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第八章 思い交わす時
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不死人であり、ソランの領地の大剣の流派の始祖だったというクアッドは、今生はそれほど大柄な男ではなかった。
ただし、筋骨隆々としており、胴回りも腕や足の太さもソランの倍はあるかに見える。顔も厳つく、赤ん坊なら見て泣くか、取り付かれたように笑うかの、どちらかである面相だ。髪は白髪交じりで、濃い茶色の目が外見に反して柔和で、ソランは祖父に対するような親しみを感じた。
簡単な紹介と挨拶の後、どちらからともなく握手を交わした。がっちりと握り合い、言葉にならない何かを伝えあう。
「感慨深いです。この時を、どれほど待ち望んだか」
彼の言葉は、不思議とソランにも当てはまることだった。彼を前にすると心も体も高揚する。ぜひ手合わせしてみたいと思わずにはいられない。彼は数少ない名手であり強者であった。
それ以上の言葉はいらなかった。自然と間合いを取り、二人は向き合った。突然始まったそれに、まわりも黙って退く。
手渡されていた刃をつぶした剣を構える。これほどの使い手になると、たとえ刃がなくても油断はならない。
もともと大剣は斬るのが目的の武器ではない。殴り倒し、骨ごと断つのが真髄だ。そうであればこそ、刃の有無は関係ない。極めれば、木の棒ででも同じ効力をもたらすことができるようになるのだ。
二人は動かなかった。否、動けなかった。ゆったりと構えつつも、体は瞬時にどのようにも動きだせるように準備していた。
気を張り詰め、お互いの気配を探りあう。少しでも相手が居つけば、それが好機だ。隙を作って誘い込もうなど、できるほどの余裕はなかった。読まれている隙など、返って弱点になるだけだ。
静かに重く時が流れる。誰もが固唾を呑んで見守っていた。
……と。何かが飛んできて、一瞬、二人の間をさえぎった。その瞬間、二人ともお互いに向かって飛び出していた。
ガイン、と鈍い音とともに火花が散る。力では不利と見たソランが流して引き、そこへさらに突き入れてくる剣を避け、相手の伸びた脇に一閃を叩き込もうとした。
が、彼の体はくるりと反転し、ソランの右を通って背後にまわった。同時にソランも彼の軌道と反対にまわり、相対する。
今度は二人とも見合ったままにはならなかった。すぐに踏み込み、激しい剣戟を繰り出した。
高く低く耳障りな金属音が絶え間なく続いたが、二人は声をあげなかった。気勢を込めた声を出すことは、常ならぬ力を発する手段ともなる。今それをすれば、相手に大怪我を負わせることになりかねない。
なるべくかかる力を逃してはいたが、彼の剣は重く、ソランの手は痺れがちだった。それに、何日にもわたる淑女暮らしのせいで、体力も技の切れも落ちている。次第にソランの旗色が悪くなってきた。
ソランはタイミングを計った。恐らくあちらもわかっているだろう。ソランに残された余力はそれほどない。その内でできることなど、いくつもないのだ。
数十合目だった。誘われているのはわかった。それでもソランは気合の声とともに、彼の剣の付け根へと刃を振り下ろした。カッギィンという耳をつんざく音がし、ソランの剣が折れて飛んだ。
反射的に飛び退ったが、そこで片膝をつき、頭を下げる。
「まいりました」
「なんの。こちらこそ」
彼は柄を上にして、根元を指差した。
「亀裂が入っています。これ以上は振るえません」
ザクリと地面に突き立てると、ぽろりと刃が取れ落ちた。
確かに、五分の二ほど残っているソランの剣といい勝負かもしれない。けれど、先に諦めたのはソランだったのだ。
「いいえ、私の負けです」
「納得できませんな。何日もろくに剣も握っていなかった方(かた)に簡単に負けを認められても、嬉しくともなんともありません。私の勝ちと言い張るのでしたら、次の手合わせを所望いたします」
ソランは破顔一笑した。
「もちろんです。望むところです」
彼は歩み寄って、ソランの手を取り、立たせた。お互いを称え合い、いくらか興奮が治まってから、衆人に目を向けた。
そこには、あまりの激しい戦いに度肝を抜かれ、蒼褪めた人々が呆然と立ち尽くしていた。
人々には容赦のない殺し合いにしか見えていなかったのだ。剣の形をした鋼の棒で、破壊の限りをつくすような打ち合いを繰り広げ、しかもその間中、息も乱さなければ声も発しない。
殺気がなく、いたって冷静なのが、またよけいに恐怖を煽った。
その所業の果てに、半刻にも満たない時間で、普通は折ろうと思っても折れない模擬剣が、二つともポッキリいってしまったのである。
それはクアッドが常々指導していた理想どおりの試合であった。
剣は腕で振るうな、体で打ち込むのだ。苦しくても口で息をしてはいけない、相手に拍子を気取られるな。
だが、それが理解でき、実行できる者は、ほんの一握りにすぎない。無理だと思われていたものが、実際に目の前で繰り広げられる驚異。
ソランの剣は、まさに体の一部だった。足が地面を蹴れば、剣にまでその力が乗る。それはクアッドも同じであったが、二人の剣技は似て異なるものだった。
ソランは空を切り裂く風であり、すべてを押し流す水であった。変幻自在に形を変え、一時も留まることがない。対してクアッドは何者も揺るがすことのできない大地であった。その剣は重く、岩のように強固だった。
彼らの動きは美しかったが、それ以上に恐ろしかった。あの剣の前に立てば、一合も受けきることができず、一刀両断されてしまうとしか思えなかったのだ。ほとんどの者が魂を奪われ、時に息すら止めて見入っていた。
故に、あまりの静けさにソランがあたりを見まわした時、目の合った百騎長三人は、雷に打たれたように地面に片膝をついた。頭を垂れる。一斉に、その後ろの兵たちもそれに倣った。
ソランは戸惑って隣のクアッドを見た。彼は肩をすくめて、楽しげに笑った。救いを求めて殿下を振り返ると、軽く頷き、前に出てきた。
「見事な試合だった」
ソランとクアッドは、そろって礼をした。続いて殿下は、視線を遠くに据え、居並ぶ者全員に聞こえるように声をあげた。
「皆の者、頭を上げよ。立って、今日この時に立ち会えた幸運を祝え! 彼らに、祝福を!」
彼らに祝福を! 騎兵たちが立ち上がりながら叫ぶ。もう一度殿下が繰り返すと、拳を振り上げ唱和した。遠巻きに見学していた男たちも声を合わせ、同じく腕を突き上げる。
後は自然に繰り返されて、それは止むことを知らなかった。空気が熱を帯び、世界が揺れる。そのうち、何度目かに言葉が取り替えられた。
「アティス様に祝福を! ソラン様に祝福を!」
二人の名前を全世界に知らしめるように、何度も、何度も。
先程の歓呼とは違っていた。殿下の婚約を祝うだけのものではなく、彼女を認め、受け入れ、誇らしくすら思っている。
ソランは笑みが浮かんでくるのを止められなかった。その喜びを表すことも。だから、笑顔で彼らに合わせ、腹の底から大声をあげた。
「王国に祝福を!」
いつしか変わっていた次の御世を寿ぐ言葉を、拳を振り上げ、彼らと共に繰り返し叫んだ。
ただし、筋骨隆々としており、胴回りも腕や足の太さもソランの倍はあるかに見える。顔も厳つく、赤ん坊なら見て泣くか、取り付かれたように笑うかの、どちらかである面相だ。髪は白髪交じりで、濃い茶色の目が外見に反して柔和で、ソランは祖父に対するような親しみを感じた。
簡単な紹介と挨拶の後、どちらからともなく握手を交わした。がっちりと握り合い、言葉にならない何かを伝えあう。
「感慨深いです。この時を、どれほど待ち望んだか」
彼の言葉は、不思議とソランにも当てはまることだった。彼を前にすると心も体も高揚する。ぜひ手合わせしてみたいと思わずにはいられない。彼は数少ない名手であり強者であった。
それ以上の言葉はいらなかった。自然と間合いを取り、二人は向き合った。突然始まったそれに、まわりも黙って退く。
手渡されていた刃をつぶした剣を構える。これほどの使い手になると、たとえ刃がなくても油断はならない。
もともと大剣は斬るのが目的の武器ではない。殴り倒し、骨ごと断つのが真髄だ。そうであればこそ、刃の有無は関係ない。極めれば、木の棒ででも同じ効力をもたらすことができるようになるのだ。
二人は動かなかった。否、動けなかった。ゆったりと構えつつも、体は瞬時にどのようにも動きだせるように準備していた。
気を張り詰め、お互いの気配を探りあう。少しでも相手が居つけば、それが好機だ。隙を作って誘い込もうなど、できるほどの余裕はなかった。読まれている隙など、返って弱点になるだけだ。
静かに重く時が流れる。誰もが固唾を呑んで見守っていた。
……と。何かが飛んできて、一瞬、二人の間をさえぎった。その瞬間、二人ともお互いに向かって飛び出していた。
ガイン、と鈍い音とともに火花が散る。力では不利と見たソランが流して引き、そこへさらに突き入れてくる剣を避け、相手の伸びた脇に一閃を叩き込もうとした。
が、彼の体はくるりと反転し、ソランの右を通って背後にまわった。同時にソランも彼の軌道と反対にまわり、相対する。
今度は二人とも見合ったままにはならなかった。すぐに踏み込み、激しい剣戟を繰り出した。
高く低く耳障りな金属音が絶え間なく続いたが、二人は声をあげなかった。気勢を込めた声を出すことは、常ならぬ力を発する手段ともなる。今それをすれば、相手に大怪我を負わせることになりかねない。
なるべくかかる力を逃してはいたが、彼の剣は重く、ソランの手は痺れがちだった。それに、何日にもわたる淑女暮らしのせいで、体力も技の切れも落ちている。次第にソランの旗色が悪くなってきた。
ソランはタイミングを計った。恐らくあちらもわかっているだろう。ソランに残された余力はそれほどない。その内でできることなど、いくつもないのだ。
数十合目だった。誘われているのはわかった。それでもソランは気合の声とともに、彼の剣の付け根へと刃を振り下ろした。カッギィンという耳をつんざく音がし、ソランの剣が折れて飛んだ。
反射的に飛び退ったが、そこで片膝をつき、頭を下げる。
「まいりました」
「なんの。こちらこそ」
彼は柄を上にして、根元を指差した。
「亀裂が入っています。これ以上は振るえません」
ザクリと地面に突き立てると、ぽろりと刃が取れ落ちた。
確かに、五分の二ほど残っているソランの剣といい勝負かもしれない。けれど、先に諦めたのはソランだったのだ。
「いいえ、私の負けです」
「納得できませんな。何日もろくに剣も握っていなかった方(かた)に簡単に負けを認められても、嬉しくともなんともありません。私の勝ちと言い張るのでしたら、次の手合わせを所望いたします」
ソランは破顔一笑した。
「もちろんです。望むところです」
彼は歩み寄って、ソランの手を取り、立たせた。お互いを称え合い、いくらか興奮が治まってから、衆人に目を向けた。
そこには、あまりの激しい戦いに度肝を抜かれ、蒼褪めた人々が呆然と立ち尽くしていた。
人々には容赦のない殺し合いにしか見えていなかったのだ。剣の形をした鋼の棒で、破壊の限りをつくすような打ち合いを繰り広げ、しかもその間中、息も乱さなければ声も発しない。
殺気がなく、いたって冷静なのが、またよけいに恐怖を煽った。
その所業の果てに、半刻にも満たない時間で、普通は折ろうと思っても折れない模擬剣が、二つともポッキリいってしまったのである。
それはクアッドが常々指導していた理想どおりの試合であった。
剣は腕で振るうな、体で打ち込むのだ。苦しくても口で息をしてはいけない、相手に拍子を気取られるな。
だが、それが理解でき、実行できる者は、ほんの一握りにすぎない。無理だと思われていたものが、実際に目の前で繰り広げられる驚異。
ソランの剣は、まさに体の一部だった。足が地面を蹴れば、剣にまでその力が乗る。それはクアッドも同じであったが、二人の剣技は似て異なるものだった。
ソランは空を切り裂く風であり、すべてを押し流す水であった。変幻自在に形を変え、一時も留まることがない。対してクアッドは何者も揺るがすことのできない大地であった。その剣は重く、岩のように強固だった。
彼らの動きは美しかったが、それ以上に恐ろしかった。あの剣の前に立てば、一合も受けきることができず、一刀両断されてしまうとしか思えなかったのだ。ほとんどの者が魂を奪われ、時に息すら止めて見入っていた。
故に、あまりの静けさにソランがあたりを見まわした時、目の合った百騎長三人は、雷に打たれたように地面に片膝をついた。頭を垂れる。一斉に、その後ろの兵たちもそれに倣った。
ソランは戸惑って隣のクアッドを見た。彼は肩をすくめて、楽しげに笑った。救いを求めて殿下を振り返ると、軽く頷き、前に出てきた。
「見事な試合だった」
ソランとクアッドは、そろって礼をした。続いて殿下は、視線を遠くに据え、居並ぶ者全員に聞こえるように声をあげた。
「皆の者、頭を上げよ。立って、今日この時に立ち会えた幸運を祝え! 彼らに、祝福を!」
彼らに祝福を! 騎兵たちが立ち上がりながら叫ぶ。もう一度殿下が繰り返すと、拳を振り上げ唱和した。遠巻きに見学していた男たちも声を合わせ、同じく腕を突き上げる。
後は自然に繰り返されて、それは止むことを知らなかった。空気が熱を帯び、世界が揺れる。そのうち、何度目かに言葉が取り替えられた。
「アティス様に祝福を! ソラン様に祝福を!」
二人の名前を全世界に知らしめるように、何度も、何度も。
先程の歓呼とは違っていた。殿下の婚約を祝うだけのものではなく、彼女を認め、受け入れ、誇らしくすら思っている。
ソランは笑みが浮かんでくるのを止められなかった。その喜びを表すことも。だから、笑顔で彼らに合わせ、腹の底から大声をあげた。
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