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珍しく父が先に帰って来ていた。
「おかえり」
「ただいま。早いね」
「明日から忙しいから」
「そう」
父の仕事のことに興味もないし、わからない。量っている。計っているのかもしれない。いや、測っているのかな。
「むうちゃんとたーくんは元気だった?」
「うん。相変わらず忙しそうよ」
「そうか」
父は無趣味だから、絵描きの二人のことが羨ましそうだ。無趣味だけれど、女遊びは激しいらしく、そのことでママとしょっちゅう衝突している。年に一度くらいママは噴火する。学ばない父を愚だと思う。
母は、買付けの仕事をしていた。陶器から雑貨まで幅広く、独身の頃は毎月海外に出向いていたそうだ。今は主に国内で、若い芸術家のものを店舗やネットで販売している。母はむうちゃんと違い、気持ちが移りやすく軽い感じで、なんとなく好きじゃない。むうちゃんはどすんとしている。芯が一本通っている。漫画だけで生きる決意をとっくにしていて、そのことに恥じていない。当然と受け止めて、畏まってもいない。
「ごめーん」
と母が7時過ぎに帰宅した。
「お腹すいた」
「なにも用意してないの?」
「冷蔵庫、なにもないよ」
父とママはまた火種を至近距離に引き寄せた。どちらかが少しでも声のトーンを変えたなら、その間近に迫った火種に着火し、火事ではなく爆発するだろう。
「外に行こうか?」
母が言った。
「うん、そうしよう」
「あそこのファミレスが潰れてイタリアンになったんだっけ?」
「イタリアンねえ」
ママと父の会話はどちらかに答えを求めている。先に進もうとしていない。どちらかに委ねる。味が悪ければ、言い出したほうに責任を押しつけられるからだ。
「ユリカ、イタリアンでいい?」
私は頷いた。外食は好きじゃないの。手抜きの感じがする。ママはそのことを知らない。ママのおいしくないチャーハンのほうがよっぽどまし。別に親の愛情に飢えているわけじゃない。一人っ子だし、両親は強く私を愛してくれている。でも疑問にも思うのだ。私を愛するふりをして、二人は目に見えないなにかを守っている感じがする。
イタリアンといってもファミレスに毛が生えた程度のもので、まだオープンして一ヶ月なのに客がまばらであることが私を不安にさせた。そして案の定、パスタもドリアもいまいち。麺が引っ付くことなんてママの料理でさえない。ドリアも味が濃いところと薄いところがあって、冷凍食品のほうが格段にうまい。ママは仕事の愚痴を言って、父はうんうんと頷いていた。こんなのが幸せの形だったらちょっと笑える。でも実際に、この三人が痛みを感じていなければそれだけで幸せなのかもしれない。頭、腰、膝、胸のどこも痛くない。私は下っ腹が痛いけれど、これもいつしか日常になる。おいしくないはずのミートソースがちょっとおいしくなった。三角形のプリンのケーキはもっとおいしかった。
ケンカを回避した両親を見ていると、ケンカをするほうがまだ相手に期待をしているのだと思う。ママと父はもう諦めてしまっている。だったら一緒にいなきゃいいのにと思うけれど、私のためにと我慢をしているのだから申し訳ない。むうちゃんとたーくんはどうなのだろう。互いに不満を抱えているのだろうか。その都度、解決をするようなタイプではない。
店から出たらきれいな星空が目に映っているはずなのに、ママはまだ愚痴をやめないし、父も同意でもない頷きを繰り返すばかりだ。
「星がきれいだね」
と言えばママは上下しっぱなしのその口を閉じるかもしれないのに。
星ってタダなのにきれいだ。寒いけど、きれい。鼻水をすすって父の車に乗り込んだ。
両親が言い合いをしないことに安堵して寝る子どもがどれだけいるのだろう。我慢できなくなったら児童相談所もあるし、ネットに書き込んでもいい。体に溜め込んではいけない。それに私にはむうちゃんがいる。叔母さんという感覚は乏しいけれど、大事な人。そして、いつでも頼れる人。話を聞いてくれて、答えに近いものを与えてくれる人。
眠るときに、今日も無事に終わったと思うようにしている。思えずに死んでしまう人もいるのでしょうから。芸術家とか、ちょっと面倒臭い両親が近くにいるけれど、私はそれらに過剰に反応することなく、いろんなことに鈍感で生きていた。これからもそうやって、身長や足が大きくなり、胸や夢が膨らめばいいとぼんやり考えていた。
「おかえり」
「ただいま。早いね」
「明日から忙しいから」
「そう」
父の仕事のことに興味もないし、わからない。量っている。計っているのかもしれない。いや、測っているのかな。
「むうちゃんとたーくんは元気だった?」
「うん。相変わらず忙しそうよ」
「そうか」
父は無趣味だから、絵描きの二人のことが羨ましそうだ。無趣味だけれど、女遊びは激しいらしく、そのことでママとしょっちゅう衝突している。年に一度くらいママは噴火する。学ばない父を愚だと思う。
母は、買付けの仕事をしていた。陶器から雑貨まで幅広く、独身の頃は毎月海外に出向いていたそうだ。今は主に国内で、若い芸術家のものを店舗やネットで販売している。母はむうちゃんと違い、気持ちが移りやすく軽い感じで、なんとなく好きじゃない。むうちゃんはどすんとしている。芯が一本通っている。漫画だけで生きる決意をとっくにしていて、そのことに恥じていない。当然と受け止めて、畏まってもいない。
「ごめーん」
と母が7時過ぎに帰宅した。
「お腹すいた」
「なにも用意してないの?」
「冷蔵庫、なにもないよ」
父とママはまた火種を至近距離に引き寄せた。どちらかが少しでも声のトーンを変えたなら、その間近に迫った火種に着火し、火事ではなく爆発するだろう。
「外に行こうか?」
母が言った。
「うん、そうしよう」
「あそこのファミレスが潰れてイタリアンになったんだっけ?」
「イタリアンねえ」
ママと父の会話はどちらかに答えを求めている。先に進もうとしていない。どちらかに委ねる。味が悪ければ、言い出したほうに責任を押しつけられるからだ。
「ユリカ、イタリアンでいい?」
私は頷いた。外食は好きじゃないの。手抜きの感じがする。ママはそのことを知らない。ママのおいしくないチャーハンのほうがよっぽどまし。別に親の愛情に飢えているわけじゃない。一人っ子だし、両親は強く私を愛してくれている。でも疑問にも思うのだ。私を愛するふりをして、二人は目に見えないなにかを守っている感じがする。
イタリアンといってもファミレスに毛が生えた程度のもので、まだオープンして一ヶ月なのに客がまばらであることが私を不安にさせた。そして案の定、パスタもドリアもいまいち。麺が引っ付くことなんてママの料理でさえない。ドリアも味が濃いところと薄いところがあって、冷凍食品のほうが格段にうまい。ママは仕事の愚痴を言って、父はうんうんと頷いていた。こんなのが幸せの形だったらちょっと笑える。でも実際に、この三人が痛みを感じていなければそれだけで幸せなのかもしれない。頭、腰、膝、胸のどこも痛くない。私は下っ腹が痛いけれど、これもいつしか日常になる。おいしくないはずのミートソースがちょっとおいしくなった。三角形のプリンのケーキはもっとおいしかった。
ケンカを回避した両親を見ていると、ケンカをするほうがまだ相手に期待をしているのだと思う。ママと父はもう諦めてしまっている。だったら一緒にいなきゃいいのにと思うけれど、私のためにと我慢をしているのだから申し訳ない。むうちゃんとたーくんはどうなのだろう。互いに不満を抱えているのだろうか。その都度、解決をするようなタイプではない。
店から出たらきれいな星空が目に映っているはずなのに、ママはまだ愚痴をやめないし、父も同意でもない頷きを繰り返すばかりだ。
「星がきれいだね」
と言えばママは上下しっぱなしのその口を閉じるかもしれないのに。
星ってタダなのにきれいだ。寒いけど、きれい。鼻水をすすって父の車に乗り込んだ。
両親が言い合いをしないことに安堵して寝る子どもがどれだけいるのだろう。我慢できなくなったら児童相談所もあるし、ネットに書き込んでもいい。体に溜め込んではいけない。それに私にはむうちゃんがいる。叔母さんという感覚は乏しいけれど、大事な人。そして、いつでも頼れる人。話を聞いてくれて、答えに近いものを与えてくれる人。
眠るときに、今日も無事に終わったと思うようにしている。思えずに死んでしまう人もいるのでしょうから。芸術家とか、ちょっと面倒臭い両親が近くにいるけれど、私はそれらに過剰に反応することなく、いろんなことに鈍感で生きていた。これからもそうやって、身長や足が大きくなり、胸や夢が膨らめばいいとぼんやり考えていた。
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