もなかったかのように歩きだした。
いや、そうなんだけど、問題はあるよ、ありまくりだよ、主に、私の体重が!
けれど、つい八島さんの視線を追って見た先のものに、私は、ぽかんとして目をしばたたいた。
大きなお屋敷があった。純和風だ。豪邸といっていい。いつのまにやら、八島さんはそこに続く玉砂利を敷き詰めた細い小道を歩いていた。小道の左右には緑したたる綺麗な庭園が広がっていて、八島さんが歩く一歩ごとに景色が変わっていくというのに、その歩みごとに見られるどこもかしこもが、とにかく溜息の出る美しさだった。
……おかしい。どうして私、こんなところに居るんだろう。さっきまで自分の部屋で、八島さんの故郷に連れて行ってくださいとお願いして、どこにあるのかとか、どのくらいかかるのかとか、行き方を聞いていたはずなんだけど。
そうしたら、八島さんに手を引かれて立たされて、抱きしめられて。……生気を奪われて。くらくらして。それで、ええと。
「……ここ、どこですか?」
私は、呆然と聞いた。
「我が支配地の一つ、高天原にございます。あちらは、千世様にお住みいただくために用意させていただいた屋敷にございます。お気に召すとよいのですが」
ちょっと待って、お屋敷を用意したって、あんなすごい豪邸。ああ、いや、それも重要なんだけど、それより、
「高天原?」
それって、確か、日本の神様がいるところと同じ名前だ。
その時、頭のすみっこの方で、何かが閃いた。『八島さんの故郷』、『高天原』、『ヒガン』。それらが一つにつながる。キーワードは『神様』。
ああっ!? 『ヒガン』って、もしかして『彼岸』のこと!? ということは、
「ここはあの世!?」
「此岸ではそうも呼びますね」
「え!? 私、死んだの!?」
「いいえ、まさか。永遠をお約束いたしましたのに」
心配ありませんよとばかりに、それは優しく甘くとろける微笑みで笑いかけられても、人の営みの範疇を超えたそれに、声が出てこない。
いや、まさか、ええ、でも、と言葉にならないものが頭の中で転がり、焦りがどんどん強くなっていく。心臓がばくばくして、呼吸が浅くなって、背筋が緊張して、ぶるりと震えた。
なにか、とんでもないことになっている気がする。
「千世様」
いつもと変わらない声音で宥めるように呼ばれる。
「え、あの、えっと、だって、……ええ~?」
この状況についてたくさん聞きたいのに、どこから聞いたらいいのか、何を聞いたらいいのかもわからない。わからないところすらわからない。というか、わからないことしかない。
「ここはお気に召しませんでしたか?」
気づかわしげに顔をのぞき込まれる。
「え、えと、」
そういう問題じゃなくて、という言葉もうまく出てこない。八島さんは少し憂い顔になって、
「それでは、別の神域にご案内いたしましょうか? ……他は、ニライカナイ、カムイモシリ、根の国、光明国、神仙界、極楽浄土、」
馴染みのないものがずらずらと並んだと思ったら、極楽浄土なんてのが出てきて、ぎょっとする。
「いえいえいえいえ、ここでけっこうです、あんまり突然でびっくりしただけです!」
極楽浄土は嫌だ。楽を極めるっていうくらいだから最高のところなんだろうけど、なんだか嫌だ。それならまだ、八百万の神様の住んでいる所って方が気が楽だった。
だって、三途の川は渡りたくないじゃん! いくら生身だ、死んでないって言われても!
「えと、ここで八島さんは生まれたんですか?」
とりあえず、にこっとして話題をそらしてみた。
「ええ、そうです」
「そうなんですか! じゃあ、ここがいいです」
八島さんが生まれて育ったところだと聞いたら、急に親近感がわいてきて、もっとここを見て回りたいと思った。
ご両親はご健在なのかな。ご兄弟はいるのかな。どんな子供だったのかな。生まれたお家はどんななのかな。
「それはよろしゅうございました。では、お屋敷の方をご案内いたします」
八島さんが玄関のひさしの下に立つと、大きな玄関扉が、すうっと音もなく横滑りに開いた。
「八島さん」
「おかげんはいかがですか」
「大丈夫、です」
何を聞かれたのか、ちゃんとわかった。これまでになく正確に理解できたと思う。『生気を一時的に大量に使ったけれど、気分は悪くないですか』。そう言っているのだ。
「本当に繋がってたんですね……」
驚いたというか、不思議というか。思わずこぼした呟きだったけれど、その瞬間に見せた八島さんの表情に、心臓が大きく跳ねた。
う……っ、無駄に色っぽい。とにかく元のスペックが高いから、ちょっと魅力的な表情をすると、威力が凡人の数万倍だ。不整脈起こしちゃってるよ、私の心臓。
とても嬉しげで、満足げで、満たされたまなざしが、語りかけるように私を見ている。声に出してないのに、千世様、て呼んでいる。
うあーっ、どきどきしすぎて心臓壊れる、顔が熱いー!! 目をそらしたいのに、ヘビに睨まれたカエルのように、目がそらせない。魅力的すぎて、意識が釘付けされてしまうのだ。
「千世様」
「う、あ、は、はい!」
半ば裏返った私の返事に、八島さんはさらに魅惑的に微笑んで、失礼いたします、と言って屈んだ。かと思ったら、背中と膝の裏に腕がまわされ、ふわりと体が浮き上がる。
なっ!? お姫様抱っこ!? なにゆえに!?
「や、八島さん! 重いです、私、重いですよ! 降ろしてください!」
「羽根ほどの重さも感じませんよ。どうかお気になさらず」
余裕の笑みで、足取りもしっかりと歩みだす。
「ダメ、ダメです! 降ろしてください!」
だって、いくら八島さんが服の上から見ただけでスリーサイズがわかる人で、私の体重なんていまさらかもしれなくても、それを知られているだけなのと味わわせるのでは、天と地の差がある!
「……居心地悪うございますか?」
八島さんが足を止め、申し訳なさそうに聞いてきた。
「違います! 全然そんなことないですよ! 居心地いいですよ、とっても!」
彼の憂いを晴らしたくて、私は握り拳で正直な感想を力説した。
八島さんたら、本当に謙虚すぎる。経験したのは初めてだけど、これは完璧なお姫様抱っこだろう。なにしろ、抱き上げたそのままで揺すり上げすらしないんだよ。いかにも軽々と運んでくれている。もしかして私、本気で羽ほどの重さしかないのかもと思えるくらいだ。
しかも、一歩ごとに揺れるふわふわ感と、でもゆるぎなくきっちり抱えられている安心感に、夢見心地になってくる。この胸と腕に体を任せきって、このままどこにでも連れてって、て気分になってきちゃうんだよ。すごいよね、さすが八島さん、何をやっても一流だ。
……もちろん、そんなずうずうしいことはできないけどね。自分の体重は自分が一番よく知っているもの。
「でしたら問題ございませんね。それより、あちらをご覧ください」
八島さんがにっこり笑って、何事もなかったかのように歩きだした。
いや、そうなんだけど、問題はあるよ、ありまくりだよ、主に、私の体重が!
けれど、つい八島さんの視線を追って見た先のものに、私は、ぽかんとして目をしばたたいた。
大きなお屋敷があった。純和風だ。豪邸といっていい。いつのまにやら、八島さんはそこに続く玉砂利を敷き詰めた細い小道を歩いていた。小道の左右には緑したたる綺麗な庭園が広がっていて、八島さんが歩く一歩ごとに景色が変わっていくというのに、その歩みごとに見られるどこもかしこもが、とにかく溜息の出る美しさだった。
……おかしい。どうして私、こんなところに居るんだろう。さっきまで自分の部屋で、八島さんの故郷に連れて行ってくださいとお願いして、どこにあるのかとか、どのくらいかかるのかとか、行き方を聞いていたはずなんだけど。
そうしたら、八島さんに手を引かれて立たされて、抱きしめられて。……生気を奪われて。くらくらして。それで、ええと。
「……ここ、どこですか?」
私は、呆然と聞いた。
「我が支配地の一つ、高天原にございます。あちらは、千世様にお住みいただくために用意させていただいた屋敷にございます。お気に召すとよいのですが」
ちょっと待って、お屋敷を用意したって、あんなすごい豪邸。ああ、いや、それも重要なんだけど、それより、
「高天原?」
それって、確か、日本の神様がいるところと同じ名前だ。
その時、頭のすみっこの方で、何かが閃いた。『八島さんの故郷』、『高天原』、『ヒガン』。それらが一つにつながる。キーワードは『神様』。
ああっ!? 『ヒガン』って、もしかして『彼岸』のこと!? ということは、
「ここはあの世!?」
「此岸ではそうも呼びますね」
「え!? 私、死んだの!?」
「いいえ、まさか。永遠をお約束いたしましたのに」
心配ありませんよとばかりに、それは優しく甘くとろける微笑みで笑いかけられても、人の営みの範疇を超えたそれに、声が出てこない。
いや、まさか、ええ、でも、と言葉にならないものが頭の中で転がり、焦りがどんどん強くなっていく。心臓がばくばくして、呼吸が浅くなって、背筋が緊張して、ぶるりと震えた。
なにか、とんでもないことになっている気がする。
「千世様」
いつもと変わらない声音で宥めるように呼ばれる。
「え、あの、えっと、だって、……ええ~?」
この状況についてたくさん聞きたいのに、どこから聞いたらいいのか、何を聞いたらいいのかもわからない。わからないところすらわからない。というか、わからないことしかない。
「ここはお気に召しませんでしたか?」
気づかわしげに顔をのぞき込まれる。
「え、えと、」
そういう問題じゃなくて、という言葉もうまく出てこない。八島さんは少し憂い顔になって、
「それでは、別の神域にご案内いたしましょうか? ……他は、ニライカナイ、カムイモシリ、根の国、光明国、神仙界、極楽浄土、」
馴染みのないものがずらずらと並んだと思ったら、極楽浄土なんてのが出てきて、ぎょっとする。
「いえいえいえいえ、ここでけっこうです、あんまり突然でびっくりしただけです!」
極楽浄土は嫌だ。楽を極めるっていうくらいだから最高のところなんだろうけど、なんだか嫌だ。それならまだ、八百万の神様の住んでいる所って方が気が楽だった。
だって、三途の川は渡りたくないじゃん! いくら生身だ、死んでないって言われても!
「えと、ここで八島さんは生まれたんですか?」
とりあえず、にこっとして話題をそらしてみた。
「ええ、そうです」
「そうなんですか! じゃあ、ここがいいです」
八島さんが生まれて育ったところだと聞いたら、急に親近感がわいてきて、もっとここを見て回りたいと思った。
ご両親はご健在なのかな。ご兄弟はいるのかな。どんな子供だったのかな。生まれたお家はどんななのかな。
「それはよろしゅうございました。では、お屋敷の方をご案内いたします」
八島さんが玄関のひさしの下に立つと、大きな玄関扉が、すうっと音もなく横滑りに開いた。
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