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お菓子をいただいて、ヴィルへミナ殿下のポンポンあちこちに飛ぶ楽しいお話を聞いているうちに、お茶を二杯飲み干した。殿下のカップも残り少ない。新しいお茶を注ごうとポットの持ち手に手をかけたところで、殿下がカップの上に手をかざして、「もういいわ」と言った。視線がシュリオスに向く。
「さーて、良い頃合いではないかしら? ねえ、どう思う、シュリオス?」
「よろしいかと」
さっきも思ったけれど、今日のシュリオスの態度は慇懃だわ。臣下らしい姿にほっとする。けれど、慇懃すぎて無礼な態度を取りだしたりはしないかと、心配にもなってくる。シュリオスがやったら、普通に失礼な態度を取るより強烈になりそうなんだもの……。
「では、仕事を始めましょうか! ええと、最初はランケイ侯爵家のリチャード、だったかしら?」
「はい」
あら、チェリスのお兄様からなのね。そうか、集まった中では一番爵位が高いものね。
「私が呼んできましょう」
突然のシュリオスの申し出に、殿下がフッと噴き出して、笑みをかき消そうとして変な顔になっている。横を向いて、ごまかすためか咳払いをした。
そうですよね! 過保護ですよね! リチャード様ならよく知っている方だから間違った方を連れてきたりしないし、声を掛けるのに気まずくもないのに! 最初に「社交はしなくてもいい」と言ったそのままを実行しようとしてくれるはありがたいけれど、私だって、シュリオスの妻になる者として、できることはしたいのに。
咳を止めた殿下は顔を戻し――、我慢できなかったらしく、プハッと笑って、開き直ったように言った。
「私を引っ張り出しておいて、それを言うの!? ないわあ!」
「よく考えたら、まわりくどいことをする必要はありませんでした」
まわりくどいこと? 意味がよくわからないわ。きっとシュリオスのことだから、殿下と臣下を取り持つのに、深謀遠慮があるのね。
「兄上」
フレドリック様が手を伸ばして、ツンツンとシュリオスの袖を引っ張った。心配そうな上目遣いをしている。シュリオスは今にも怒濤の反論をしそうだったのに、何も言えなくなったみたいで、口を噤んだ。
ふふふ。血は繋がっていないのに、仲の良い兄弟よねえ。
「計画を変更する要素は、今のところないと思うのよ。――セリナ、リチャード・ランケイを呼んできて」
「はい、ただいま」
シュリオスが気になるけれど、殿下に命じられては、もたもたしていられない。立ち上がって一礼し、任せてちょうだいというつもりで、シュリオスに密かに拳を握ってみせ、すぐに隣の部屋へ向かった。
えーと、リチャード様はどこかしら?
「セリナ様、ランケイ様は哲学書のテーブルに」
スッと近付いてきた侍女に囁かれる。件の集まりは本棚の前であるため、必然的に壁際の奥まった場所にあった。
見遣ると、リチャード様だけでなく、他のお友達のご兄弟や、親戚のお兄様方、夜会で知り合って何度か言葉を交わしてダンスをしたことがある方々もいた。どの方も比較的親しくお付き合いしている方ばかり。少し気が楽になって、そちらへ赴いた。
「セリナ嬢」
誰もがわざわざ席から立って、出迎えてくれる。紳士ですね、皆様! レディに対する気遣いが板についていらっしゃる。
「お話のお邪魔をしまして申し訳ございません」
「ちょうど一息つきたいと思っていたところですよ。あなたが来てくれるなら大歓迎だ」
リチャード様が――彼にそっと声を掛けるつもりで近付いたので、一番に出迎えてくれ、正面に立っている――愛想良く笑んで、私の手を取った。何故かわからない行動に、驚きと不快さでとっさに手を引っ込めかけて、ぐっと我慢する。大勢の人の前で手を振り払えば、恥をかかせてしまう。
優しく気安い方で、妹であるチェリスと同じように私にも接してくださるのはいつものことだけれど、私はもう婚約した身、これからは控えていただかないと、お互いのためによくないだろう。
そっと手を引き抜こうとしたら、むしろ握る手に力を込められた。戸惑っているうちにリチャード様は屈み、私の手の甲に口付けを落とした。
女主人に対する正式な挨拶!? でも今さらだし、大仰だわ! ……っ、しかも長い! 触れるか触れないかが礼儀なのに、まるでシュリオスがからかう時みたいに唇を押しつけている。こんなの失礼極まりない!!
少々強引に手を引き戻した。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。殿下がランケイ様をお呼びです。ご案内をいたします。こちらへ」
声が冷たく響かないように、意識して口角を上げ、ゆっくりと告げた。すぐに踵を返す。
テーブルを避け、壁際に近いところを歩いていった。いくらか行ったところで、後ろから手を取られる。驚いて思わず振り払った。鳥肌が立っていた。このまま背を向けている気になれず――何をされるかわからない――、足を止めて対峙する。
「セリナ嬢」
「むやみと女性に触れるのは、いかがなものかと思います」
「私があなたを愛しているのは伝わっていたはずだ。あなたも憎からず思ってくれているのを私も感じていた。あなたがこんな政略の駒として扱われるのは我慢ならない。どうか私の手を取ってくれ。必ずあなたを守ると誓う」
「えっ? ……ええ?」
何を言われているのかわからない。愛しているのは伝わっていた? 私がこの人を憎からず思っている? え? なにそれ? え?
絶句して、一歩、二歩と下がる。勝手に足が動いていた。もっと下がりたいのを踏みとどまる。本当は走って逃げたい。しかし、そんな醜聞はさらせない。
「さーて、良い頃合いではないかしら? ねえ、どう思う、シュリオス?」
「よろしいかと」
さっきも思ったけれど、今日のシュリオスの態度は慇懃だわ。臣下らしい姿にほっとする。けれど、慇懃すぎて無礼な態度を取りだしたりはしないかと、心配にもなってくる。シュリオスがやったら、普通に失礼な態度を取るより強烈になりそうなんだもの……。
「では、仕事を始めましょうか! ええと、最初はランケイ侯爵家のリチャード、だったかしら?」
「はい」
あら、チェリスのお兄様からなのね。そうか、集まった中では一番爵位が高いものね。
「私が呼んできましょう」
突然のシュリオスの申し出に、殿下がフッと噴き出して、笑みをかき消そうとして変な顔になっている。横を向いて、ごまかすためか咳払いをした。
そうですよね! 過保護ですよね! リチャード様ならよく知っている方だから間違った方を連れてきたりしないし、声を掛けるのに気まずくもないのに! 最初に「社交はしなくてもいい」と言ったそのままを実行しようとしてくれるはありがたいけれど、私だって、シュリオスの妻になる者として、できることはしたいのに。
咳を止めた殿下は顔を戻し――、我慢できなかったらしく、プハッと笑って、開き直ったように言った。
「私を引っ張り出しておいて、それを言うの!? ないわあ!」
「よく考えたら、まわりくどいことをする必要はありませんでした」
まわりくどいこと? 意味がよくわからないわ。きっとシュリオスのことだから、殿下と臣下を取り持つのに、深謀遠慮があるのね。
「兄上」
フレドリック様が手を伸ばして、ツンツンとシュリオスの袖を引っ張った。心配そうな上目遣いをしている。シュリオスは今にも怒濤の反論をしそうだったのに、何も言えなくなったみたいで、口を噤んだ。
ふふふ。血は繋がっていないのに、仲の良い兄弟よねえ。
「計画を変更する要素は、今のところないと思うのよ。――セリナ、リチャード・ランケイを呼んできて」
「はい、ただいま」
シュリオスが気になるけれど、殿下に命じられては、もたもたしていられない。立ち上がって一礼し、任せてちょうだいというつもりで、シュリオスに密かに拳を握ってみせ、すぐに隣の部屋へ向かった。
えーと、リチャード様はどこかしら?
「セリナ様、ランケイ様は哲学書のテーブルに」
スッと近付いてきた侍女に囁かれる。件の集まりは本棚の前であるため、必然的に壁際の奥まった場所にあった。
見遣ると、リチャード様だけでなく、他のお友達のご兄弟や、親戚のお兄様方、夜会で知り合って何度か言葉を交わしてダンスをしたことがある方々もいた。どの方も比較的親しくお付き合いしている方ばかり。少し気が楽になって、そちらへ赴いた。
「セリナ嬢」
誰もがわざわざ席から立って、出迎えてくれる。紳士ですね、皆様! レディに対する気遣いが板についていらっしゃる。
「お話のお邪魔をしまして申し訳ございません」
「ちょうど一息つきたいと思っていたところですよ。あなたが来てくれるなら大歓迎だ」
リチャード様が――彼にそっと声を掛けるつもりで近付いたので、一番に出迎えてくれ、正面に立っている――愛想良く笑んで、私の手を取った。何故かわからない行動に、驚きと不快さでとっさに手を引っ込めかけて、ぐっと我慢する。大勢の人の前で手を振り払えば、恥をかかせてしまう。
優しく気安い方で、妹であるチェリスと同じように私にも接してくださるのはいつものことだけれど、私はもう婚約した身、これからは控えていただかないと、お互いのためによくないだろう。
そっと手を引き抜こうとしたら、むしろ握る手に力を込められた。戸惑っているうちにリチャード様は屈み、私の手の甲に口付けを落とした。
女主人に対する正式な挨拶!? でも今さらだし、大仰だわ! ……っ、しかも長い! 触れるか触れないかが礼儀なのに、まるでシュリオスがからかう時みたいに唇を押しつけている。こんなの失礼極まりない!!
少々強引に手を引き戻した。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。殿下がランケイ様をお呼びです。ご案内をいたします。こちらへ」
声が冷たく響かないように、意識して口角を上げ、ゆっくりと告げた。すぐに踵を返す。
テーブルを避け、壁際に近いところを歩いていった。いくらか行ったところで、後ろから手を取られる。驚いて思わず振り払った。鳥肌が立っていた。このまま背を向けている気になれず――何をされるかわからない――、足を止めて対峙する。
「セリナ嬢」
「むやみと女性に触れるのは、いかがなものかと思います」
「私があなたを愛しているのは伝わっていたはずだ。あなたも憎からず思ってくれているのを私も感じていた。あなたがこんな政略の駒として扱われるのは我慢ならない。どうか私の手を取ってくれ。必ずあなたを守ると誓う」
「えっ? ……ええ?」
何を言われているのかわからない。愛しているのは伝わっていた? 私がこの人を憎からず思っている? え? なにそれ? え?
絶句して、一歩、二歩と下がる。勝手に足が動いていた。もっと下がりたいのを踏みとどまる。本当は走って逃げたい。しかし、そんな醜聞はさらせない。
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