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第二章 水の都 王都アティアナ
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食事を終え、居間へ移った。イアルが呼ばれてきて、暖炉前の応接セットに六人で座る。フルーツとチーズ、それに薬草茶が用意された。
「さて、今回の件について摺り合わせをしておくべきだろう」
祖父がお茶で喉を潤し、口火を切った。
「ソラン、おまえの身分は?」
「ジェナシス領の後継者です。お祖母様の血縁者で、お祖父様の養子となりました」
「そうだ。それで今日は私の娘の家族と対面した」
祖父の孫であるということはすっぽり抜け落ちているが、嘘は一つもない。実際、ソランは生まれた時から、望まれた後継者だった。
母が父へ嫁ぐ条件は、第一子を後継者として差し出すこと。そしてそれを前提に、祖父は体の弱かった祖母の代わりに領主となった。
血筋でないものは神官にはなれない。だが、王権を借りれば領主という体裁が整う。新王の即位により、各地の統治者が一新された時、祖父は、祖母とジェナシス領を守るため、領主の地位を願い出た。
それは、いずれ本来の統治者である血筋に返すまでの、苦肉の策。また、そうでなければ領民も従いはしなかっただろう。
「イアル、おまえの身分は?」
「ソラン様の護衛です。アーサー様の縁故で任ぜられました。領主一族の次期頭領であり、ソラン様の後見の意味を持ちます。表向きは軍医の助手です」
ソランが薄々感じ取っていたことをはっきりと口にされ、衝撃を受ける。ソランがいなければイアルは領主となってもおかしくない立場だ。実際、その任に相応する能力も持っている。その彼がソランの補佐をするという。心強く、喜ばしく、そして重かった。
彼の人生も背負う。それを、領民の未来を担うと決めたときより、ずっとはっきりと実感する。
たとえ彼が、選んだのは自分で、俺の人生は俺のものだと言ったとしても。
ソランは無表情を心掛けて、自分に言い聞かせた。
うろたえるな。表に出すな。今さら、ここまできて。
「まるわかり」
ところが、隣に座るイアルに、ぼそりと言われてしまう。
「気のせいだ」
言い張る。認められるわけがなかった。上に立つものとして、それがせめてもの誠意である。
「お姉様、語るに落ちてますよ」
反対隣のルティンがポロリとこぼした。思わず見遣ると、にこっとされた。
答えるならば、なんのことだ、とシラを切らなければならなかったのだと、ようやく気付く。
ソランはカップを取った。冷めて飲み頃のそれをがぶ飲みする。心を落ち着ける時間をかせぐために。
斜め向かいの祖父が何事もなかったように、父に尋ねた。
「ティエン殿、あなたとジェナシス領の関係は?」
「妻の故郷であるというだけで、相続権はありません」
「リリアは?」
「次期領主が指名された時から、私にも相続権はありません」
「ルティン?」
「同じくありません。ただ、それは表向きで、もしお姉様に子がないまま亡くなられるようなことがあれば、世間が継承権第二位と目しているイアル殿ではなく、私か私の子が次の領主とならざるを得ないでしょう」
邪神とも呼ばれるマイラを祀る一族。それは主神セルレネレスを祀る父だけでなく、政治の表舞台に係わるならば、伏せておくべき事柄だった。だからこそ、祖父は祖母を立て、その補佐にまわることができなかったのだ。
王太子が逃げ込んだ地。そこが邪神の神殿領だなどと、知れ渡らせるわけにはいかなかった。都から近い、天然の要塞のようなそこに、たまたま紛れこみ、その徳で以て盗賊を感化し、従わせ、王弟と渡りあう足がかりを得たと、世間にそう信じさせなければならなかった。
「補足はあるかね?」
「お祖父様の立ち位置を」
ルティンが問う。
「私かね? 私はジェナシス領の領主だよ。ジェナスの後継者の守護者。それから、王より宝剣の君の守護を命じられている」
「アティス殿下ですね? その剣が主を選ぶとは本当ですか?」
ソランの知らないことを、ルティンがするりと口にする。ほんの幼い頃からそうである。彼はひけらかしはしないが、同年代の子供たちより聡く賢い。
「本当だ。私とリリアは証人として立ち会ったからね。剣の主以外は、誰も抜けなかったよ」
父が口を挿んだ。
「お母様、それはそれほど特別な剣なのですか?」
「ああ、まあ、抜き身は惚れ惚れするが、地味な拵えだぞ。いつも佩いておられるじゃないか。普通に使っておられるだろう?」
「あれですか!」
「そう、あれだ。今度会ったら、見せてもらえばいい。おまえにも抜けるか試させてもらえばよいだろう。おまえもな、ソラン」
「失礼でしょう。私は結構です」
人の愛剣を軽々しく触るなんて、武人として考えられなかった。
「その方が賢明かもしれないね。なにしろ、因縁付きの剣だから」
父が笑む。
「剣の主は命を狙われる。それで守護がいるのだ」
祖父の言葉に、殿下に会ってからずっと聞きたかったことに、やっと辿り着いた。ソランは急いで質問した。
「因縁の相手は誰なのです?」
「呪いにより不死になった者たちのうちの、裏切り者だ」
「不死?」
ルティンが眉をひそめ、聞き返す。
「そうだ。外見は我らと同じだ。生まれ、育ち、老いて死ぬ。だが、女神マイラの御許へ行けぬ彼らは、前世の記憶を持ったまま生まれ変わるのだ」
ソランは息を呑んだ。重すぎる宿業に胸が塞がれる。女神の元で癒されず生き続けることが、どれほどの苦しみになるのか想像もつかない。ソランがまだ若く、人生の苦しみをほとんど知らない故に、よけいに。それでも、未来永劫、女神から切り離される恐ろしさは分かる。上も下もない暗闇に一人で放り出されるようなものだ。
「なぜそんなことが」
痛みを含んだ声でソランは囁いた。
「二代目の剣の主が殺され、それに関わった者たちに、不死の呪いがかかったのだそうだ。呪いを解くには、二代目の生まれ変わりを待つしかないそうなのだが、待っているうちに、永遠に不死でいたい者たちが出てきたらしくてな。以来、宝剣の主は命を狙われるようになったのだ」
「そうでなくても殿下は敵が多くていらっしゃる。なまじ出来が良いからねえ、皆の目の上のたんこぶなのだよ。本人にその気はないのだがね。だが、欲得に目の眩んだ者どもが、それを信じられるものか。だから、奴らはよけいに疑心暗鬼に駆られて、なんとしても殿下を亡き者にしたいと、やっきになるんだ。……第一王子派、王女派、我が国を脅威に感じている国々、王家の力を削ぎたい大領主たち。他にもありましたかね?」
父が祖父を見遣る。
「とりあえずそんなところだろう。殿下もいささか辟易されていてな。先日の毒殺騒ぎでは農家の子供たちも犠牲になっておるし、御自分が囮になると仰られてな。そんなわけで、警護も薄く見せて、王都の中をふらふらされたり、明後日からの視察へ、殿下御自身がお出でになると決められた」
祖父がソランと目を合わせ、困ったような笑みを浮かべる。
「医術を持った者がお傍にいた方が良いのだが、己の身を己で守れる者がおらんでな。それでは気掛かりで、よけいに危険だと仰って、遠ざけてばかりで、まわりは気を揉んでいたのだ。おまえがお仕えする話が出た時からずっと、危険な任務には連れて行かないと仰っていたのだが、どうやら殿下のおめがねに適ったようだ。我らも影から護衛するが、いざまさかの時は、お傍にいる者が頼りだ。気を抜かぬようにな、ソラン」
「はい」
「イアルも。ソランを頼む」
「承知いたしました」
母が腰を上げ、テーブルに手をつき、屈んでソランの額にキスをした。
「おまえに女神マイラの祝福があらんことを」
同じようにイアルにも施す。
「おまえたちは、私たちの自慢の子供たちだ。己を信じて為すべきことをしてきなさい」
それは、己の神の神殿を離れていても、神官の言葉で。
ソランもイアルも無言で頭を下げたのだった。
「さて、今回の件について摺り合わせをしておくべきだろう」
祖父がお茶で喉を潤し、口火を切った。
「ソラン、おまえの身分は?」
「ジェナシス領の後継者です。お祖母様の血縁者で、お祖父様の養子となりました」
「そうだ。それで今日は私の娘の家族と対面した」
祖父の孫であるということはすっぽり抜け落ちているが、嘘は一つもない。実際、ソランは生まれた時から、望まれた後継者だった。
母が父へ嫁ぐ条件は、第一子を後継者として差し出すこと。そしてそれを前提に、祖父は体の弱かった祖母の代わりに領主となった。
血筋でないものは神官にはなれない。だが、王権を借りれば領主という体裁が整う。新王の即位により、各地の統治者が一新された時、祖父は、祖母とジェナシス領を守るため、領主の地位を願い出た。
それは、いずれ本来の統治者である血筋に返すまでの、苦肉の策。また、そうでなければ領民も従いはしなかっただろう。
「イアル、おまえの身分は?」
「ソラン様の護衛です。アーサー様の縁故で任ぜられました。領主一族の次期頭領であり、ソラン様の後見の意味を持ちます。表向きは軍医の助手です」
ソランが薄々感じ取っていたことをはっきりと口にされ、衝撃を受ける。ソランがいなければイアルは領主となってもおかしくない立場だ。実際、その任に相応する能力も持っている。その彼がソランの補佐をするという。心強く、喜ばしく、そして重かった。
彼の人生も背負う。それを、領民の未来を担うと決めたときより、ずっとはっきりと実感する。
たとえ彼が、選んだのは自分で、俺の人生は俺のものだと言ったとしても。
ソランは無表情を心掛けて、自分に言い聞かせた。
うろたえるな。表に出すな。今さら、ここまできて。
「まるわかり」
ところが、隣に座るイアルに、ぼそりと言われてしまう。
「気のせいだ」
言い張る。認められるわけがなかった。上に立つものとして、それがせめてもの誠意である。
「お姉様、語るに落ちてますよ」
反対隣のルティンがポロリとこぼした。思わず見遣ると、にこっとされた。
答えるならば、なんのことだ、とシラを切らなければならなかったのだと、ようやく気付く。
ソランはカップを取った。冷めて飲み頃のそれをがぶ飲みする。心を落ち着ける時間をかせぐために。
斜め向かいの祖父が何事もなかったように、父に尋ねた。
「ティエン殿、あなたとジェナシス領の関係は?」
「妻の故郷であるというだけで、相続権はありません」
「リリアは?」
「次期領主が指名された時から、私にも相続権はありません」
「ルティン?」
「同じくありません。ただ、それは表向きで、もしお姉様に子がないまま亡くなられるようなことがあれば、世間が継承権第二位と目しているイアル殿ではなく、私か私の子が次の領主とならざるを得ないでしょう」
邪神とも呼ばれるマイラを祀る一族。それは主神セルレネレスを祀る父だけでなく、政治の表舞台に係わるならば、伏せておくべき事柄だった。だからこそ、祖父は祖母を立て、その補佐にまわることができなかったのだ。
王太子が逃げ込んだ地。そこが邪神の神殿領だなどと、知れ渡らせるわけにはいかなかった。都から近い、天然の要塞のようなそこに、たまたま紛れこみ、その徳で以て盗賊を感化し、従わせ、王弟と渡りあう足がかりを得たと、世間にそう信じさせなければならなかった。
「補足はあるかね?」
「お祖父様の立ち位置を」
ルティンが問う。
「私かね? 私はジェナシス領の領主だよ。ジェナスの後継者の守護者。それから、王より宝剣の君の守護を命じられている」
「アティス殿下ですね? その剣が主を選ぶとは本当ですか?」
ソランの知らないことを、ルティンがするりと口にする。ほんの幼い頃からそうである。彼はひけらかしはしないが、同年代の子供たちより聡く賢い。
「本当だ。私とリリアは証人として立ち会ったからね。剣の主以外は、誰も抜けなかったよ」
父が口を挿んだ。
「お母様、それはそれほど特別な剣なのですか?」
「ああ、まあ、抜き身は惚れ惚れするが、地味な拵えだぞ。いつも佩いておられるじゃないか。普通に使っておられるだろう?」
「あれですか!」
「そう、あれだ。今度会ったら、見せてもらえばいい。おまえにも抜けるか試させてもらえばよいだろう。おまえもな、ソラン」
「失礼でしょう。私は結構です」
人の愛剣を軽々しく触るなんて、武人として考えられなかった。
「その方が賢明かもしれないね。なにしろ、因縁付きの剣だから」
父が笑む。
「剣の主は命を狙われる。それで守護がいるのだ」
祖父の言葉に、殿下に会ってからずっと聞きたかったことに、やっと辿り着いた。ソランは急いで質問した。
「因縁の相手は誰なのです?」
「呪いにより不死になった者たちのうちの、裏切り者だ」
「不死?」
ルティンが眉をひそめ、聞き返す。
「そうだ。外見は我らと同じだ。生まれ、育ち、老いて死ぬ。だが、女神マイラの御許へ行けぬ彼らは、前世の記憶を持ったまま生まれ変わるのだ」
ソランは息を呑んだ。重すぎる宿業に胸が塞がれる。女神の元で癒されず生き続けることが、どれほどの苦しみになるのか想像もつかない。ソランがまだ若く、人生の苦しみをほとんど知らない故に、よけいに。それでも、未来永劫、女神から切り離される恐ろしさは分かる。上も下もない暗闇に一人で放り出されるようなものだ。
「なぜそんなことが」
痛みを含んだ声でソランは囁いた。
「二代目の剣の主が殺され、それに関わった者たちに、不死の呪いがかかったのだそうだ。呪いを解くには、二代目の生まれ変わりを待つしかないそうなのだが、待っているうちに、永遠に不死でいたい者たちが出てきたらしくてな。以来、宝剣の主は命を狙われるようになったのだ」
「そうでなくても殿下は敵が多くていらっしゃる。なまじ出来が良いからねえ、皆の目の上のたんこぶなのだよ。本人にその気はないのだがね。だが、欲得に目の眩んだ者どもが、それを信じられるものか。だから、奴らはよけいに疑心暗鬼に駆られて、なんとしても殿下を亡き者にしたいと、やっきになるんだ。……第一王子派、王女派、我が国を脅威に感じている国々、王家の力を削ぎたい大領主たち。他にもありましたかね?」
父が祖父を見遣る。
「とりあえずそんなところだろう。殿下もいささか辟易されていてな。先日の毒殺騒ぎでは農家の子供たちも犠牲になっておるし、御自分が囮になると仰られてな。そんなわけで、警護も薄く見せて、王都の中をふらふらされたり、明後日からの視察へ、殿下御自身がお出でになると決められた」
祖父がソランと目を合わせ、困ったような笑みを浮かべる。
「医術を持った者がお傍にいた方が良いのだが、己の身を己で守れる者がおらんでな。それでは気掛かりで、よけいに危険だと仰って、遠ざけてばかりで、まわりは気を揉んでいたのだ。おまえがお仕えする話が出た時からずっと、危険な任務には連れて行かないと仰っていたのだが、どうやら殿下のおめがねに適ったようだ。我らも影から護衛するが、いざまさかの時は、お傍にいる者が頼りだ。気を抜かぬようにな、ソラン」
「はい」
「イアルも。ソランを頼む」
「承知いたしました」
母が腰を上げ、テーブルに手をつき、屈んでソランの額にキスをした。
「おまえに女神マイラの祝福があらんことを」
同じようにイアルにも施す。
「おまえたちは、私たちの自慢の子供たちだ。己を信じて為すべきことをしてきなさい」
それは、己の神の神殿を離れていても、神官の言葉で。
ソランもイアルも無言で頭を下げたのだった。
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