暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
141 / 272
第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

閑話 花の名前1

しおりを挟む
 大砲の実演を見ていると、ひやりとした殺気がうなじを這いあがった。耳元で囁かれる。

「殿下、我が領主に何かなさいましたか?」

 まさかイアルにまで言われるとは思わなかったが、いざ言われてみると、当然か、という気もした。なにしろこいつはソランの腹心であり、『兄』でもあるらしいから。

「ソランに直接聞け」

 視線は前に据えたまま答える。
 口止めはしてあるから、碌なことは聞けんだろうが、察することはできるはずだ。私が言うより信憑性もあるだろう。たぶん、男の私が何を言っても嘘臭く聞こえるに違いない。
 イアルは人をくった答えに苛立ったのだろう。次には脅しをかけてきた。

「あなたの身勝手な欲望で我が主を振りまわすなら、我等にも考えがあります」
「嫉妬はほどほどにしてくれ。おまえと同じ轍は踏まん。マリーはソランの護衛に連れてこようと思っておったのに、あれにはがっかりさせられたぞ」

 小うるさいので、二重三重に嫌味を言ってやった。考えなしなのは、こいつの方ではないか。ソランの安全が図れるなら、多少の我慢はしようと思っていたものを、マリーがいないせいで、寝所を共にし、挙句にこうなったのだ。むしろ理性の残っていた私を褒めてもらいたいものだ。
 なのに腹立たしいことに、イアルは嫌味を平然と受け流して、小憎らしい返答をよこした。

「それを聞いて安心いたしました。ご無礼をいたしました」

 しかも、お許しくださいとは言わない。普段はそうとは見せないが、性根はどこまでいってもソランの部下であり、私の下に付くつもりはないのだ。だからこそ、ソランの傍に置いているのだが、時々どうにも腹に据えかねることがある。

 こいつにソランへの恋情がないのはわかる。明らかに妻であるマリーへの態度と違うのだ、わからないわけがない。が、その分、遠ざけることもできないし、へこませてやることもできない。言うなれば、小型のティエンだ。私を見る目が舅根性で鬱陶しいのである。

 こいつらを相手にしていると、王族だの王太子だのというものが、肩書きでしかないのを思い知らされる。
 どこの国に、娘を妃に欲しいと目下の者に頭を下げる王子がいるというのか。普通は召し上げるだけだ。むしろ相手は喜んで差し出してきて、娘を選んだことに礼すら述べるのではないか。

 べつに、頭を下げるのが嫌だったわけではない。そのくらいのことでソランが確実に手に入るなら、どうということもない。彼らに言ったことにも嘘偽りはない。
 だが、その感謝の念を凌駕する鬱陶しさがあるのも事実であった。

 イアルの気配が下がる。

 着々と大砲の準備が進められ、その間に渡された耳栓をした。ソランは熱心に見学していて、邪魔をせぬように耳栓とバケツを持ったまま、ジェナスが脇に控えている。
 あれもやっかいな奴だ。朝からソランにべったりとくっつき、離れる素振りが見られない。今も幼子にするように、手ずから耳栓をしてやっている。

 ソランはおとなしくされるがままにしながらも、こちらを向いて、ジェスチャーでさかんに耳栓をしたかと聞いてくる。私を心配するさまは、まったくもって可愛い。その後ろで威嚇するかのごとく睨みつけてくるジェナスも気にならないほどだ。

 しかし、それも束の間、笑んで頷き返せば、ジェナスはソランの耳を塞いで顔の向きを変えさせた。昨夜の『おまじない』といい、手段は姑息だが的確ではある。微妙に腹立たしく、その微妙さ加減がまた苛立たしい。

 あれの心情も、過去にあったことを考えればわからないでもない。神官であったジェナスから仕える神を奪ったのは、宝剣の主だ。主がいなければ、神は失われはしなかったのだろう。だから、憎まれるのは理解できる。
 神の最後のめいが、宝剣の主やその部下たちを守り導けというものだったせいで、今もそれに縛られ、憎む相手に仕えねばならん煩悶も理解できる。
 けれど、だからといって、感じる煩雑さを私が我慢する理由にはならない。

 ……そうではあるのだが。
 ジェナスを質問攻めにしているソランを眺める。いつもならば、彼女に触れていなければ嫉妬で不機嫌になりそうなものだったが、今日はどうしてか落ち着いていられる。
 それはたぶん、昨夜のソランのおかげだろう。

 自分でも口元が勝手にゆるんでくるのがわかって、片手で覆い隠す。
 人前でソランを抱き寄せキスするのは平気でも、ソランとのことを思い出している顔を他人に見られるのは、なんとなくではあるが、さすがに憚られるのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】男爵令嬢は冒険者生活を満喫する

影清
ファンタジー
英雄の両親を持つ男爵令嬢のサラは、十歳の頃から冒険者として活動している。優秀な両親、優秀な兄に恥じない娘であろうと努力するサラの前に、たくさんのメイドや護衛に囲まれた侯爵令嬢が現れた。「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」。一人でも生きていけるようにだとか、追放なんてごめんだわなど、意味の分からぬことを言う令嬢と関わりたくないサラだが、同じ学園に入学することになって――。 ※残酷な描写は予告なく出てきます。 ※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムに掲載中です。 ※106話完結。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【完結】転生少女は異世界でお店を始めたい

梅丸
ファンタジー
せっかく40代目前にして夢だった喫茶店オープンに漕ぎ着けたと言うのに事故に遭い呆気なく命を落としてしまった私。女神様が管理する異世界に転生させてもらい夢を実現するために奮闘するのだが、この世界には無いものが多すぎる! 創造魔法と言う女神様から授かった恩寵と前世の料理レシピを駆使して色々作りながら頑張る私だった。

処理中です...