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死にきれない小説家

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 私を井戸に落とそうとして闇に吸い込まれた文子さんが悪いのだが、そうさせてしまったのは自分なので妙に後味が悪い。
 従業員たちは文子さんがいなくても淡々と仕事をこなした。
「あと少しであっちに戻れたのに」
「まぁ結婚ならめでたいじゃない」
 麻美さんと澪さんはたまにそんなことを話していた。
 記憶の改ざんができても私には使えない能力だ。物を盗んで店主に忘れさせる? そんなの死んだときに閻魔様に罪を増やされるだけ。大女将は自分の力が怖くないのだろうか。
 珠絵ちゃんは静かにごはんを口に運ぶ。でもきっとみんな思い出している。私たちのごはんをよそってくれるのはいつも文子さんだった。口は悪いけど、嫌な人じゃなかった。仕事もしっかりやっていた。そんな人を消してしまった。確かに私を突き落とそうとしたとき、憎悪を感じた。それだけの理由なのだろうか。私の手と邪念が化学反応を起こすのかもしれない。そんな手で人が癒せるのだろうか。
「先輩、これ僕が作りました」
 凌平くんがこっそりおかずを足してくれる。
「ありがとう」
「新じゃがです」
 ここに文子さんがいたら、じゃがいものうんちくを話してくれたに違いない。
 花が咲かない代わりに客室の枝木を飾るのも彼女だった。私が消してしまったの。心が痛む。本当に闇落ちした先で幸せになっていたらいいのだけれど。

 一心さんと大女将に呼ばれて、大女将の部屋へ行った。文子さんの荷物の中に私が隠された品々も紛れていたそうだ。
「人が盗んだものは嫌か?」
 一心さんが私に聞く。
「違います。そうではなくて私の部屋に置く場所もないし」
 物に罪はない。少し、黒いもやがかかっている。二人には見えないのだろうか。
「そうか。ならば一旦、俺が預かろう」
「お願いします」
 他には本が一冊と化粧道具のみ。芯しん亭で働き、一心さんが好きだった文子さんに私物は必要なかったのだろうと推測する。無我夢中で働くのが一心さんのため、ひいては彼に愛される自分のためと考えていたのだろうか。
 大女将は仕事のことを気にかけてくれていた。文子さんが抜けたので誰も休めなくなってしまった。
「求人は出してるんだけどね」
 私ももしかして、修行なんて言い包められて、実は単に忙しいから呼ばれたのかもしれない。そうであってほしいのに、文子さんを消してしまった。
 自分の力が恐ろしいのに、もうそれから目も逸らせない。この気持ちを抱えたまま生きてゆくのだ。
 大女将に頼んでこれらの記憶を消してもらおうか。それって、ずるい。
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