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第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)
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「バートリエにエランサ軍を囲い込んだという知らせが入った」
戻ってくるなり、殿下はそう言った。最速である、狼煙による連絡である。ほんの半日前の出来事だという。詳しいことは、ダニエル・エーランディアが、兵を運ぶ船とともに届けてくれる手筈だ。それも、遅くとも三日後には到着する。
ソファへと席を移し、すぐに出陣の用意を始めるのか尋ねると、急ぐ必要はない、と人の悪い表情で殿下は笑った。
「せいぜい焦らしてやればいい」
バートリエの住民は、とっくに他へ移して中はもぬけの殻であり、そこに大量の食料を持ち込んである。それは殿下の用意した、巨大な罠と餌だった。
「奴らはそれをどうしても持ち帰りたいはずだ。大軍に囲まれているといっても、死ぬ気で身一つで逃げ出せば、人員のいくらかは国に帰れるだろうにな。だが奴らの目的を考えれば、目の前の宝を置いては出て行けないだろうよ。そうこうするうちに兵糧として目減りしていくのは、耐え難い苦痛だろう。人質として交渉できる住民もおらんしな」
生き生きとしてる様子は、策略を詰む大人というよりは、悪巧みを練っている子供のようだ。少々悪戯が過ぎるような気がして、不覚にも敵が不憫に感じられ、窘めるというほどではないが、尋ねてみずにはいられなかった。
「たしか、同盟を結ばれるとお聞きしたのですが?」
「対等である必要はないだろう。むしろ裏切ったらどうなるか、骨身に沁みさせておいた方が良かろうよ」
やはり同盟は結ぶつもりでいるらしい。ならば、
「その食料を持ち帰らせるおつもりなのですね?」
「そうだ」
「では、攻城戦はしないのですね?」
敵が荷物を抱えて我が軍を突破できない以上、あちらは篭城しか策がない。もし攻城戦をしかければ、敵は兵糧を食いつぶしながら抗戦するしかないだろう。食料を持ち帰らせるつもりなら、それは無駄なことだ。
いったい殿下はどうするつもりなのだろう? そして、エランサ軍はどう動くだろう?
ソランは無意識に敵軍の立場になって考えはじめた。
援軍はなく、兵糧はあっても、その他の物資はほとんどない。また、国に帰っても家族と共に飢え死に、帰らなくてもいずれは飢え死にするとしたら、自分ならどうするだろうか。
外には町を囲む大軍。しかも音に聞こえたウィシュタリア軍だ。まともにやって勝てるわけがない。
だとしたら。いくらか交戦して少しでも有利な状態にしてから、第三の道を模索するだろう。相手を殲滅するのは無理だとしても、局所的な勝ちなら、もぎ取れないことはないはずだ。そうしておいて交渉に持ち込む。
交渉が受け入れられないのなら、最悪投降する手もある。ウィシュタリアは、捕虜の扱いには定評がある。だからこそ、昔は紛争の調停役として各国に軍を請われたのだし、ウィシュタリアの軍が来たというだけで、降伏する敵も多かったのだ。
ただし、王族クラスは、時と場合によって、後の禍根とならないように殺されることもある。今回の首謀者も、その覚悟があるならば、そういう道を選ぶこともできるはずだ。そして、それだけの度量のある相手であれば、殿下は赦すのではないか。
思い至った考えを、殿下にぶつけてみる。
「まずは降伏を勧告するのですか?」
「するものか。宣戦布告もなく攻め込んできた相手に、そんな親切なことはしてやらん。そもそも盗賊にそんな情けはいらんだろう」
どうやらソランの推測ははずれたようだ。助言が欲しくなって、殿下の後ろに立つディー殿に視線をやった。が、にこっとして肩をすくめてみせてくれただけだった。
殿下に視線を戻すと、ゆったりとしながらも、いつになく威厳を纏っている。ソランは、はっとしていずまいを正した。
今の殿下は、私人としてではなく、公の立場でいるのだ。話しているのは架空の話ではなく、何日か後には実行に移されることなのだ。
「今回の戦で、必ず成し遂げねばならぬことはなんだ?」
問いかけられて、ソランは目を伏せて一心に考え込んだ。戦が終わった時に、我らが手にしていなければならないもの。それは、
「新王太子領の兵員の掌握」
「そうだ。そのためには、どのように勝たねばならない?」
「圧倒的な勝利。それには、こちらの損害の軽微さも必要でしょうか」
それらは昨夜話してもらったことだった。その答えを口にしている途中で、思いついたこともそのまま述べる。
「そのとおりだ」
ソランの発展させた返答に、殿下は薄く笑んだ。ソランに対してはあたたかいものであったが、それによって表情には凄みがのった。
「大砲を使って城壁を打ち壊す。エランサ軍が来る前に、城壁の下に坑道を掘らせておいたから、砲撃の振動で簡単に崩れ落ちるだろう」
そこまで語った時、扉をノックする音が響いた。
「ジェナスか? 入れ」
「遅くなりまして申し訳ございません」
彼女が副官を伴ってやってきた。
「いいや、急に呼びたてたのはこちらだ。座れ」
殿下はソランの横を指し示した。
「失礼いたします」
彼女は殿下に会釈をし、ソランにも目礼をして隣に座った。
戻ってくるなり、殿下はそう言った。最速である、狼煙による連絡である。ほんの半日前の出来事だという。詳しいことは、ダニエル・エーランディアが、兵を運ぶ船とともに届けてくれる手筈だ。それも、遅くとも三日後には到着する。
ソファへと席を移し、すぐに出陣の用意を始めるのか尋ねると、急ぐ必要はない、と人の悪い表情で殿下は笑った。
「せいぜい焦らしてやればいい」
バートリエの住民は、とっくに他へ移して中はもぬけの殻であり、そこに大量の食料を持ち込んである。それは殿下の用意した、巨大な罠と餌だった。
「奴らはそれをどうしても持ち帰りたいはずだ。大軍に囲まれているといっても、死ぬ気で身一つで逃げ出せば、人員のいくらかは国に帰れるだろうにな。だが奴らの目的を考えれば、目の前の宝を置いては出て行けないだろうよ。そうこうするうちに兵糧として目減りしていくのは、耐え難い苦痛だろう。人質として交渉できる住民もおらんしな」
生き生きとしてる様子は、策略を詰む大人というよりは、悪巧みを練っている子供のようだ。少々悪戯が過ぎるような気がして、不覚にも敵が不憫に感じられ、窘めるというほどではないが、尋ねてみずにはいられなかった。
「たしか、同盟を結ばれるとお聞きしたのですが?」
「対等である必要はないだろう。むしろ裏切ったらどうなるか、骨身に沁みさせておいた方が良かろうよ」
やはり同盟は結ぶつもりでいるらしい。ならば、
「その食料を持ち帰らせるおつもりなのですね?」
「そうだ」
「では、攻城戦はしないのですね?」
敵が荷物を抱えて我が軍を突破できない以上、あちらは篭城しか策がない。もし攻城戦をしかければ、敵は兵糧を食いつぶしながら抗戦するしかないだろう。食料を持ち帰らせるつもりなら、それは無駄なことだ。
いったい殿下はどうするつもりなのだろう? そして、エランサ軍はどう動くだろう?
ソランは無意識に敵軍の立場になって考えはじめた。
援軍はなく、兵糧はあっても、その他の物資はほとんどない。また、国に帰っても家族と共に飢え死に、帰らなくてもいずれは飢え死にするとしたら、自分ならどうするだろうか。
外には町を囲む大軍。しかも音に聞こえたウィシュタリア軍だ。まともにやって勝てるわけがない。
だとしたら。いくらか交戦して少しでも有利な状態にしてから、第三の道を模索するだろう。相手を殲滅するのは無理だとしても、局所的な勝ちなら、もぎ取れないことはないはずだ。そうしておいて交渉に持ち込む。
交渉が受け入れられないのなら、最悪投降する手もある。ウィシュタリアは、捕虜の扱いには定評がある。だからこそ、昔は紛争の調停役として各国に軍を請われたのだし、ウィシュタリアの軍が来たというだけで、降伏する敵も多かったのだ。
ただし、王族クラスは、時と場合によって、後の禍根とならないように殺されることもある。今回の首謀者も、その覚悟があるならば、そういう道を選ぶこともできるはずだ。そして、それだけの度量のある相手であれば、殿下は赦すのではないか。
思い至った考えを、殿下にぶつけてみる。
「まずは降伏を勧告するのですか?」
「するものか。宣戦布告もなく攻め込んできた相手に、そんな親切なことはしてやらん。そもそも盗賊にそんな情けはいらんだろう」
どうやらソランの推測ははずれたようだ。助言が欲しくなって、殿下の後ろに立つディー殿に視線をやった。が、にこっとして肩をすくめてみせてくれただけだった。
殿下に視線を戻すと、ゆったりとしながらも、いつになく威厳を纏っている。ソランは、はっとしていずまいを正した。
今の殿下は、私人としてではなく、公の立場でいるのだ。話しているのは架空の話ではなく、何日か後には実行に移されることなのだ。
「今回の戦で、必ず成し遂げねばならぬことはなんだ?」
問いかけられて、ソランは目を伏せて一心に考え込んだ。戦が終わった時に、我らが手にしていなければならないもの。それは、
「新王太子領の兵員の掌握」
「そうだ。そのためには、どのように勝たねばならない?」
「圧倒的な勝利。それには、こちらの損害の軽微さも必要でしょうか」
それらは昨夜話してもらったことだった。その答えを口にしている途中で、思いついたこともそのまま述べる。
「そのとおりだ」
ソランの発展させた返答に、殿下は薄く笑んだ。ソランに対してはあたたかいものであったが、それによって表情には凄みがのった。
「大砲を使って城壁を打ち壊す。エランサ軍が来る前に、城壁の下に坑道を掘らせておいたから、砲撃の振動で簡単に崩れ落ちるだろう」
そこまで語った時、扉をノックする音が響いた。
「ジェナスか? 入れ」
「遅くなりまして申し訳ございません」
彼女が副官を伴ってやってきた。
「いいや、急に呼びたてたのはこちらだ。座れ」
殿下はソランの横を指し示した。
「失礼いたします」
彼女は殿下に会釈をし、ソランにも目礼をして隣に座った。
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