暁にもう一度

伊簑木サイ

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第七章 不死人(ふしびと)

3-3

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 殿下の胸元は、マリーや女の子たちを抱きしめるのとは、ぜんぜん違う感触だった。父や祖父の抱擁とも違う。広いそこに囲い込まれていると、感じたこともないほどの大きな安堵に包まれた。
 ソランは満足の溜息を吐いた。男の匂いとしかいいようのないものが鼻腔をくすぐり、体の力が抜けていく。

 だから、じっとして殿下に身を任せていた。とても心が満たされて、何も考えられなかった。うっとりとし、眠たくなってくる。昼間は汗だくになるまで鍛錬をしたし、お酒も入っている。彼女は殿下に取りすがったまま、半分眠りに落ちかけていた。

 ところが。繋いでいた指が離され、その手が背中をゆっくりと撫で上げた。その感覚に、びくりとする。うなじで止められ、支えられて、少し身を離した殿下に、顔を覗きこまれた。
 顔のすべてを見ることができないほど近くで、瞳がかち合う。熱を孕んだそれから視線をそらすことができず、ソランは目を見開いて体を強張らせた。

 得体の知れない焦燥と恐怖に身がすくむ。なのに熱が体を焼きつけて殿下へと留めつけてしまい、逃げ出すことができなかった。
 ――なに? なになになに? なんだろう?
 同じ言葉がぐるぐる頭の中を回る状態で、少し仰向くように殿下を見つめ続けた。
 殿下は微かに眉を顰めた。

「怖がるな。取って喰ったりはせん」

 そして体を離した。ソランは安心と寂しさの両方に同時に襲われた。

「べつに、取って喰われるとは思っていませんが」
「ふうん?」

 どこか小馬鹿にした様子で言う。ソランはむきになって言い募った。

「心地よくてうつらうつらしていたので、急に背中を撫でられて、びっくりしただけです」
「心地よかったのか」

 笑いを含んで聞き返され、大きく頷いた。

「はい。うたた寝をしていて、ベッドに運んでもらうような感じです」

 殿下はソランを見たまま、くっと笑いを零した。次いで、くっくっくっくっと堪え切れずに屈みこむ。手近にあったクッションに顔を埋め、声を殺しているようだった。
 やがて笑い疲れた様子で、殿下はクッションに寄りかかりながら起き上がった。

「私はおまえに随分と信頼されているのだな」
「信頼しておりますよ」

 何を当然のことを言っているのか。ソランは意外に思った。

「そうか」

 殿下は思案気にしながら、置きっ放しだった杯を取り上げ、もう一杯注ぐようにと、ソランへと突き出した。
 ソランは酒瓶を取り、完璧な所作で杯を満たした。じっと見ていた殿下に、どうぞ、という意味で、にこりと笑いかける。

「そうだな。もう少し慣れてもらう必要があるか」

 酒で口を湿らせた殿下は、そう言った。ソランは問い返すように首を傾げた。

「あの程度で一々怯えられては、これから先、婚約者扱いするのに支障が出よう」
「それは」

 ――そうかもしれないが。
 ソランは少し後退った。殿下がムッとした顔をする。

「慣れろと言ったのだが、理解できなかったか」
「でしたら、その、からかって遊ぼうという悪戯心に満ちた目はやめてください」
「からかおうなどと思ってはおらん」

 ――嘘だ。今だって、人の悪い笑みでニヤリとしたではないか。

「誘惑してるだけだ」

 そう言った殿下は、杯の側面にキスをし、ソランに送るように掲げて見せた。
 ソランはその色っぽい仕草に思わず見惚れ、我に返った瞬間、頭に血が上り、真っ赤になった。

 ――この、我儘傲慢いじめっ子王子めー!
 何か言い返したくて口をぱくぱくするのに言葉にならず、真っ赤な顔で睨みつけるソランを見て、殿下はまたもや笑い転げたのだった。
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