暁にもう一度

伊簑木サイ

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閑話集 古語り

遠き日の夢2

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 私は花束を持って、聖堂の前に立っていた。
 王家の墓所のまだ奥にある、宝剣の主のための墓所。
 城のこんな奥深くまで入って来られるのは、『国王の侍従であるクライブ・エニシダ』という身分のおかげだ。きっと、その辺を巡回している衛兵は、いつも王の言い付けで訪れていると思っているだろう。

 聖堂は古びてはいても、創建当時のままを保っている。代々の王が、大切に守り伝えてきたからだ。
 我が言い付けを連綿と守ってきた子孫たちに、よくやったと褒めてやりたいような、従順すぎて自分の考えはないのかと罵ってやりたいような、なんとも言えない気持ちになる。……未だに、なぜここに王都が築かれたのか、様々な憶測が論じられているのを聞く度に。

 東西に対してほぼ大陸の中央に位置し、北はハレイ山脈と大河サランのおかげで攻め込まれにくく、また、水の豊富な豊かな土地を抱えているため、というのが主流の説だ。もっともらしい理屈に、それを耳にすると、笑いたくなる。
 本当の理由は、ただ一つ。この墓所を守るため。王都の名アティアナも、アティスにちなんで付けたものだ。

 扉を開くと、背から入った光が、岩の端を照らし出した。
 ちょうど人が一人横たわれるほどの大きさの岩。聖堂の中にはあるのは、これ一つきりだ。岩の中央部には、十センチほどの細い切れ目が入っている。そこに、あの宝剣が突き刺さっていた。それは、遺体も見つからなかったあれの、まるで墓標のようだった。
 それを目にした時の衝撃を、ここに来る度に思い出す。だから、宝剣の主に腹を立てる度、ここに来る。

 岩の上の枯れた花を取り去り、埃を払ってから、新しい花束を手向けた。

 宝剣の主は、死ぬとここに葬られる。彼を除けば何人たりとも持ち上げることの出来ない剣を、またここに収めておくために。その手に剣を掴んだままここに寝かされ、次の主が来るまで宝剣を抱き続ける。遺体は時を止めたまま、腐りもせず何百年もあり続け、次の主に剣を持ち去られると同時に、塵に返る。
 そう、初めから、宝剣の主は骨の欠片も残さないのだ。

 あの宝剣がここに突き立っているのを見た時、遺体を確認できなくても、あれはもう、本当に戻って来ないのだと理解せざるを得なかった。
 あれが呪いの矢で射られたことは、報告を聞いて知っていた。部隊ごと姿を消したことも。それでも、どこか信じてはいなかった。あれが殺されるはずはないと思っていた。だから、正妃の不穏な動きも、見て見ぬふりをしていた。
 ああ、そうだ、死ぬはずがないと思っていたのだ。あれを失うなど、思いもしなかったのだ。

 あれは本当に良くできた王子で、なにより、人としてとても健やかな子だった。強靭な肉体と寛大な心を持っており、幼い頃から教え諭されたとおりに王国を愛し、同族を愛し、それらを守るために、どんな犠牲も厭わなかった。
 誰もがあの子を褒め称え、惹かれ、愛した。

 あれを失って、呆然とするほどの喪失感を味わった。……しかし、思い知ったのはそれだけではなかった。
 同時に、同じほどの暗い喜びに満たされたのだ。それは、初めて気付かされた、あれに対する殺意だった。気付いたとたん、私は無意識に抱いていた己の望みの汚らわしさに戦慄した。

 なぜ、いつの間にそんなことを望んでいたのか。答えは自分の中にあるはずなのに、何千年もそれを取り出すことができなかった。
 けれど、今生、あれの傍近くに再び生きる機会を得て、答えを見つけた気がしている。

 あれは、人として異質すぎるのではないか。あれほどの才能を持ち、地位を与えられ、並ぶ者のないほどの権力さえ持っていると同じなのに、それらを己のために使おうとは露ほども思わない。まわりの者にうながされ、請われなければ、身を守ろうとすらしないのだ。
 ただ、国のために。民のために。
 それは、人として異常なことではないのか。

 あれは、まるで目を射る光だ。眩しく、それ故に鬱陶しい。そして、光に照らされれば影ができるように、あれの存在は、周囲の人間の心の中に、影を作り出してしまうのだ。
 だから、惹かれ、愛しながらも、畏れ、恐れ、憎まずにはいられなくなる。その死を望むほどに。



 その彼が、ただ一人の女性を欲しいと言いだした。そのために王国にその身を売ると。しかも、彼女が失われたら、この国を血の海に沈め、灰燼に帰すとまで言ってきた。己の命よりも大切にしてきた民草を盾に、女を守ると言うのだ。
 それは引き受けようという位に比べて、なんと身勝手で危うい動機であることか。

 だが、それで初めて、あれの足元にも影があるのだと実感することができた。その影もまた、我々と同じく大地に縫いとめられているのだと。
 いや、縫いとめられてしまったのかもしれない。運命の女によって。ただの男にされてしまったのかもしれない。

 先程廊下で、婚約者を紹介してくれた時の、あれの目つきを思い出す。思わず、腹立たしさに、ふん、と鼻を鳴らす。
 誇らしげで自慢げで、しかもクソ生意気にも、手を出すなと威嚇しおって。

 誰が手を出すか、あんな化け物じみた女! 心に影を持つ者にとっては、目を潰さんばかりの輝かしさではないか。あれを平気で愛せるあれの神経をこそ疑う。
 女神の愛し子、世界の欠片、失われた神、黒の神官、そんな恐ろしい隠し名を持つ女なんぞ、あれでもなければ釣り合うわけもない。

 まったく。どこまでいっても、どれほど生まれ変わっても、あれはあれなのだ。決して失われなどしなかったのだ。
 ――あの、稀なる魂は。

「さあ、もう一仕事するか」

 に、宰相や第一王子と共に、領主たちから軍を取り上げた後の法律を作れと、命じられている。いずれ、領主という制度さえ無くすことを視野に入れたものを。
 壮大な計画だ。たとえどれほどの困難があったとしても、今度こそ、その夢を叶えてみせると決めている。
 ――それが、遠い昔、己があれに示して見せた夢なら、なおさら。

 聖堂から表へと出ると、暗さに慣れた目には眩しくて、思わず眇めてうつむいた。剣を持つには向いていない体が目に入る。

 今生は、女神は、いったいどんな働きを御所望しておられるのやら。

 肩をすくめて苦笑を漏らし、眩しい光の降り注ぐ庭園に踏みだす。私は今の私に科せられた責務を果たすため、王宮に向かった。
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