上 下
9 / 26

8 巫女姫は自己嫌悪する

しおりを挟む
 巫女姫の一日というのは、庶民育ちのリサには非常に戸惑うものだった。
 巫女姫が最も気をつけなければならないのは、体を健康に美しく保つことなのだという。
 厳選された食材を使った、一流の料理人よる毎度の食事。じっとしているばかりではいけないと、安全に散歩できるように整えられた広大な美しい庭園。内面にも磨きをかけるようにと、そろえられた書物に教師。
 特にお風呂には付添人が付いて毎回念入りに磨かれ、最高級の美容品で髪の一本から爪の先まで手入れがされる。着るものも、形は質素でも布地は王侯貴族と同等のものであったし、寝具など、すべすべのふわふわで雲の中で寝ているようだった。
 そして極めつけは、始終人が傍にいて、彼女の一挙手一投足を注視していることだった。
 ちょっとカーテンでも引こうと立ち上がれば、いかがなさいましたか。欠伸でもしようものなら、お疲れでいらっしゃいますか。
 それに、彼女が動くだけで、十人規模の集団が移動するのである。トイレにまで。
 そう。トイレに、ネイドまでついてくるのだ。もちろん、外で待ってくれてはいるのだが、待たれていると思えば、とてもではないが時間がかけられるものではない。そうなってくると、出るものも出てこない。
 そうこうしているうちに、お腹は張って痛くなってくるし、食事は入らないし、顔に吹き出物はできるしで、医者が呼ばれた。
 申し訳ないわ、情けないわ、恥ずかしいわで、いたたまれなくて、とうとうリサは、医者の前で泣きだして、巫女姫などできませんと訴えた。
 すぐに神官長が呼ばれた。それどころか国王にまで話がいってしまい、てんやわんやの大騒動に発展した。
 なにしろ、女神が「飽きた」と言った末に選んだ依代である。ことほかその体を気に入り、自ら衣裳まで用意して与えた巫女姫を、人の手落ちで失うことにでもなったら、女神の加護を失うだけではない、どんな怒りをかうかわからない。
 駆けつけた国王が、厳しい面持ちで側仕えの処罰を声高に主張しはじめたところで、リサは真っ青になった。
 彼らは何一つ悪くなかった。手抜きをするどころか、精一杯のはたらきをしてくれていた。だからこそリサは、息がつまってしまったのだから。
「や、やめてください、お願いです」
 リサは泣きだしながら、必死に訴えた。
「彼らを責めないでください。彼らは良くしてくれました。わ、私が、悪いんです。私が、巫女姫にふさわしくないから」
「貴女が巫女姫にふさわしくないと、誰が言ったのですか?」
 国王は柔和な顔を取り繕い、彼女の手を取って親身に尋ねた。
 リサはその顔を見て、震えあがった。国王の瞳の奥に確かに怒りが見え、この不始末を断固として許す気がないのがわかったからだ。
 なんてことをしてしまったのだろうと、リサははげしく後悔した。うまく巫女姫の務めが果たせないばかりか、迂闊なことを口にして、人々に迷惑をかけてしまった。
 醜い上に、優雅に振る舞うこともできず、我慢も努力も考えも足りない。
 私は、なんてなんてなんて駄目な人間なんだろう。
「申し訳ありません」
 リサは滂沱と涙を流して、しゃくりあげた。
「も、申し訳、ありません。申し訳ありません……」
 それ以外、言える言葉が見つからなかった。
「貴女が謝らなくてもいいのですよ。我々は貴女の憂いを晴らしてさしあげたいのです」
 国王の言葉に、リサは強く首を振って答えた。違うのだと伝えたかった。いけなかったのは、駄目だったのは自分なのだと。
 だけど、それを口にしようとすると、さらに涙が出てきて、言葉にならない。
 説明の一つも、きちんとできない。駄目だ、駄目すぎる。私は駄目な人間だ……。
 リサは己を恥じて、絶望して、消えてなくなってしまいたかった。生きてこんな醜態をさらしているのが耐え難かった。自分なんて死んでしまえばいいのにと、心から願った。
 固く目をつぶって、うつむいて、ただただ声を殺して泣く。
 巫女姫のただならぬ様子に、人々は困惑し、沈黙した。
 ところが、その中でたった一人、高い靴音をたてて巫女姫に近づいていく人物がいた。護衛騎士のネイドだった。
 彼は巫女姫の傍らに立つと、いささか強引に、国王の手から彼女を引き離した。そうして、引きむしるようにとった自分のマントを巫女姫の頭の上から無造作に掛けると、背をかがめて彼女の腰あたりを両腕で抱えて持ち上げ、軽く一礼して踵を返した。扉へと向かう。
「ネイド」
 国王は非難を込めて彼を呼んだ。彼は足を止めて振り返って、毅然と国王を見据えた。
「女神は、このかたを依代にと選ばれました。をです」
 ネイドは強調して同じ言葉を二度繰り返した。
「女神はありのままのこの方を気に入られたのだと私は理解しているのですが、それは間違っていますか」
 彼は途中から神官長へと視線を向け、尋ねた。
「いいえ、間違っていらっしゃいません」
 神官長は己の非を悟って、深く腰を折り頭を下げた。国王は不機嫌そうに眉を顰めたが、口を噤んでいた。
 巫女姫と護衛騎士は、国王に膝を折る必要のない存在だ。むしろ国王こそが、女神の加護を乞うて、巫女姫の前に跪く。
「巫女姫を休ませてきます。失礼」
 それ以上無駄口は叩かず、ネイドは巫女姫を連れて足早に部屋を出た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

White Marriage

紫苑
恋愛
冬の日のひとつの恋の物語‥

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

貴方と歩く雪景色の道‥‥母から娘へ

紅夜チャンプル
恋愛
雪景色‥‥白い樹木の並ぶ美しい道をテーマとした冬の恋愛ストーリー 美雪と和晶には忘れられない思い出がある。雪の降る中、白い樹木の並ぶ美しい神社の参道を2人で歩いたこと。 30年後、2人の娘の凛も同じように恋人とその神社に行くが‥‥ 凛も両親と同様に‥‥恋人と結ばれるのか‥‥?

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色
恋愛
21歳の音原珠里(おとはら・じゅり)は14歳年上のいとこでアダルト漫画家の音原誠也(おとはら・せいや)と二人暮らし。誠也は10年以上前、まだ子供だった珠里を引き取り養い続けてくれた「保護者」だ。 今や社会人となった珠里は、誠也への秘めた想いを胸に、いつまでこの平和な暮らしが許されるのか少し心配な日々を送っていて……。 ☆全22話です。職業等の設定・描写は非常に大雑把で緩いです。ご了承くださいませ。 ☆エピソードによって、ヒロイン視点とヒーロー視点が不定期に入れ替わります。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しております。

処理中です...