暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
109 / 272
第八章 思い交わす時

3-4

しおりを挟む
「アーサーとリリアは親子だったのだな。そう言われてみると、髪と目の色が同じだ」

 殿下が二人をたっぷりと見比べ、脈絡もなく言った。

「リリアは妻に似ましたからな」
「二人が親子であることを知っている者は、少ないのであろう? それとも、今回のように私だけが知らなかったのか?」
「いいえ。陛下に王妃陛下、将軍、宰相、エルファリア様、そのくらいでしょうか」
「なぜ、それほどまでして隠した? それは、ソランの前世に関係があるのか?」

 祖父は母に目を遣った。

「何をお知りになりたいのですか?」

 母が尋ねる。

「あなたたちが知っていることをすべて。いや、違うな」

 ソランを振り返り、手を取る。急にはじまった核心に近付く話に、かたく握り締めたそれを、ほぐすように一回り大きい手で包み込む。

「語れぬことは語らなくていい。聞かぬ方が良いこともあろう。ただ、ソランの助けとなることを。頼む」

 母は一度目を瞑り、己の剣の柄に触れた。一呼吸。再び目を開いた時、その瞳には巫女の神秘を宿していた。そこにハレイ山脈の威容が重なって見え、確かにマイラの神威が彼女の上に降りていることを確信する。
 あたりを薙ぎ払う清冽さは、いつか剣を抜いた母を前にして感じた恐怖と通じていた。ソランは気付き、驚いた。女神の神威。それが、彼女の強さの秘密であったのだ。

 女神は与える神であるが、奪う神でもある。すべての命の母であり、生まれせしめ、豊穣と繁栄を与えるが、必ず例外なく生まれた命をくびる神なのだ。厳然とした秩序を守る神。
 母は、その神の負の力を一身に受けている。
 ソランは慄然とした。縊る神の凶器となるなど、人の身にはあまりに過ぎ、並みの精神では耐えられることではない。

「ソランは何を知りたい?」

 母の声ではなかった。いや、母の声であった。だが、そこにのせられた響きに瞠目する。

「女神」

 呟いたソランに、母は厳しい顔で首を横に振った。

「私に女神の言葉を伝える能力はない。それはおまえの祖母の役目だった。私にできるのは敵を屠(ほふ)ること」

 ソランは母に科せられた役目の痛ましさに、奥歯を噛み締めた。

「嘆かなくていい。女神の剣であることは、私の喜びだ」

 ソランは頷いた。同情は彼女を、ひいては女神を貶めることでしかない。神々は人間のことわりを越えたところにる。人の、それも感情を交えた物差しで測ってよいものではない。

「私は」

 失われた神なのか? 違う。そんなことはどうでもいい。そうだったとしても、強大な不思議な力を持っているわけではないのだから。ソランはただの人間でしかない。己の努力によって身につけたものしか、持ってはいない。そうではなくて、最も知りたいのは。

「私は、災いをもたらす存在なのですか?」
「ちがう」

 一瞬の間もなかった。間髪おかず否定される。

「おまえは、祝福の娘。女神の喜び。世界も歓喜しているではないか。祭りの度に、おまえは世界の喜びに共感するだろう。あの歌のとおりだ。世界はおまえの欠片であり、おまえがいることで、まったき姿となるのだ」
「欠片? 世界が? 私ではなく?」

 母は頷いた。

「おまえの欠片だ。世界は失われた神の欠片によって繋ぎ止められているのだから」

 ソランは眩暈を覚え、目を瞑った。無意識に、繋がれた殿下の手を強く握り締めた。

「たとえそうであっても、失われた神は、二度も宝剣のあるじに死を与えました」
「いいや、守ったんだ。殺したのはセルレネレス」
「なぜ」
「嫉妬だ。失われた神は、かの神の最も愛した子だった。だから、心を奪った男を殺した。それだけでは足りず、男の生まれてくるだろう世界も壊そうとした」
「そんなことで」

 胸の中で、突然、何かがひっくり返った。
 そこから嘆きの涙が零れだし、あふれ、揺れる。そのさざなみが、ソランの感情を揺さぶる。それは、ソランのものであってソランのものではない記憶だった。
 悲しかった。ただただ悲しかった。圧倒的なそれに流され、溺れそうになる。

「ソラン」

 いたわる声とともに頬を拭われ、目を開ける。殿下が心配げに顔を覗き込んでいた。
 ――ああ。いつか、こんな気持ちの時に、同じ声に呼ばれた。
 失ったはずの愛しいその声に、しがみつく。
 ソランは体を倒し、殿下の胸元に顔を押しつけた。胸が痛くて痛くて涙が止まらなかった。




 どのくらいそうしていたのだろう。殿下の心音に安心を与えられ、包み込まれる感覚に体がほぐれていく。それにつれて、洪水のような感情は治まり、己が返ってくる。
 ソランは長い息を吐いた。額に口付けを受け、顔を上げる。

「落ち着いたか?」
「はい」

 殿下の微笑みにつられ、ぎこちなく笑った。体を起こし、離れ、鼻を啜る。いつの間にか手渡されていたハンカチはびしょぬれで、最早あまり用をなしていない。恥ずかしさを感じながら、居合わせた人たちに謝った。

「すみません、話の途中で」

 母が横に首を振りながら言った。

「必要だったこと。女神は忘却をくださるが、魂に何も残らないわけではないんだ。それが時に、理由もわからない障害になることがある。殿下にも心当たりがあるはずですね。あなたは矢に狙われると、恐怖に動きが鈍くなられる」
「ああ。そうだ」
「それはセルレネレスの呪いの矢を受けたからです。それによって、あなたは死の痛みをかかえて一昼夜苦しんだ。今はもう、理解できますね?」
「ああ」
「でしたら、二人とも、もう大丈夫です。恐れることは何もありません。あなたたちの上には、常に女神と世界の祝福がある」

 母は剣の柄から手を離した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

処理中です...