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戻ってきました

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 一人で地獄に戻っても関所に阻まれるだけ。

「やはり通行手形がないと通すことはできないようで…」
 バスの運転手さんが申し訳なさそうに言う。
「そうですか」
「バスを置いてゆきます。明日になれば書類をいただけるだろうし、だめだったら人間界に送りますから」
 確かにここならば鬼が来ることもない。運転手さんは一日の仕事を終え、早く門の向こうで一杯飲みたいようだ。
「はい」
 念のためとバスの鍵も渡してくれた。ゾンビものが好きなのでわかっている。バスから出なければいいのだ。第一の門の人間界側だから鬼もいない。

 一人になると途端に寂しい。扉の向こうは賑わっているのだろう。このバスに乗っていたおばあさんたちにマッサージをしてあげたい。地獄に行ってもあの調子なら鬼の素質があると目をかけてもらえるかもしれない。鬼になったらずっと地獄にいるのかな。

 この扉の向こうは温泉街のような賑わいで、ずっと行けばまた門がある。その手前が芯しん亭。見えなくてもそれがわかる。こちらの門も夕方になると閉鎖されるとは知らなかった。
「瑠莉?」
 扉の向こうから一心さんの声がした。
 バスの窓を開けて私も叫ぶ。
「一心さん? ここです」
 痛いけれど右手で石の壁を叩いてみた。
「戻って来たのか?」
 一心さんの声が近くなった。
「はい」
 壁は厚く、壊せそうにない。そもそも、鬼や死人を閉じ込めておくための壁だ。そう簡単には壊せない。
「今日は閻魔様がいないんだ」
 と一心さんが弱々しい声で言う。
「ああ、だから書類が出せないんですね。タイミング悪いな、私」
「すまない」
「いえ。自分の不備なので」
 どうしようもないことだ。
「扉を壊してしまおうか?」
 声を聞いたら妙にほっとした。
「だめですよ。閻魔様に叱られます。もう夜ですか?」
 こっちはずっと薄暗いから時間がわからなくなる。
「ああ。朝までこうしてる」
「いいですって。一心さん、仕事もあるし戻ってください。風邪ひきますよ」
「お前もな」
 一心さんが笑っているのがわかる。
「私はバスの中ですもん」
 それほど寒くもない。気温が一定なのだけは地獄の利点だ。
「俺は半分鬼だし」
「私だって一心さんの血のおかげで健康です」
 ずっと話していたいな。朝になるまで。
「どうして戻ってきた?」
 と一心さんが聞く。
「それは…」
 なんでだろう。体が動いてしまった。人の世界にはもう居づらい。そう言ってしまったら一心さんのせいになる。
「まあ、いい」
「戻ってこないほうがよかったですか? 私がいたら結婚の話になりますもんね」
「それは…。大女将が言うことは絶対だ」
 どういう意味だろう。従うだけで意思はないの?
「一心さん、戻ってください。芯しん亭のみんなが困ってます」
 帳簿などを管理しているのは一心さんだから。
「戻ったほうが心配で仕事もしていられん。話していればお前の生存確認にはなるからな」
「そうですか」
 私はバスの中でうとうと。一心さんも壁に寄りかかって寝ているのだろう。前はこんなところで眠れなかった。生きるほど、図太くなる。これからも生きていれば自分の力を自分で抑えられるようになるだろうか。
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