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数日も経たないうちにママがむうちゃんを引き取った。むうちゃんはちょっとやつれたけれど、元々が細いわけではないので普通になった。げっそりしていたらこちらも気を使うけれど、見かけも性格も何も変わっていないように思える。
「心配するのは勝手だけど、ユリカが学校から帰ってくるまではどうせ一人なんだよね」
とむうちゃんが言った。
「朝とか夜が心配なんじゃない?」
私はむうちゃんが作って揚げてくれた油だらけのドーナツに粉砂糖をふりかけていた。
「うちのほうが仕事に適してるんだよ。こっちだといろいろなものが足りなくて、今日だって二回も向こうの家に足を運んで、時間の無駄な気がする」
「運動になるね」
ずっと運動不足だと嘆いたからちょうどいい。
むうちゃんはコーヒーとドーナツでちょうどいいかもしれんが、私はドーナツが甘すぎでコーヒーも甘くしたから血糖値が急上昇。子どもが無駄に動くのはこれを発散しているのかもしれない。人間としての自己防衛。私もママのぼつぼつのついた、これで体をこすると痩せるらしいものを無駄にぶんぶん振り回した。
「まあ、楽しいけど。ユリカと一緒にいれるし。でも朝食作らされたり、使われてる気がするんだよね」
ママなりにむうちゃんには普通の生活を送ってほしいのだ。
「仕事、ちょっと休むんじゃなかった?」
私は聞いた。
「でもやってないと、余計にたーくんのこと考える」
「もういないんだよね。骨になったんだよね」
しかも遠い場所にいる。
「そう」
「連絡取ってるの?」
あの体がこの世にもうない感覚がちっともわからん。ほら、いつもみたいに電話をしてきてよ。あれがない、これはどこ? って。
「たーくんの家族と?」
「うん」
「してない」
夢生ちゃんは首を振った。
「ママが嫌がるから?」
もう金輪際、あの家族とは関わらないと断言していた。
「ううん」
「私、思うんだけど…」
「言ってごらん」
「ママはたーくんのご家族のことを悪く言うけど、私たちが憎むべきなのはたーくんを殺した女の人じゃない? あちらのご家族とは同じくくりで、一緒に戦うべきじゃないかな?」
これから裁判があるらしい。たーくんはいないのに。
「向こうは田舎だからね。息子が殺されたんだから、あんなふうになるのもわかる。近所で噂になってるんだよ。そういうのを忌み嫌う人たちもいるの」
さっぱりわからん。報いとか穢れとか、こじ付けてしまうのだろうか。
「むうちゃんは誰を恨んでるの? たーくん? それとも犯人?」
私は尋ねた。
「誰かを恨んでもたーくんは戻らないからね。寂しいけど、無意味なことはしない」
でも二人の生活が奪われたことは確かだ。
「犯人は、殺したいほどたーくんのことが好きだったの?」
「さあね」
「捜査の進展ない?」
「仕事するね」
うちが広いことを恨んだ。むうちゃんには部屋が与えられてしまって、そこに引きこもってしまえばこちらもずかずか踏み込めない。本当に仕事をしているのだと思う。手をだいぶ汚しているから。こんなときに仕事なんてしなくていいのに。だからママが引き取ったのに。働かなくたってむうちゃんは生きていける蓄えがあるかもしれない。でもごはんを食べて、寝てほしいのだ。たーくんのことは忘れられるはずがない。でもむうちゃんに死なれては困るから、嫌だから、ママは目の届くところに置いたのだろう。
むうちゃがいてもママと父は変わらなかった。ママはともかく、父は他人なのに偉いな。仕事帰りにお菓子を買ってくることが増えたくらいだ。むうちゃんがいると私は宿題を怠らないいい子を演じた。むうちゃんは私の隣に座り、テレビを見たりゲームをした。10時半頃になると、
「そろそろ寝ようか」
と言い、ドラマがいい展開でも部屋に戻った。
「まだ眠くないよ」
ドラマの続きが気になる。
「昨日、金縛りにあったから、今日はユリカの部屋で寝ようかな」
「それならいいよ」
むうちゃんは私の広くない部屋に大きな白い布団を持ち込んで、
「おやすみ」
ととっとと寝てしまう。たーくんが生きていたときも、たーくんが旅行に行ってしまったときはこうやって私の部屋に来た。むうちゃんが悲しくわけない。苦しくないわけない。たーくんのバカ、バカ。浮気だけならケンカで済んだかもしれない。どうして刺されちゃったのよ。むうちゃんはきっと今、息をすることにさえ嫌悪感を抱いているよ。だってたーくんはもうしていないんでしょ? むうちゃんを金縛りに遭わせていないで、その姿を現してよ。
たーくんを殺した人ってどんな人なんだろう。むうちゃんに似ていたら嫌だな。たーくんを好きなその人は気づいてしまったのかもしれない。たーくんがむうちゃんを好きで、むうちゃもたーくんが好きなこと。二人の間には入れないことを理解し、たーくんを殺した。たーくんが死んでしまって、二人の愛の形は変わったかな。その悪い人は、後悔しているのかな。まさか、その人も絵に携わる人なのではないだろうか。
むうちゃんがうちにいてもママは相変わらず化粧が濃いし、父にはいつも女の人の影があった。私は普通で、むうちゃんも平然としていた。たーくんのことなんて気にしていないようだった。でもたまに警察やたーくんの家族から連絡が来て、そのたびにむうちゃんはすごく切ない顔をした。
「心配するのは勝手だけど、ユリカが学校から帰ってくるまではどうせ一人なんだよね」
とむうちゃんが言った。
「朝とか夜が心配なんじゃない?」
私はむうちゃんが作って揚げてくれた油だらけのドーナツに粉砂糖をふりかけていた。
「うちのほうが仕事に適してるんだよ。こっちだといろいろなものが足りなくて、今日だって二回も向こうの家に足を運んで、時間の無駄な気がする」
「運動になるね」
ずっと運動不足だと嘆いたからちょうどいい。
むうちゃんはコーヒーとドーナツでちょうどいいかもしれんが、私はドーナツが甘すぎでコーヒーも甘くしたから血糖値が急上昇。子どもが無駄に動くのはこれを発散しているのかもしれない。人間としての自己防衛。私もママのぼつぼつのついた、これで体をこすると痩せるらしいものを無駄にぶんぶん振り回した。
「まあ、楽しいけど。ユリカと一緒にいれるし。でも朝食作らされたり、使われてる気がするんだよね」
ママなりにむうちゃんには普通の生活を送ってほしいのだ。
「仕事、ちょっと休むんじゃなかった?」
私は聞いた。
「でもやってないと、余計にたーくんのこと考える」
「もういないんだよね。骨になったんだよね」
しかも遠い場所にいる。
「そう」
「連絡取ってるの?」
あの体がこの世にもうない感覚がちっともわからん。ほら、いつもみたいに電話をしてきてよ。あれがない、これはどこ? って。
「たーくんの家族と?」
「うん」
「してない」
夢生ちゃんは首を振った。
「ママが嫌がるから?」
もう金輪際、あの家族とは関わらないと断言していた。
「ううん」
「私、思うんだけど…」
「言ってごらん」
「ママはたーくんのご家族のことを悪く言うけど、私たちが憎むべきなのはたーくんを殺した女の人じゃない? あちらのご家族とは同じくくりで、一緒に戦うべきじゃないかな?」
これから裁判があるらしい。たーくんはいないのに。
「向こうは田舎だからね。息子が殺されたんだから、あんなふうになるのもわかる。近所で噂になってるんだよ。そういうのを忌み嫌う人たちもいるの」
さっぱりわからん。報いとか穢れとか、こじ付けてしまうのだろうか。
「むうちゃんは誰を恨んでるの? たーくん? それとも犯人?」
私は尋ねた。
「誰かを恨んでもたーくんは戻らないからね。寂しいけど、無意味なことはしない」
でも二人の生活が奪われたことは確かだ。
「犯人は、殺したいほどたーくんのことが好きだったの?」
「さあね」
「捜査の進展ない?」
「仕事するね」
うちが広いことを恨んだ。むうちゃんには部屋が与えられてしまって、そこに引きこもってしまえばこちらもずかずか踏み込めない。本当に仕事をしているのだと思う。手をだいぶ汚しているから。こんなときに仕事なんてしなくていいのに。だからママが引き取ったのに。働かなくたってむうちゃんは生きていける蓄えがあるかもしれない。でもごはんを食べて、寝てほしいのだ。たーくんのことは忘れられるはずがない。でもむうちゃんに死なれては困るから、嫌だから、ママは目の届くところに置いたのだろう。
むうちゃがいてもママと父は変わらなかった。ママはともかく、父は他人なのに偉いな。仕事帰りにお菓子を買ってくることが増えたくらいだ。むうちゃんがいると私は宿題を怠らないいい子を演じた。むうちゃんは私の隣に座り、テレビを見たりゲームをした。10時半頃になると、
「そろそろ寝ようか」
と言い、ドラマがいい展開でも部屋に戻った。
「まだ眠くないよ」
ドラマの続きが気になる。
「昨日、金縛りにあったから、今日はユリカの部屋で寝ようかな」
「それならいいよ」
むうちゃんは私の広くない部屋に大きな白い布団を持ち込んで、
「おやすみ」
ととっとと寝てしまう。たーくんが生きていたときも、たーくんが旅行に行ってしまったときはこうやって私の部屋に来た。むうちゃんが悲しくわけない。苦しくないわけない。たーくんのバカ、バカ。浮気だけならケンカで済んだかもしれない。どうして刺されちゃったのよ。むうちゃんはきっと今、息をすることにさえ嫌悪感を抱いているよ。だってたーくんはもうしていないんでしょ? むうちゃんを金縛りに遭わせていないで、その姿を現してよ。
たーくんを殺した人ってどんな人なんだろう。むうちゃんに似ていたら嫌だな。たーくんを好きなその人は気づいてしまったのかもしれない。たーくんがむうちゃんを好きで、むうちゃもたーくんが好きなこと。二人の間には入れないことを理解し、たーくんを殺した。たーくんが死んでしまって、二人の愛の形は変わったかな。その悪い人は、後悔しているのかな。まさか、その人も絵に携わる人なのではないだろうか。
むうちゃんがうちにいてもママは相変わらず化粧が濃いし、父にはいつも女の人の影があった。私は普通で、むうちゃんも平然としていた。たーくんのことなんて気にしていないようだった。でもたまに警察やたーくんの家族から連絡が来て、そのたびにむうちゃんはすごく切ない顔をした。
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