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 私の日常は、暗い。楽しいことがない。蹉跌という熟語を教えてくれたのはたーくんだ。二人は私にいろいろなことを教えてくれる。教師や親はなにも教えてくれない。二人は無責任に、無用なことまで教えてくれる。おかげで学校のつまらないいざこざに関わらずにすんでいる。目に見えないランクは知能や財力に比例していない。子どもが考えることなんて幼稚だ。学校になんて行かなくたって学ぶ方法はある。それは逃げじゃない。命を守るほうが絶対に大切だ。私はむうちゃんの恩恵を受けている。むうちゃんのファンはクラスには数人いて、その子たちが表面上の友達。羨んでいるのは感じるけれど、無理な要求はしないから友達でいられる。むうちゃんのサインや写真をねだられたらきっと友達じゃなくなる。次の号の内容なんて、きっとまだむうちゃんの頭の中にさえない。

 お腹がしゅくしゅくする。ずどーんともする。たーくんがいなかったらむうちゃんに生理のことを聞けるのに。どれくらいの血が出るのか。血が出続けているのに平気なのかな。むうちゃんは生理痛はどうなのだろう。そう考えていたら、たーくんの電話が鳴った。
「はい、ああ、ハロー」
「むうちゃん、たーくんが英語喋ってるよ」
「そうね」
 私の驚きとは対照的に、むうちゃんは頭をひねりながら漫画のセリフを書き込んでいるようだった。
「すごいね」
「中学レベルだよ」
「そうなの?」
「うん。今度ね、向こうの展覧会で少し出させてもらえるみたいなの」
「向こうって?」
「ニューヨークだったかな。パリかも」
「国が違うよ」
「そうね」
 むうちゃんはたーくんにそんなに興味がなさそうだった。たーくんも同じ。互いの絵に口を出したりしない。それなのに一緒にいる。家族でもないのに。結婚の定義は確かにわからない。紙切れ一枚でしかない。戸籍なんて人間が作ったものだ。そんなに重要性だろうか。それがなければ親子の証明にならないなんてことはない。私は男前の父に酷似している。顔の形は母に似ている。この顔でちょっと得をする。好まれることが多いが、顔だけで好かれることに疑問を感じてそれを態度に出してしまうため、嫌われることも同じ数だけ存在する。化粧は苦手だ。大人みたいになってしまう。子どもが楽でいい。
「夕焼けがきれいなので帰ります」
 たーくんはまだ電話をしていた。右手で電話を持ち、左では円を描くように動いていた。すごいな、英語。言葉は重要だ。せめて自分の気持ちを言えるようにはなりたいと思う。
「気をつけて」
 どんなに忙しくてもむうちゃんは私が帰るときは門前まで見送ってくれた。

「また週末来るでしょ?」
「うん、たぶん」
「牛乳買って来て」
「へーい」
 買い物なんて忙しくてもネットで頼めば持ってきてくれるんだよ、むーちゃん。本当におかしな人たちだ。余暇が極端に少ない。いつもキリっとした空気の中にいる。その独特な空気を作るのが上手い。3食食べて、仕事して寝てるのだからまともとでも思っているのかもしれない。集中して絵に向かっている横顔には声をかけられない。そうか、だから二人は別々の部屋で絵を描いているのだ。そうでなければ遠慮が生まれる。むうちゃんの部屋からはパソコンの音が、たーくんの部屋からは絵の具の匂いがする。二人はそれで互いが生きていることを確認しているようだ。むうちゃんもたーくんもまるで息をするように手を動かし、絵を描く。ずれていることには一生気づかないのだろう。
「うわ、ちょーきれい」
 夕焼けを見て言葉にしていた。普通を保っているつもりだけど、むうちゃんと血がつながっているから私もちょっとは変わっているのかな。あんな色の絵が描きたいのに、どうして言えないのだろう。
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