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悪気なく悪い男

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 閻魔様から使者が来て、一心さんと心角さんは帳場でひそひそ。
「そんな厄介事を持ち込まれても困る」
「しかし、閻魔様からのお願いとあらば大女将も断れないでしょう」
 盗み聞きは厨房からし放題。
「こらっ」
 と料理長に叱られるまでみんなしてしまう。

「厄介事ってなんだろうね?」
 私たちはお膳を拭きながらお皿も準備。私たちか凌平くんがワンセット用意して料理長に確認してもらう。
「魚は角皿に変更。その小鉢は桃色に」
「はい」
 食材や料理によってお皿までこだわる。それもおもてなしだ。
 料理人さんたちは中休みがあるものの、朝と晩ごはんの仕込みや準備に追われる。凌平くんも最初こそはお昼も手の込んだ賄いを作ってくれたが、最近は仕込みが忙しいようでおにぎりやサンドイッチ、おいなりさんなどが多い。ぱっと食べられるし大量に作り置きもできる。気候は地上ほど四季がはっきりしていないらしい。

「すいませーん」
 と声がした。昨日の泊り客を送り出したあと、お昼前のこの時間に来客は珍しい。
「はーい」
 と澪さんが応対する。
 人間としてはいかつい男の人だった。
「聞いています。こちらへどうぞ」
 と一心さんが出迎える。
「お客さん?」
 今里ちゃんが澪さんに聞く。
「違うみたい」
「素敵よね」
 麻美さんの好みらしい。
「そう? 侍みたい」
 ちょっと小汚くて、ぶすっとした感じ。でもすれ違いざまに指を私の小指をさらっと触った。

 ああいう人ってなんていうんだっけ?
「新しく雇う人みたいよ」
「揉めていた件かしらね」
 麻美さんたちは聞き耳を立てることくらいしか面白いことがないのかもしれない。
 話をまとめると、彼は悪い人ではないのだが女の子に惚れられやすく、その扱いも適当で、つまるところ悪気なく悪い男らしい。
 蕪木(かぶらぎ)さんという人で、自分でも、
「この顔だから可愛い子に声をかけるとついて来ちゃうんだよ。そうやって20年、亀太郎さんとやってきた」
 と話したらしい。
「亀太郎さん?」
 凌平くんが聞くのを麻美さんがまた盗み聞き。一番の新人だから洗い物をさせられているようだ。
「尊敬する俺の師匠だ。俺なんてまだま。生粋の女泣かせ、ジゴロっていうのはああいう人を言うんだろうな」
 そうだ、ジゴロだ。思い出したい言葉がわかって、私はすっきり。
「単に女好なだけでしょ?」
 と澪さんは冷ややか。私もちょっと苦手かもしれない。
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