暁にもう一度

伊簑木サイ

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第十章 バートリエ事変

閑話 『英雄』たちの舞台裏2

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 代われるものなら、代わりたかった。他の者でよいなら、別の誰かに任せていた。それができないからこその、この状況であると理解しているつもりであったのに、心がいうことをきかない。心拍が速まり、じっとりと嫌な汗を掻き、手足は感覚がなくなるほど冷たくなった。

 アティスがエランサ人の女たちを保護すれば、たとえ何もなくとも、ソランの立場を弱くする可能性がある。彼女をその他大勢の女の中の一人にはできない。ソランは、何ものにも代えがたい唯一人の女性として、誰からも認識されなければならないのだから。
 だからと言って、彼女たちを他の男に与えることもできなかった。あれだけの人数の女を与えれば、今回の一番の褒賞になってしまう。

 この事変において、最も名を挙げねばならないのはアティスかソランであり、そのために、手間隙かけてバートリエに壮大な茶番を仕掛けたのだ。しかも、これは単なる足がかりでしかない。先は長く、もっと大きな困難が待ち受けている。この程度で躓くわけにはいかないのだ。

 こんなことを、これから何度繰り返していくのだろう。すべてを投げ出し、ソランだけを攫って、二人だけで生きていけるなら、どんなにいいだろうか。ソランがそんなことは絶対に望まない女だと知っていて、彼は夢想せずにはいられなかった。

 彼女は、泣いている者がいれば、寄り添って慰める。困っている者がいれば、我が事のように手を貸す。己の何を差し置いても、常に領民のために力を尽くそうとする。他者の喜びが彼女の喜びなのだ。

 そんな女に共に逃げてくれなどとは言えない。そんなことを言えば、いっそ涙ながらの説教を喰らうだろう。優しすぎる彼女は、ろくでなしの男など捨ててしまえばいいのだと、思いつきもしないのだろうから。
 アティスにとってソランは、愛しくて愛しくて気が狂いそうに愛しくて、そして、どうしようもなく手に負えない女なのだった。



 スーシャが心配と困惑の表情で部屋から出てきた。

「ソラン様がイアル殿を呼んでおられます。鎧を脱がすのを手伝ってほしいと仰っています」

 イアルがどうするかと判断を仰ぐ視線を送ってくる。

「おまえでは無理なのか?」

 スーシャに問う。たとえイアルであっても、湯の用意をしてあるような部屋に、他の男を入れることはできない。

「領地に伝わる特殊な結び方をしてあると仰っておられました」

 そんなはずはない。確かにイアルが着せ付けたが、変わったことをしているとは見受けられなかった。ソランはどういう理由でか、彼女を遠ざけたかったのだろう。あるいは、イアルに救いを求めたか。
 じり、と胸の奥で嫉妬と彼女の安否を気遣う不安が、体を炙った。

「わかった。では、スーシャは調理室へ行き、新しい湯を沸かして持ってきなさい。せっかくの湯もだいぶ冷めてしまっただろう。持ってきたら、ここで待機しているように」

「かしこまりました」

 彼女が部屋を出て行くのを見送り、アティスは居室の扉をノックすることなく中に入り込んだ。
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