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第4話
カナポリのルシアン1
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応接室に残されたマキシミンとイソレットは、緊張をはらんだ沈黙のうちに、ルシアン王子の様子をうかがっていた。
先程のブラッド王子の態度、『ブラッド』と『ルシアン』、『土・水・木』と『風・火』という稀な組み合わせ。すべての符号がたった一つの可能性を示唆する。
もしも、本当にそうだとしたら。マキシミンは危険と承知しつつ、どうしても問わずにはいられなかった。
「あなたは、カナポリのルシアンをご存知ですか」
庶民に家名などない。家名を持っているのは貴族だけだ。だから、出身地がその代わりとなる。
「カナポリのルシアン?」
ルシアン王子は小首を傾げ、歌うように鸚鵡返しに呟いた。美しい顔がうっすらと微笑み、この世のものとも思えない清らかさを宿す。
だが、二人はその表情を見て、ぞっとした。清らかすぎるそれは穢れなく真っ白で、真っ白すぎて、まるで虚無のようだった。
やがて、王子の唇の両端が均等に吊りあがった。無邪気に、……邪悪に。それはなによりも雄弁な答えだった。
イソレットは息を呑んで己の手を強く握り合わせ、マキシミンはその前に出るようにして彼女を背後に庇った。
「ルシアン、なんだな」
意味深に微笑むだけで答えない王子に、重ねて問う。
「おまえが、劫火の魔人だったんだな」
「そう。俺だよ」
王子は事も無げに肯定した。マキシミンは怒りと悲しみに顔を歪め、声を荒げた。
「おまえ、自分のしたことをわかっているのか!!」
するとルシアンは、ふふっと声を出して楽しそうに笑った。
「うん。わかってるよ。俺がブラッドを殺した」
一片の罪悪感も抱いていない様子に、マキシミンもイソレットも絶句した。そんな二人を機嫌よく眺め、ルシアンは口を開いた。
「あんたには感謝してるんだ、マキシミン。二度とブラッドに近付くなって、あんたたち、えーと、あとはテオとマックスだったよね。良く覚えているんだ。忘れられない。俺の腕を折って森に置き去りにしたことあったよね。俺、危うく死ぬところだったんだけど」
「あれは」
マキシミンはうろたえて、言葉を探すような顔をした。
「うん。殺す気はなかったんだよね。わかってる。あんたたちにそんな根性はない。俺はブラッドの脚を引っ張ってたかもしれないけど、あんたたちはブラッドにぶら下がっていただけだもんね」
小さな鄙びた村。少ない子供。その中で、ブラッドは誰よりも強い、別格の存在だった。単純で朗らかで明るくて傲慢で無神経で鈍くて喧嘩は負け知らずで、でも女に弱い、愛すべきガキ大将。仲間たちは誰もが彼に心酔していた。
「俺、あれで、このままじゃ、ブラッドの傍にもいけないんだって思い知ったんだよ。だから、本気で変わりたいって思ったんだ。ブラッドの隣に立っても文句言われないような男になりたいって。それで、流れの魔法使いについていったんだよ。まあ、ちょっと酷い目にはあったけどね。やられた分はやり返してきたし、それは別にいいんだ。常識も良心も何の役にも立たないってわかったし、なにより必要な禁呪を手に入れられた」
ルシアンはいくつか剣呑な言葉を並べながら、にっこりと満足気に笑った。それに、マキシミンは覚悟を決めた瞳で語りかけた。
「あのことはすまなかったと思っている。悪かった、ルシアン。でも、あれは勝手に俺たちがしたことだろう。ブラッドは、おまえをずっと心配していたんだぞ。王都に来てからも、伝手を使って捜していたんだ。それをおまえは」
「誤解しないで。感謝してるって言っただろ。ブラッドを恨んでなんかいないよ。そんなこと、思ったこともない。ただ、俺もやっと力を手に入れて、ブラッドの噂を聞いて王都に来てみたら、この国の王女様と結婚して、幸せそうに笑ってたんだ。別人みたいになっていて、ますます手の届かない所に行っていた。なんか、それがすごく許せなくて、どうしても許せなくて」
だから、ブラッドを殺したんだ。
ルシアンは蕩けるように笑って、最後まで言葉にせずに途切らせた。
3人の間に沈黙が落ちた。
イソレットが震えた息をこぼす。それにルシアンが優しい目を向けた。
「大丈夫だよ。苦しませたりしなかったから。むしろ楽しそうにしていたよ」
マキシミンはルシアンから目をそらし、やるせなさに大きく息をついた。
確かに、ブラッドが悲嘆や屈辱の中で死んでいくのは想像もできなかった。どんな状況でも笑っていただろうとしか思えない。それでも、彼はたった27歳で死んだのだ。彼には輝かしい未来が待っていたはずなのに。
その感傷をわざと打ち破るように、声が響く。
「カナポリのマキシミン、イソレット」
ルシアンは改めて二人の名を呼んだ。
「我が父ブラッドを未だ忘れず思ってくれているのならば、此度のことは胸の内に秘めておくように。……あんたたちはもう、ブラッドに手が届かない。今、傍にいるのは俺だよ。俺は、奪われるくらいなら、何度でも同じことをするよ」
壮絶なことを口にしながら、後ろ暗さを微塵も感じさせない綺麗な笑みを浮かべる。
力も身分も遠く及ばない二人は、黙ってルシアン王子に頭を下げるしかなかったのだった。
先程のブラッド王子の態度、『ブラッド』と『ルシアン』、『土・水・木』と『風・火』という稀な組み合わせ。すべての符号がたった一つの可能性を示唆する。
もしも、本当にそうだとしたら。マキシミンは危険と承知しつつ、どうしても問わずにはいられなかった。
「あなたは、カナポリのルシアンをご存知ですか」
庶民に家名などない。家名を持っているのは貴族だけだ。だから、出身地がその代わりとなる。
「カナポリのルシアン?」
ルシアン王子は小首を傾げ、歌うように鸚鵡返しに呟いた。美しい顔がうっすらと微笑み、この世のものとも思えない清らかさを宿す。
だが、二人はその表情を見て、ぞっとした。清らかすぎるそれは穢れなく真っ白で、真っ白すぎて、まるで虚無のようだった。
やがて、王子の唇の両端が均等に吊りあがった。無邪気に、……邪悪に。それはなによりも雄弁な答えだった。
イソレットは息を呑んで己の手を強く握り合わせ、マキシミンはその前に出るようにして彼女を背後に庇った。
「ルシアン、なんだな」
意味深に微笑むだけで答えない王子に、重ねて問う。
「おまえが、劫火の魔人だったんだな」
「そう。俺だよ」
王子は事も無げに肯定した。マキシミンは怒りと悲しみに顔を歪め、声を荒げた。
「おまえ、自分のしたことをわかっているのか!!」
するとルシアンは、ふふっと声を出して楽しそうに笑った。
「うん。わかってるよ。俺がブラッドを殺した」
一片の罪悪感も抱いていない様子に、マキシミンもイソレットも絶句した。そんな二人を機嫌よく眺め、ルシアンは口を開いた。
「あんたには感謝してるんだ、マキシミン。二度とブラッドに近付くなって、あんたたち、えーと、あとはテオとマックスだったよね。良く覚えているんだ。忘れられない。俺の腕を折って森に置き去りにしたことあったよね。俺、危うく死ぬところだったんだけど」
「あれは」
マキシミンはうろたえて、言葉を探すような顔をした。
「うん。殺す気はなかったんだよね。わかってる。あんたたちにそんな根性はない。俺はブラッドの脚を引っ張ってたかもしれないけど、あんたたちはブラッドにぶら下がっていただけだもんね」
小さな鄙びた村。少ない子供。その中で、ブラッドは誰よりも強い、別格の存在だった。単純で朗らかで明るくて傲慢で無神経で鈍くて喧嘩は負け知らずで、でも女に弱い、愛すべきガキ大将。仲間たちは誰もが彼に心酔していた。
「俺、あれで、このままじゃ、ブラッドの傍にもいけないんだって思い知ったんだよ。だから、本気で変わりたいって思ったんだ。ブラッドの隣に立っても文句言われないような男になりたいって。それで、流れの魔法使いについていったんだよ。まあ、ちょっと酷い目にはあったけどね。やられた分はやり返してきたし、それは別にいいんだ。常識も良心も何の役にも立たないってわかったし、なにより必要な禁呪を手に入れられた」
ルシアンはいくつか剣呑な言葉を並べながら、にっこりと満足気に笑った。それに、マキシミンは覚悟を決めた瞳で語りかけた。
「あのことはすまなかったと思っている。悪かった、ルシアン。でも、あれは勝手に俺たちがしたことだろう。ブラッドは、おまえをずっと心配していたんだぞ。王都に来てからも、伝手を使って捜していたんだ。それをおまえは」
「誤解しないで。感謝してるって言っただろ。ブラッドを恨んでなんかいないよ。そんなこと、思ったこともない。ただ、俺もやっと力を手に入れて、ブラッドの噂を聞いて王都に来てみたら、この国の王女様と結婚して、幸せそうに笑ってたんだ。別人みたいになっていて、ますます手の届かない所に行っていた。なんか、それがすごく許せなくて、どうしても許せなくて」
だから、ブラッドを殺したんだ。
ルシアンは蕩けるように笑って、最後まで言葉にせずに途切らせた。
3人の間に沈黙が落ちた。
イソレットが震えた息をこぼす。それにルシアンが優しい目を向けた。
「大丈夫だよ。苦しませたりしなかったから。むしろ楽しそうにしていたよ」
マキシミンはルシアンから目をそらし、やるせなさに大きく息をついた。
確かに、ブラッドが悲嘆や屈辱の中で死んでいくのは想像もできなかった。どんな状況でも笑っていただろうとしか思えない。それでも、彼はたった27歳で死んだのだ。彼には輝かしい未来が待っていたはずなのに。
その感傷をわざと打ち破るように、声が響く。
「カナポリのマキシミン、イソレット」
ルシアンは改めて二人の名を呼んだ。
「我が父ブラッドを未だ忘れず思ってくれているのならば、此度のことは胸の内に秘めておくように。……あんたたちはもう、ブラッドに手が届かない。今、傍にいるのは俺だよ。俺は、奪われるくらいなら、何度でも同じことをするよ」
壮絶なことを口にしながら、後ろ暗さを微塵も感じさせない綺麗な笑みを浮かべる。
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