悪役令嬢の見る夢は

伊簑木サイ

文字の大きさ
上 下
24 / 25
番外編

泣かせたい

しおりを挟む
 粗末な小屋の中から、女性の呻き声が、ひっきりなしにしている。
 その小屋の裏でうろうろしては、隙あらば窓から中を覗きこもうとする男の襟首を引っ掴み、ロドリックはずるずると離れた場所へ連れて行った。

「ここに居たって、おまえには何もできることはないんだから、狩り小屋に行ってよう。な」

 彼にしては珍しく優しく――気持ちがわからないこともないので――諭してみたのだが、相手は子供のようにうずくまって、断固行かない意思を示した。

「嫌です。行きません。ここに居たって何もできることはないは誤りです。ここに居ることはできるんです」

 ロドリックは天をあおいだ。お手上げだった。
 うずくまっているラウルの妻が産気づいたのは、未明のことだった。
 産婆は「村」の方に一月も前から招いてある。「狩り小屋」に詰めている護衛が呼びに行き、侍女のマリエラ共々連れてきた。
 ラウルはおろおろしながらも、お湯を沸かしつつ、妻の手を握っていたのだが、「男は部屋から出ておいき!」と一喝されて、小屋から追い出されてしまったのだった。
 それ以来、小屋のまわりをうろうろしては、耐えがたくなると、産屋になっている寝室の窓から、中を覗きこもうとするのだ。

 どうしても何か妻のためにしたいのなら、仕事でもしてろ、とは言えなかった。
 お産は命懸けだ。命を落とすこともある。に間に合わなかったら、とんでもない不幸の中でお嬢様――ロドリックが剣を捧げた貴婦人――を逝かせることになる。

 だったら後は、酒でも飲んで待っているしかないのだが、それは一番はじめに拒否された。
 「何かしなければならない時に泥酔していたら、何もできないでしょう」と、いつもへっぴり腰のラウルにしては、キッとした顔で言ったのだ。

 ロドリックはラウルの旋毛を見下ろした。
 たいてい情けない感じの男。それがラウルだ。今だって、持ち上げられて引きずられていかないように、うずくまっているしかできないでいる男だ。
 初めて紹介された時は、「この男の首を刎ねよ」と侯爵が命じてくれるのではないかと期待した。
 ロドリックが騎士見習いの頃から憧れ、騎士となってからは剣を捧げた貴婦人、侯爵家のお嬢様を汚したのだから。

 お嬢様はしどけないガウン姿で男に寄り添って、微笑んでいた。乱れた髪に、誘うような肌と、赤らんだ目元。寝る前の化粧っ気のない顔のはずなのに、妖艶な雰囲気が増していて、ロドリックはお嬢様を直視できなかった。
 それで、じろじろと男の方を見ることになったのだったが、ズボンは下ろされているし、股間にはお嬢様のネグリジェを掛けられているし、後ろ手に縛られていて、困ったように、へら、と笑う。
 どこからどう見ても、男からどうこうしたというより、お嬢様が何かしたとしか見受けられなかった。

 ……これがまだ、手を取り合って、「愛しあっているんです!」と言われた方が、殺意を覚えなかったかもしれない。
 だが、男はそんな情熱を見せもしなければ、言い訳をしたりもせず、ただただへらへらと状況を受け入れていたのだ。
 これだけの貴婦人を手に入れて、その態度。ロドリックには、それがどうにも許しがたかった。

『娘を傷物にした痴れ者だ。相応の償いをさせる。死なぬよう見張って、働かせよ。逃げ出すようなら殺してかまわない』

 侯爵からそう命じられたのを幸いに、正々堂々殺せる日を待ち望んで、ロドリックは彼を見張ってきた。
 けれど、そうして見られたのは、ヘラヘラしているわりに、老獪に一つ一つ着実に侯爵の命令をこなす姿で。――それも、人生を捧げているとしか思えない態度で。はからずも、行動でその気持ちを見せられてしまったのだった。
 言葉で語られたなら、ここまで信じなかっただろう。しかし、彼はお嬢様の名さえ口にしなかった。
 ただ一度、その口から名前が出たのは、侯爵からお嬢様の窮状を知らされた時。あの時見せた動揺が、本当のこの男の気持ちなのだろうと、悟らないわけにはいかなかった。

 ひときわ酷い呻き声が聞こえてくる。ラウルが、ぎゅっと体を縮める。耳は塞がず、自分の足を抱え込んでいるのだ。
 情けなく無様なことこの上ない姿なのに、逃げ出さない彼を、ロドリックはもう、情けない男だとは思わない。いっそ、よくもここまで恥ずかしげもなく情けない姿をさらせるものだと、感心している。
 こういう強さもあるのだろう。
 命を助けられた恩を別にしても、この男の「部下」として働けることを、今ではまあまあ気に入っているのだった。

「んぎゃーっ、んぎゃーっ、んぎゃーっ」

 赤ん坊の泣き声が響き渡った。ラウルがぱっと顔を上げ、立ち上がろうとして、……転んだ。寝転がって、足をさすって、ロドリックに泣きそうな顔で訴える。

「足がっ、痺れてっ、連れて行ってください!」

 ロドリックは、はー、と溜息をついて、ラウルに手を貸してやった。
 玄関口まで連れて行き、いきなり中には入らないで、自分の妻マリエラを呼ぶ。

「ああ、ちょうどよいところに。ラウル殿、お子様を抱いていてくださいな」

 入っていい許可を得て、暖炉の前で赤ん坊の体を清めてやっているところへ行った。
 おくるみに包まれた子を受け取って、ぼうぜんと凝視しているだけのラウルに、椅子を持ってきてやって座らせる。

 髪の色は、まだ淡くてわからなかった。顔も真っ赤でくしゃくしゃで、どっちに似ているとも言いがたい。強いて言えば、そのへんにいるコウモリに似ているなと、横から覗きこんだロドリックは思った。そんなことを言えば、マリエラに睨まれるのがわかっていたので、黙っていたが。
 マリエラは寝室に戻っていき、暖炉の前は三人だけになった。

 ほー、とラウルが深い吐息をこぼした。それで、はっと我に返って恐れおののいた表情でロドリックを見上げると、「小さいです」と言う。

「レオノーラ様のお体から出て来たんだ。でかかったら困るだろう」
「そうか。そうですね。……どうしよう。ふにゃふにゃしてて……」
「落とすなよ」

 からかったのだが、ラウルはガチンとかたまった。かちこちになったまま、大事そうに子供を抱えて見入っている。寝ているのか起きているのかもわからない赤ん坊は、時折むにむにと顔じゅうを動かしていて、見飽きなかった。

「ラウル殿」

 マリエラに呼ばれて、ラウルはおそるおそるというように寝室に入っていった。赤ん坊はマリエラに引き取られ、レオノーラの横たわるベッドの横で膝をつく。

「あなた」

 声を掛けられた瞬間、ラウルは滂沱と涙を流しはじめた。差し出されてきた彼女の手を両手で握りしめ、それに額を押しつける。

「よかった。……よかった」

 何度もそう言って泣き続ける夫に、レオノーラは、ふふふと上機嫌に笑った。

「とうとうあなたを泣かせてやりましたわ。ご感想はどうかしら?」
「……たぶん、嬉しいと言うんだと思います。心がはちきれそうです」
「そう。よかったわ」
「……子供がかわいかったです」
「ええ。天使のようよね」
「……ありがとうございます、レオノーラ」

 彼の子供を無事に産んだことだけではない、何もかもをひっくるめて、それ以外に言いようのない万感の思いが込められていた。

「どういたしまして」

 彼女は優しく笑って、夫の手を握り返した。

「……ところで、あの子、男の子ですか? 女の子ですか?」
「男の子よ。名前を考えてあげて」

 子供への最初の贈り物は、命は母から、名前は父から。そういう風習の土地柄だ。
 ラウルは父親の自覚をもって、神妙に頷いた。

「とりあえず五十個まで絞りました。近日中に決めます」
「まあ、あなたったら」

 彼女はまた笑った。この上なく楽しそうに。
 それに、ラウルもようやく、心から嬉しそうに笑ったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響
恋愛
仮想敵国の王子に恋する王女コトリは、望まぬ縁談を避けるために、身分を隠して楽師団へ入団。楽器演奏の力を武器に周囲を巻き込みながら、王の悪政でボロボロになった自国を一度潰してから立て直し、一途で両片思いな恋も実らせるお話です。 王家、社の神官、貴族、蜂起する村人、職人、楽師、隣国、様々な人物の思惑が絡み合う和風ファンタジー。 ★作中の楽器シェンシャンは架空のものです。 ★婚約破棄ものではありません。 ★日本の奈良時代的な文化です。 ★様々な立場や身分の人物達の思惑が交錯し、複雑な人間関係や、主人公カップル以外の恋愛もお楽しみいただけます。 ★二つの国の革命にまつわるお話で、娘から父親への復讐も含まれる予定です。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!

utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑) 妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?! ※適宜内容を修正する場合があります

私達、政略結婚ですから。

恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。 それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。

婚約破棄後のお話

Nau
恋愛
これは婚約破棄された令嬢のその後の物語 皆さん、令嬢として18年生きてきた私が平民となり大変な思いをしているとお思いでしょうね? 残念。私、愛されてますから…

処理中です...