23 / 40
8
エウル、罰を言い渡す
しおりを挟む
公主を抱き起こすと、エニもやってきて、咥えてきたものを下ろし、上目遣いで彼女の肩を舐めた。……タバルガンだ。
そういえば、崖の向こう側で見かけたことがあったなと思い出す。巣穴に馬が足を取られると危ないから、近付かなかったのだが、二匹は公主の護衛途中で、これを見つけたのだろう。
狩りは犬の本能だ、しかたないことだった。
「それはおまえたちで食っていいぞ」
俺は苦笑して、公主の怪我に責任を感じているらしい二匹を、順に撫でてやった。ぺたりと伸びていた尻尾が、ゆらゆらと揺れだす。
公主を抱き上げ、馬へと連れて行く。
猿轡をかまされて、荷物のようにウォリの馬に乗せられたスウリを見つけて、公主は怯えて身をすくめた。けれど、俺の馬の傍で心配げに立つミミルを見て、身を乗りだした。
『ミミル! ミミルも襲われたんですか!? 怪我は!? ええと、エウル、ミミルは痛い、ある?』
ミミルと俺の交互にせわしなく向き、早口に帝国の言葉でまくしたてる。どうやら、ミミルも襲われたと思って、心配しているようだ。
「大丈夫だ。ミミルは『いたく、ない』」
ほら、とミミルの前に立って、よく見せてやると、彼女は、ほうと息を吐いて笑んだ。
ミミルは目に涙を浮かべて、いたたまれずに、膝をついて頭を下げた。
「公主、申し訳ございません! 常にお傍に侍り、お守りせねばいけませんでしたのに! お傍を離れ、お怪我までさせてしまい、お詫びのしようもございません!」
公主は戸惑って、俺にすがるような視線を向けてきた。
「いいや、よく機転を利かせてくれた。おまえが残ったのは、ニーナではスウリの味方をするかもしれないと思ったからだな?」
「はい」
「ニーナに馬を使わせなかったのも、もしも、ニーナが呼んできたのが俺達ではなかったら、公主を乗せて逃げるためだろう」
「……はい」
ミミルは一拍遅れて返事をした。うなだれて、顔を上げない。俺の腹心であるスレイの婚約者――公主の侍女として同僚でもある――を、疑った後ろめたさがあるようだった。
「それで、正しかった」
「え?」
ミミルは呆然と顔を上げた。
「ナタル、ミミルを乗せてやれ。共に帰る」
もう行けと示すと、ミミルは一度深く頭を下げてから、ナタルの方へと下がっていった。
「大将、これ」
スウリを見張っているウォリが、手に持った物をひらひらと振った。あの色は俺の襟布だろう。公主に巻いてやったはずの。
「スウリが持っていたんだけど」
「燃やせ」
「承知」
間髪入れずに答えていた。あんな者が触ったものを、自分の首に巻き入れる気になど、なれなかった。
公主は、連れ帰る間中、俺の胸に顔を埋めて、けっして顔を上げようとしなかった。いつもなら、物珍しげにあたりを見まわして目を輝かせているはずだ。どれほど怖い思いをし、痛みが辛いのか、考えるだに胸が痛んだ。
天幕に戻ると、スレイとスウリの両親も連れてこられていた。ものものしく、人もたくさん集まっている。なのに、静かだ。誰もが不安そうに俺達を見ている。
煩わしいそれらが公主の目に入らないように、彼女の肩をしっかり引き寄せ、俺の腕と背中でさえぎったまま、馬から下りた。
ホラムが近付いてきて、馬を引き取ってくれる。
「馬の面倒をよく見てやってくれ。だいぶ手荒に走らせた。それと、公主の容態が落ち着きしだい、詮議する。それまで、ルツの一家を見張っておけ」
命じたとおりに同じ所に立っていた――俺の天幕の前だ――スレイとニーナの前で、立ち止まった。少し、腕をゆるめる。公主が顔を上げた。
本当は、二度と公主の目に触れさせるに値しない者達だ。けれど、だからこそ、思い知れ、と思った。自分達が何をしでかしたのかを。
「ニーナ」
憔悴した様子でスレイに抱かれるニーナを見て、公主は目を見開いて、心配そうな表情になった。何度かニーナに話しかけようとして口ごもり、結局、俺に、『ニーナ、痛い、ある?』と尋ねてくる。
それを聞いて、スレイが眉を曇らせた。ニーナも、何を言われているかわからなくても、罵られていないことぐらいはわかるのだろう。たじろいだ様子だ。
「スレイ、公主が何を言ったか、説明してやれ」
それで何も思わないなら、今後も反省などしないのだろう。
「ミミル、来い。公主の手当ての手伝いをしろ」
再び公主を腕の中に囲い込み、振り返ってミミルだけを呼び寄せて、俺は公主を天幕に運び込んだ。
公主の怪我は頭に集中していた。後ろ頭に瘤と、左側頭部に割れた傷と瘤、それから、前髪に隠れた生えぎわにすり傷。
掌や肘のすり傷は、争ったからというより、倒れた時にできたものだろう。……後ろから襲われ、抵抗できないまま、追撃を受けたとしか考えられなかった。
青白い顔で、どことなく体がぐらぐら揺れていた公主は、手当が終わると、ぐんにゃりとベッドに横たわった。そのまま、意識を失うようにして眠る。
彼女の傍を離れたくなかった。頭を酷く打った者は、その時はなんともなくても、朝には冷たくなっていることがある。魂が抜け出さないよう、抱きしめて、額に唇を当てていたかった。
けれど、『耀華公主』が殺されそうになったのを、無かったことにはできない。
彼女は帝国の皇帝の娘なのだ。和平の証として来た彼女を殺そうとすることは、帝国と閻への反逆となる。事は国際問題だった。
裏切りは、俺の配下で起こった。俺が収めねばならなかった。
自分のものを何か彼女に、と思い、上着を脱いだ。それで彼女を包む。
「耀華公主」
どうか、その体に留まってくれ。願いながら、傷を押さえる布の巻かれた額に、長く口づける。
「ミミル、耀華公主を頼む」
「はいっ。……はいっ、命に替えましても」
ミミルは悲愴なまなざしで返事した。
「ミミル、あなたはよくやってくれた。責任は差配した私にある。あまり思い詰めるんじゃないよ」
叔母上がミミルを励ましていた。
俺は鎧用の上着を取り出して羽織りながら、先に天幕を出た。
中央の広場に篝火が焚かれていた。スウリとその両親とニーナ、それにスレイが後ろ手に縛られ、引き据えられている。
彼らを、ウォリ、リャノ、ホラム、ナタルが見張っていた。また、人々も遠巻きにしてそこに居た。
俺が叔母上を伴って近付いていくと、スウリは高い声で、「エウル!」と呼んだ。
「私、何にも知らないわ! これは何かの間違いよ! 公主と居たら、犬達に襲われたの! ううん、公主に犬をけしかけられたのよ!」
立ち上がって俺に駆け寄ろうとし、杭へと繋がれた縄に動きを取られて、また跪く。
「やめろ、スウリ! もうやめるんだ!」
スレイはスウリを怒鳴りつけた。
俺はまず、リャノに目配せして、公主の眠る天幕の護衛を指示した。それからスウリに向き直る。
「かまわない。スウリの言い分を聞こう」
スウリは、目を輝かせた。無邪気ないつもの笑顔だった。
「私、偶然、公主と出会ったの。まさか、あんな宿営地の端にいるとは思わなかったんですもの。私、ちゃんと言いつけを守って、こっちには近付かなかったのよ。
公主に姿を見せるなと言われていたし、私、立ち去ろうと思ったのだけど、公主はあまり牛糞を拾えていないみたいだったから、気の毒で。ほら、公主って、何もできない人でしょう? だから、分けてあげようとしたの。
なのに公主ったら、私の袋を奪って。それで、もみあっていたら、突然犬をけしかけてきたのよ。
公主が怪我をしたのは、犬から逃げようとした時に、誤ってぶつかってしまったからよ。そのせいで、公主は崖から転げ落ちてしまったの。それについては謝罪するわ。ごめんなさい。でも、わざとじゃなかったの。本当よ」
まるであったかのようにすらすらと嘘を並べ立てる。……ああ、こんな人間だったのか。苦い思いでスウリを眺めた。
ハキハキとした、明るい、働き者の娘だと思っていた。……いや、そういう娘だった。スレイの可愛い妹。ルツとレイナの自慢の娘。
スウリに少しも惹かれなかった理由が、わかった気がした。
周囲に守られ、助けられ、思いどおりにいっている時はよくても、こうして思いどおりにならなくなったとたん、こんな卑劣な人間となる。
そんな者と共に、王族の責務を果たしていくことはできない。人生の伴侶になどと、望むはずがなかったのだ。
「おそれながら! 申し上げたき儀がございます!」
スレイは地面に着きそうなほど頭を下げて、叫んだ。
「発言を許す。聞こう」
「我が婚約者ニーナより、スウリと謀って公主を連れ出したと聞いております! また、公主の乗る馬車の車輪に細工をしたのも、スウリであったと」
「嘘! 嘘よ! 嘘! 酷い! 兄さんも、ニーナも、どうしてそんな嘘をつくの!?」
スウリは怒りに目をギラギラさせながら立ち上がろうとして、縄を激しく引っぱって暴れた。
「どうなんだ、ニーナ。おまえは何を見た? 嘘偽りなく話せ」
ニーナは血の気の引いた顔色ながらも、決然と俺を見返した。
「はい。スウリから、公主と話したいことがあると言われ、二人きりで会えるように手引きしました」
「ニーナ! ニーナ! この卑怯者! 嘘ばかり言わないでちょうだい!」
「嘘じゃありません! 車輪のこともそうです! まだ出発前の、王の居留地に居た頃、スレイを探してエウル様の天幕の方へと行きましたら、馬車の傍でスウリがしゃがんでいました。私はてっきり、家畜の仔でも下にもぐりこんだのかと思って、手伝おうと」
「そんなところに、居たことない!」
「居たでしょう!? あわてたように振り返って、持っていた物を隠した! 持っていたのは、小刀だったじゃない! あれで傷を付けていたんでしょう!?」
「嘘! 嘘! 嘘! 嘘! いいかげんにしなさいよ! ニーナこそ、公主に嫉妬していたくせに!
兄さんが公主に優しすぎるって! エウルに疎まれている公主を憐れんでいるうちに、好きになっちゃったらどうしようって!」
「どういうことだ?」
スレイが愕然として呟いた。
「ごめんなさい。不安だったの。公主は可愛らしい人で、あなたが気遣っているのを見て、心がうつってしまったらって……」
「公主を気に掛けていたのは、君が、……君達が、公主の馬車の側に居たのを見たからだよ。
……あの時はただ、君達が俺やエウルに会いに来ただけだと思っていた。馬車の側で暇を潰していただけだと。
だが、あの事故があって、もしやと思った。……スウリがエウルを諦められないのは知っていたからな。
まさかと思いたかった。何かあるなら、その前に俺が阻止しようと思っていた。……それが間違いだった」
スレイは俺に向き直って頭を下げた。そのままの姿勢で言葉を紡ぐ。
「申し訳ございませんでした。するべき報告を怠り、身内を庇い、このような事態となりました。この命一つで贖えるとは思っておりません。どのようなご裁可にも従います」
「違う! 違う! 私は悪くない! 悪いことなんてやってない!」
スウリが身を起こそうと、綱をギシギシと揺らして叫んだ。
「みんな! みんなだまされているのよ! 公主の可愛らしい姿は、みんなを油断させるため! 竜の血の力を使って、エウルに取り入って、ロムランの血を汚そうとしているの!」
「スウリ、黙れ」
もう、聞くに堪えなかった。ロムランの声を放つ。見えない糸で、強く縛める。……壊れる寸前まで。
よくもそれだけでたらめな妄想をふくらませて、人を貶めることができるものだった。
スウリは、はく、と口を動かしはしたが、声を出すことはかなわなくなった。驚愕と恐怖で目を見開く。
「公主に、竜の血の力などない。俺の兄や弟が、ロムランの力が使えないように」
それどころか、現在は、父も叔父も叔母も従兄弟も、支族にも、俺の他は誰一人として、その力が発現した者はいない。一世代に一人出るかでないか。それほどに、めったなことでは現れないものなのだ。
「それが信じられないというのなら、それでもいい。だが、ロムランの声を持つ俺が、竜血に誑かされているとは、聞き捨てならない。それこそロムランの血への冒涜だとわからないのか。
今、おまえが身を以て理解しているだろうこの力が、竜の血の力に劣ると、本当に思っているのか。
どうなんだ、答えろ、スウリ!」
「あ、あーっ、こわいっ、こわいっ! やめてーっ!」
スウリは絶叫してうずくまった。
少し、糸をゆるめてやる。
「正直に言え。おまえは公主に何をした。……何をしようとした?」
「こっちに来たら、もっと牛糞があるよ、て、私のもあげるよって、崖の下から誘って、下りてくるところを後ろから棒で殴った……、殴り、ました。振り返ったところを、もう一回。それで、エウル……様の襟布を取り戻していたら、犬が襲いかかってきて……」
そこでスウリは言葉を途切れさせた。体に力を込めて、ぶるぶると震えている。言わないようにと、力に逆らっているのだろう。けれど、かはっと息を吸うと、悲鳴のように続きを吐き出した。
「殺しそこねたの! 川へ流してしまえば、溺れると思ったのに!」
誰もが息を呑んで、静まりかえった。
意識を失ったまま川に落とされたら、この暗闇の中、救助は難航して、公主は助からなかっただろう。……本当に、ぎりぎりだったのだ。ぞっとした。
スウリは、ぜいぜいと息をして黙り込んだ。もう言うことはないようだった。これ以上聞き出せることはなさそうだった。
叔母上――王の代理人――へ視線をやると、頷かれた。
俺はまわりに集まっている、すべての者を見まわした。目の合った者から、背筋を伸ばしていく。
「耀華公主は、帝国との和平の証として、言葉すら通じず、知る者もいない、我が閻へ、身を捧げるようにして輿入れしてきた人だ。
その彼女を王の許まで届けられないどころか、我が配下の者に殺されたとなれば、俺一人の首では足りないのが、わからなかったのか。
……罰を言い渡す。耀華公主は頭を強く殴られている。明朝を待ち、耀華公主が目覚めなければ、スウリを馬での八つ裂きに、ニーナを縛り首に、ルツ、レイナ、スレイを百回の棒打ちにして、追放する。
耀華公主が目覚めたならば、スウリは百回の棒打ちの後、額に罪人の入れ墨をして、両手首を切り落とし、追放。ニーナは五十回の棒打ちの後、額への入れ墨をして追放、ルツ、レイナ、スレイは三十回の棒打ちの後、追放とする。
異議のある者は、名乗り出ろ!」
見まわしたが、誰一人として身じろぎする者もいなかった。
「明朝、日が壁の頂に当たる頃、罰を与える。
ホラム、ウォリ、ナタル、リャノ。彼らを騒がせぬようにしておけ。絶対に逃がすな。
……以上だ。皆、戻れ!」
俺は、人々が各々の天幕へと帰っていくのを見定めてから、公主の眠る天幕へ戻った。
そういえば、崖の向こう側で見かけたことがあったなと思い出す。巣穴に馬が足を取られると危ないから、近付かなかったのだが、二匹は公主の護衛途中で、これを見つけたのだろう。
狩りは犬の本能だ、しかたないことだった。
「それはおまえたちで食っていいぞ」
俺は苦笑して、公主の怪我に責任を感じているらしい二匹を、順に撫でてやった。ぺたりと伸びていた尻尾が、ゆらゆらと揺れだす。
公主を抱き上げ、馬へと連れて行く。
猿轡をかまされて、荷物のようにウォリの馬に乗せられたスウリを見つけて、公主は怯えて身をすくめた。けれど、俺の馬の傍で心配げに立つミミルを見て、身を乗りだした。
『ミミル! ミミルも襲われたんですか!? 怪我は!? ええと、エウル、ミミルは痛い、ある?』
ミミルと俺の交互にせわしなく向き、早口に帝国の言葉でまくしたてる。どうやら、ミミルも襲われたと思って、心配しているようだ。
「大丈夫だ。ミミルは『いたく、ない』」
ほら、とミミルの前に立って、よく見せてやると、彼女は、ほうと息を吐いて笑んだ。
ミミルは目に涙を浮かべて、いたたまれずに、膝をついて頭を下げた。
「公主、申し訳ございません! 常にお傍に侍り、お守りせねばいけませんでしたのに! お傍を離れ、お怪我までさせてしまい、お詫びのしようもございません!」
公主は戸惑って、俺にすがるような視線を向けてきた。
「いいや、よく機転を利かせてくれた。おまえが残ったのは、ニーナではスウリの味方をするかもしれないと思ったからだな?」
「はい」
「ニーナに馬を使わせなかったのも、もしも、ニーナが呼んできたのが俺達ではなかったら、公主を乗せて逃げるためだろう」
「……はい」
ミミルは一拍遅れて返事をした。うなだれて、顔を上げない。俺の腹心であるスレイの婚約者――公主の侍女として同僚でもある――を、疑った後ろめたさがあるようだった。
「それで、正しかった」
「え?」
ミミルは呆然と顔を上げた。
「ナタル、ミミルを乗せてやれ。共に帰る」
もう行けと示すと、ミミルは一度深く頭を下げてから、ナタルの方へと下がっていった。
「大将、これ」
スウリを見張っているウォリが、手に持った物をひらひらと振った。あの色は俺の襟布だろう。公主に巻いてやったはずの。
「スウリが持っていたんだけど」
「燃やせ」
「承知」
間髪入れずに答えていた。あんな者が触ったものを、自分の首に巻き入れる気になど、なれなかった。
公主は、連れ帰る間中、俺の胸に顔を埋めて、けっして顔を上げようとしなかった。いつもなら、物珍しげにあたりを見まわして目を輝かせているはずだ。どれほど怖い思いをし、痛みが辛いのか、考えるだに胸が痛んだ。
天幕に戻ると、スレイとスウリの両親も連れてこられていた。ものものしく、人もたくさん集まっている。なのに、静かだ。誰もが不安そうに俺達を見ている。
煩わしいそれらが公主の目に入らないように、彼女の肩をしっかり引き寄せ、俺の腕と背中でさえぎったまま、馬から下りた。
ホラムが近付いてきて、馬を引き取ってくれる。
「馬の面倒をよく見てやってくれ。だいぶ手荒に走らせた。それと、公主の容態が落ち着きしだい、詮議する。それまで、ルツの一家を見張っておけ」
命じたとおりに同じ所に立っていた――俺の天幕の前だ――スレイとニーナの前で、立ち止まった。少し、腕をゆるめる。公主が顔を上げた。
本当は、二度と公主の目に触れさせるに値しない者達だ。けれど、だからこそ、思い知れ、と思った。自分達が何をしでかしたのかを。
「ニーナ」
憔悴した様子でスレイに抱かれるニーナを見て、公主は目を見開いて、心配そうな表情になった。何度かニーナに話しかけようとして口ごもり、結局、俺に、『ニーナ、痛い、ある?』と尋ねてくる。
それを聞いて、スレイが眉を曇らせた。ニーナも、何を言われているかわからなくても、罵られていないことぐらいはわかるのだろう。たじろいだ様子だ。
「スレイ、公主が何を言ったか、説明してやれ」
それで何も思わないなら、今後も反省などしないのだろう。
「ミミル、来い。公主の手当ての手伝いをしろ」
再び公主を腕の中に囲い込み、振り返ってミミルだけを呼び寄せて、俺は公主を天幕に運び込んだ。
公主の怪我は頭に集中していた。後ろ頭に瘤と、左側頭部に割れた傷と瘤、それから、前髪に隠れた生えぎわにすり傷。
掌や肘のすり傷は、争ったからというより、倒れた時にできたものだろう。……後ろから襲われ、抵抗できないまま、追撃を受けたとしか考えられなかった。
青白い顔で、どことなく体がぐらぐら揺れていた公主は、手当が終わると、ぐんにゃりとベッドに横たわった。そのまま、意識を失うようにして眠る。
彼女の傍を離れたくなかった。頭を酷く打った者は、その時はなんともなくても、朝には冷たくなっていることがある。魂が抜け出さないよう、抱きしめて、額に唇を当てていたかった。
けれど、『耀華公主』が殺されそうになったのを、無かったことにはできない。
彼女は帝国の皇帝の娘なのだ。和平の証として来た彼女を殺そうとすることは、帝国と閻への反逆となる。事は国際問題だった。
裏切りは、俺の配下で起こった。俺が収めねばならなかった。
自分のものを何か彼女に、と思い、上着を脱いだ。それで彼女を包む。
「耀華公主」
どうか、その体に留まってくれ。願いながら、傷を押さえる布の巻かれた額に、長く口づける。
「ミミル、耀華公主を頼む」
「はいっ。……はいっ、命に替えましても」
ミミルは悲愴なまなざしで返事した。
「ミミル、あなたはよくやってくれた。責任は差配した私にある。あまり思い詰めるんじゃないよ」
叔母上がミミルを励ましていた。
俺は鎧用の上着を取り出して羽織りながら、先に天幕を出た。
中央の広場に篝火が焚かれていた。スウリとその両親とニーナ、それにスレイが後ろ手に縛られ、引き据えられている。
彼らを、ウォリ、リャノ、ホラム、ナタルが見張っていた。また、人々も遠巻きにしてそこに居た。
俺が叔母上を伴って近付いていくと、スウリは高い声で、「エウル!」と呼んだ。
「私、何にも知らないわ! これは何かの間違いよ! 公主と居たら、犬達に襲われたの! ううん、公主に犬をけしかけられたのよ!」
立ち上がって俺に駆け寄ろうとし、杭へと繋がれた縄に動きを取られて、また跪く。
「やめろ、スウリ! もうやめるんだ!」
スレイはスウリを怒鳴りつけた。
俺はまず、リャノに目配せして、公主の眠る天幕の護衛を指示した。それからスウリに向き直る。
「かまわない。スウリの言い分を聞こう」
スウリは、目を輝かせた。無邪気ないつもの笑顔だった。
「私、偶然、公主と出会ったの。まさか、あんな宿営地の端にいるとは思わなかったんですもの。私、ちゃんと言いつけを守って、こっちには近付かなかったのよ。
公主に姿を見せるなと言われていたし、私、立ち去ろうと思ったのだけど、公主はあまり牛糞を拾えていないみたいだったから、気の毒で。ほら、公主って、何もできない人でしょう? だから、分けてあげようとしたの。
なのに公主ったら、私の袋を奪って。それで、もみあっていたら、突然犬をけしかけてきたのよ。
公主が怪我をしたのは、犬から逃げようとした時に、誤ってぶつかってしまったからよ。そのせいで、公主は崖から転げ落ちてしまったの。それについては謝罪するわ。ごめんなさい。でも、わざとじゃなかったの。本当よ」
まるであったかのようにすらすらと嘘を並べ立てる。……ああ、こんな人間だったのか。苦い思いでスウリを眺めた。
ハキハキとした、明るい、働き者の娘だと思っていた。……いや、そういう娘だった。スレイの可愛い妹。ルツとレイナの自慢の娘。
スウリに少しも惹かれなかった理由が、わかった気がした。
周囲に守られ、助けられ、思いどおりにいっている時はよくても、こうして思いどおりにならなくなったとたん、こんな卑劣な人間となる。
そんな者と共に、王族の責務を果たしていくことはできない。人生の伴侶になどと、望むはずがなかったのだ。
「おそれながら! 申し上げたき儀がございます!」
スレイは地面に着きそうなほど頭を下げて、叫んだ。
「発言を許す。聞こう」
「我が婚約者ニーナより、スウリと謀って公主を連れ出したと聞いております! また、公主の乗る馬車の車輪に細工をしたのも、スウリであったと」
「嘘! 嘘よ! 嘘! 酷い! 兄さんも、ニーナも、どうしてそんな嘘をつくの!?」
スウリは怒りに目をギラギラさせながら立ち上がろうとして、縄を激しく引っぱって暴れた。
「どうなんだ、ニーナ。おまえは何を見た? 嘘偽りなく話せ」
ニーナは血の気の引いた顔色ながらも、決然と俺を見返した。
「はい。スウリから、公主と話したいことがあると言われ、二人きりで会えるように手引きしました」
「ニーナ! ニーナ! この卑怯者! 嘘ばかり言わないでちょうだい!」
「嘘じゃありません! 車輪のこともそうです! まだ出発前の、王の居留地に居た頃、スレイを探してエウル様の天幕の方へと行きましたら、馬車の傍でスウリがしゃがんでいました。私はてっきり、家畜の仔でも下にもぐりこんだのかと思って、手伝おうと」
「そんなところに、居たことない!」
「居たでしょう!? あわてたように振り返って、持っていた物を隠した! 持っていたのは、小刀だったじゃない! あれで傷を付けていたんでしょう!?」
「嘘! 嘘! 嘘! 嘘! いいかげんにしなさいよ! ニーナこそ、公主に嫉妬していたくせに!
兄さんが公主に優しすぎるって! エウルに疎まれている公主を憐れんでいるうちに、好きになっちゃったらどうしようって!」
「どういうことだ?」
スレイが愕然として呟いた。
「ごめんなさい。不安だったの。公主は可愛らしい人で、あなたが気遣っているのを見て、心がうつってしまったらって……」
「公主を気に掛けていたのは、君が、……君達が、公主の馬車の側に居たのを見たからだよ。
……あの時はただ、君達が俺やエウルに会いに来ただけだと思っていた。馬車の側で暇を潰していただけだと。
だが、あの事故があって、もしやと思った。……スウリがエウルを諦められないのは知っていたからな。
まさかと思いたかった。何かあるなら、その前に俺が阻止しようと思っていた。……それが間違いだった」
スレイは俺に向き直って頭を下げた。そのままの姿勢で言葉を紡ぐ。
「申し訳ございませんでした。するべき報告を怠り、身内を庇い、このような事態となりました。この命一つで贖えるとは思っておりません。どのようなご裁可にも従います」
「違う! 違う! 私は悪くない! 悪いことなんてやってない!」
スウリが身を起こそうと、綱をギシギシと揺らして叫んだ。
「みんな! みんなだまされているのよ! 公主の可愛らしい姿は、みんなを油断させるため! 竜の血の力を使って、エウルに取り入って、ロムランの血を汚そうとしているの!」
「スウリ、黙れ」
もう、聞くに堪えなかった。ロムランの声を放つ。見えない糸で、強く縛める。……壊れる寸前まで。
よくもそれだけでたらめな妄想をふくらませて、人を貶めることができるものだった。
スウリは、はく、と口を動かしはしたが、声を出すことはかなわなくなった。驚愕と恐怖で目を見開く。
「公主に、竜の血の力などない。俺の兄や弟が、ロムランの力が使えないように」
それどころか、現在は、父も叔父も叔母も従兄弟も、支族にも、俺の他は誰一人として、その力が発現した者はいない。一世代に一人出るかでないか。それほどに、めったなことでは現れないものなのだ。
「それが信じられないというのなら、それでもいい。だが、ロムランの声を持つ俺が、竜血に誑かされているとは、聞き捨てならない。それこそロムランの血への冒涜だとわからないのか。
今、おまえが身を以て理解しているだろうこの力が、竜の血の力に劣ると、本当に思っているのか。
どうなんだ、答えろ、スウリ!」
「あ、あーっ、こわいっ、こわいっ! やめてーっ!」
スウリは絶叫してうずくまった。
少し、糸をゆるめてやる。
「正直に言え。おまえは公主に何をした。……何をしようとした?」
「こっちに来たら、もっと牛糞があるよ、て、私のもあげるよって、崖の下から誘って、下りてくるところを後ろから棒で殴った……、殴り、ました。振り返ったところを、もう一回。それで、エウル……様の襟布を取り戻していたら、犬が襲いかかってきて……」
そこでスウリは言葉を途切れさせた。体に力を込めて、ぶるぶると震えている。言わないようにと、力に逆らっているのだろう。けれど、かはっと息を吸うと、悲鳴のように続きを吐き出した。
「殺しそこねたの! 川へ流してしまえば、溺れると思ったのに!」
誰もが息を呑んで、静まりかえった。
意識を失ったまま川に落とされたら、この暗闇の中、救助は難航して、公主は助からなかっただろう。……本当に、ぎりぎりだったのだ。ぞっとした。
スウリは、ぜいぜいと息をして黙り込んだ。もう言うことはないようだった。これ以上聞き出せることはなさそうだった。
叔母上――王の代理人――へ視線をやると、頷かれた。
俺はまわりに集まっている、すべての者を見まわした。目の合った者から、背筋を伸ばしていく。
「耀華公主は、帝国との和平の証として、言葉すら通じず、知る者もいない、我が閻へ、身を捧げるようにして輿入れしてきた人だ。
その彼女を王の許まで届けられないどころか、我が配下の者に殺されたとなれば、俺一人の首では足りないのが、わからなかったのか。
……罰を言い渡す。耀華公主は頭を強く殴られている。明朝を待ち、耀華公主が目覚めなければ、スウリを馬での八つ裂きに、ニーナを縛り首に、ルツ、レイナ、スレイを百回の棒打ちにして、追放する。
耀華公主が目覚めたならば、スウリは百回の棒打ちの後、額に罪人の入れ墨をして、両手首を切り落とし、追放。ニーナは五十回の棒打ちの後、額への入れ墨をして追放、ルツ、レイナ、スレイは三十回の棒打ちの後、追放とする。
異議のある者は、名乗り出ろ!」
見まわしたが、誰一人として身じろぎする者もいなかった。
「明朝、日が壁の頂に当たる頃、罰を与える。
ホラム、ウォリ、ナタル、リャノ。彼らを騒がせぬようにしておけ。絶対に逃がすな。
……以上だ。皆、戻れ!」
俺は、人々が各々の天幕へと帰っていくのを見定めてから、公主の眠る天幕へ戻った。
0
お気に入りに追加
107
あなたにおすすめの小説
王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】
霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。
辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。
王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。
8月4日
完結しました。
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
【完結】その約束は果たされる事はなく
かずき りり
恋愛
貴方を愛していました。
森の中で倒れていた青年を献身的に看病をした。
私は貴方を愛してしまいました。
貴方は迎えに来ると言っていたのに…叶わないだろうと思いながらも期待してしまって…
貴方を諦めることは出来そうもありません。
…さようなら…
-------
※ハッピーエンドではありません
※3話完結となります
※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています
口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く
ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。
逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。
「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」
誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。
「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」
だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。
妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。
ご都合主義満載です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる