暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
207 / 272
閑話集 こぼれ話

マリーの憂鬱3-1

しおりを挟む
「マリー、そろそろ代わりましょう。今日はソラン様もなかなか起きていらっしゃらないし、あなたも休まないと」

 日はずいぶん高く上がっていた。早起きのソランにしては珍しかったが、戦から帰ってきたのだから当然なのかもしれなかった。今日は午前に急ぎの用事もない。時間の許すかぎりきなだけ眠らせておいてあげたかった。

「いいえ、今日はどうしてもソラン様のお世話をしたいの。やっと帰って来てくださったんですもの。嬉しくて、ぜんぜん眠くないのよ」

 同僚のトリニティカは、夜番用の小部屋でソファに座るマリーの足元にしゃがんで、下から心配げに顔を覗き込んだ。

「でも、目の下が隈になっているわ。体は疲れているのよ」
「ええ、もう少しだけ。ソラン様が起きてきてお着替えされたら、下がることにするわ」

 マリーの熱心さにトリニティカは折れて、苦笑した。

「わかったわ。お願いだから、あまり無理はしないでね」
「ありがとう」

 素直に頷いたマリーに、朝食を持ってきてあげるわね、と約束して彼女は部屋を出て行った。とたんに出そうになったあくびを噛み殺す。

 昨夜は静かなものだった。覚悟していたような声も物音も聞こえなかった。聞こえたら聞こえたで、ものすごい責め苦だったにちがいないが、それでもどうしてもここにいたかったのだ。
 きっと昨日はさすがのケダモノ王子も疲れていたのだろう。マリーだって疲れていた。だけどマリーは、カデナまで迎えに行って、その上一晩寝てないだけだ。彼らはそれ以上のことを長期に渡ってしてきたのだから。

 マリーはぼんやりとお腹をさすった。伊達に体は鍛えていない、私だってまだ大丈夫、と自分に言い聞かせる。
 と、急に部屋の外が騒がしくなった。侍女たちがぱたぱたと走る音がして、トリニティカがあわてたように駆け込んできた。

「ソラン様のお部屋を暖めてご衣裳を用意しておくようにと、殿下からご連絡があったの」
 マリーは、ざっと血の気が引いた。血相を変えて無言で立ち上がって、ソランの寝室に踏み込んだ。暖炉の火はほとんど消えており、部屋は冷え切っていた。なにより人の気配が少しもなく、がらんとしていた。

 やられた、と思った。あの腹黒王子め、隣室に人が控えているのを知っていて、だからソランを自室に連れ込んだのだ。それで……。
 マリーは激しく頭を振って、考えたくもないのに勝手に頭の中を過ぎっていく想像を、追い払おうとした。激しい怒りが湧いてきて、眩暈がした。ふらりとよろけたマリーの体を、トリニティカがあわてて支えてくれた。

「大丈夫!?」
「大丈夫よ。それより、火を熾さないと。それから、そこの暖炉にお湯も掛けておきましょう。体を拭いたいと思われるかもしれないから」

 自分で無意識に言っておいて、後から頭がその内容に追いつき、ショックのあまり吐き気がした。

「拭き布と盥と、あと、ドレスは飾りの少ないゆったりしたものを。今日はゆっくりと過ごされたいでしょうから」
「ええ、わかったわ。ちょっと、マリー、顔が真っ青よ。あなた、もう下がって」
「いいえ」

 マリーの頑なな様子に、トリニティカは怒った声をあげた。

「もう! だったら、ソラン様がいらっしゃったら呼んであげるから、それまで小部屋で横になっていなさい! それだけは譲れないわ!」

 集まってきていた他の侍女たちも、口々にマリーを諌めた。マリーは彼女たちを見まわした。誰もが心配してくれ、そして、仕事に対する気概にあふれていた。
 そう、マリー一人でソランを支えることはできない。ここにいる彼女たちは、全員がソランを裏から支えることに誇りを持っている、いわばマリーの同志たちだ。

 そして、今のマリーは悔しいことに、とてもその仕事に見合う体調ではなかった。倦怠感と吐き気と眩暈で、立っているのがやっとだ。そんな体調の者が、ソランの傍に侍るのは許されない。全部、自分の体調管理がなっていないせいだった。
 マリーはあまりの情けなさに落ち込みながら、無言で頷いたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

処理中です...