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☆同棲はじめます
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郁実に会いたい。恋人を想うのは当然のこと。触れたいし、抱き締めたい。
お気に入りのプレート皿、江戸切子、ちょっと無理して買ったネックレス。簡単に捨てられるものばかりではない。当たり前だけれど使用済みの食器類を引き取りたい人はいなかった。
変な形のランプも引き取り手がなかった。魔王様気分になれるから私は気に入っている。
冷蔵庫などの大きなものを運び出せば、もはや私の部屋ではない。
一人暮らしに別れを告げる。部屋はひとつだけだけど10畳ほどあって、日当たりもよくて快適だった。窓側の端は柱のせいなのか直角ではなくて気を抜くといつも埃がたまった。
この部屋で、泣いて笑った。疲れてベッドにバタンキューしたこともあったし、その疲れを取り除こうと瞑想に明け暮れた日もあった。そう、ここで郁実と初めてキスをした。思い出は私の頭の中にあるから大丈夫。二丸さんのことは消去。
「お世話になりました」
こんな木目だったのかと床に一礼して部屋を出る。あっさり。すぐに不動産屋が来るので鍵も開けたままでいいと言われた。不用心だがもう私には関係のないこと。次に住む人が幸せでありますように。
「さてと」
あの環境では車がないと困るだろう。とりあえず、大手でレンタカーを一ヶ月借りてみた。返却をすることを考えれば向こうに支店がないと困る。
郁実に相談しなかった。返事を待って苛々するくらいなら自分で決断をすればいいだけのこと。
新しい生活。仕事は決めていない。お金に困ったら向こうでアルバイトをしよう。家はもうあるのだから税金と生活費さえ捻出できればいい。あとは郁実の材料費か。
どんよりとした空が私を不安にさせる。ラジオから懐かしい音楽が流れる。
社会や会社で必要とされるより、郁実を優先したわけじゃない。誰だって迷いながら生きている。
車を走らせていると雨が降ってきた。幸先悪い?
あの家までは東京から約2時間。もう何度も来ているのに山の形が見慣れない。家に着いた時には土砂降りで、しばらく車の中で窓に打ちつける雨を眺めた。音がすごい。ばちばちばちと叩きつけるような雨だ。
安定を捨てた自覚はある。郁実が好きなだけで、こんなところまで来てしまった。
『家に着いたよ』
と送っても返信はない。そんなだから奥さんにオーナーとの仲を疑われるのよ。
私は、どうしてこんなに郁実を信じているのだろう。郁実のケーキがおいしいから。誕生とクリスマスにだけ郁実からケーキをもらったことがある。
おいしいものを作る人に悪い人にいないというのは母親のすり込みだろうか。食べないと生きられない厄介な体で人間は生きている。ナマコくらい省エネで生きられたらいいのに。
雨が弱まると、
「きっ」
と鳥の鳴き声がした。
鍵を開けて家に入る。寒い。荷物が届くのは明日だ。コートを着ているが、もうスプリングコート。山は気温が違うことを忘れていた。
「まいったな」
気づかなかったがエアコンもない。電気がついたのでほっとする。
階段をのぼる。慣れない他人の家の匂い。窓を開けたいが、また雨の音がする。
6帖の部屋にはカーテンもない。要領が悪いのは私のせい? 本来なら郁実が先に来てもう暮らし始めてくれていたのだろうか。
楽ちんなほうを選択できないのは昔からだ。要領の良さを人生のどこでも学ばなかった。先天的なものなのだろうか。それを運と呼ぶのかもしれない。
困り果てて、靴のまま家の中をうろうろ。自分でつけた足跡に驚く。
建物の中だというのに寒い。風の音もする。高い木が多いせいだろうか。ごうごうと音がする。
家の中なのにマフラーを巻いたままだ。
道すがらに買ったミルクティーはもうぬるい。パンと紙パックの豆乳。どうして明日の朝ごはんと思ってこのパンを買ったのだろう。今夜の夕飯はなにを食べるつもりだったの? と自問する。
タブレットはあるのに、充電器は引っ越しの荷物の中。自分に自分が疲弊する。現代人にはありがちなこと。
体がふわふわする。力が入らない。自分で自分を叱るのは無駄なことだ。階下から丸椅子を運んで座る。
仕事用の通勤カバンのままだから、貼るホッカイロがあった。
「さすが、私」
小さいやつだけれどないよりは心強い。
化粧ポーチに飴もある。頭痛薬に胃薬、下痢止めまで。ガーゼのハンカチで髪の雨を拭き取る。ドライヤーどころかタオルもない。買いに行きたくても土地勘がない。
飲めば当然、尿意をもよおす。トイレが怖い。電球が全てオレンジ色っぽい。柔らかい明かりも今は恐怖を駆り立てるだけ。目を開けていても怖いし、閉じても怖い。
田舎といえども、この家があのお値段のわけがない。どこで自殺をしたのだろう。殺人かもしれない。あの不思議な空間は血まみれの部屋を取っ払ったあとなのではないだろうか。
不吉なことばかり考え、ここで一人で眠れる気がしない。まだ夕方。明るいうちに近くのホテルへ移動しようか。とりあえず、スマホを充電。これがなくなったら生きる望みまで数パーセントになってしまう。
怖がりではないほう。子どもでもないのにスマホのライトをつけてトイレに入る。新調された便座と古いままの壁紙がアンバランス。トイレットペーパーはあった。いつのものなのだろう。誰のなのだろう。しかし使わないわけにはいかない。
冷たい便座に座るだけでお尻が凍りそうだ。
郁実を好きなだけでここに来て、こんなに怖い思いをしている。寂しいし、泣きたい。郁実を好きな気持ちイコール泣けるにはしたくない。
トイレから出ると電話が鳴った。郁実からだった。
「利紗子? 着いたの?」
一瞬でその声に安堵する。
「うん、家。よかった、ちょうど怖くて」
私は事の経緯をかいつまんで話した。
「朝まで電話してる?」
「郁実、そういうの嫌いでしょう?」
「うん、ごめん」
不思議だ。郁実の声を聞いているだけで心が安らぐ。最近では親の電話すらうざいのに。
「郁実、いつ来れそう?」
私は聞いた。
「来週には」
「そう」
残念。私は今晩の過ごし方を相談した。兎に角、寒い。車で寝たほうが安全で温かいのではないだろうか。
「うーん、外じゃ心配だよ。私の荷物が近くの運送屋で足止めになってるから連絡してみるね。布団使って」
神様、ありがとう。自分の恋人が郁実でよかったなと思う。その後の連絡はなかったけど、夜には配送の人が来て、段ボール7個を置いて行った。
『服』とか『仕事道具』と書かれているものと何もない箱。とても布団が入っているとは思えない大きさばかり。郁実に了解を取って箱を開ける。羽毛布団を見つけたときは心底ほっとした。人間は瀬戸際に自分がいたとして、死なないことが確定すると途端に安堵しすぎる。靴を脱いで微かに郁実の匂いがする布団にくるまる。
浅い眠りだった。
明るくなって、鳥の声に起こされる。郁実のやかんを拝借。ドリップができる注ぎ口が細いもの。ガスがつかない。まだ使えないのだろうか。すぐにお湯が湧くポットもあった。白湯で冷えた体を温める。お茶の葉はあるのに急須とか茶こしが見つからない。
お湯がおいしい。水のせいだろうか。
『食品』の段ボールの中に缶詰とピーチティーのテイーバッグを発見。
甘味に体がほっとする。郁実が良いと言うので缶詰めの白桃を食べる。
『バス』がお風呂用具だったとは。タオルもあった。ガス屋さんが来て、私はようやく髪を洗えた。郁実のシャンプーで。
きしきしする。髪質が違うせいだろうか。これを使っているのに郁実はあんなにふんわり。ドライヤーもあるし、午後には私の荷物も届いた。
うねっとしたライトが届いてほっとした。自分の所有物に囲まれただけで変な安心感もある。自分のマグで郁実のお茶を飲む。
やっとタブレットの充電をする。これで仕事をするには作業が限られる。やっぱりパソコンを買うべきだろう。
官の仕事をしたこともある。私が直接ではなかったが観光地の動画を手伝った。
「ぱっとしない」
それはその方の意見で、若い方には好評だった。人の考えはそれぞれだからむつかしい。だけれど、テレビを見ていると思う。誰が見ていても面白いバラエティ、イマジナリーラインが気にならないドラマ。プロというのは当然にその仕事をする。
デザインの仕事は嫌いじゃない。とりあえず、郁実の店のホームページを作ろう。郁実はお店の名前を考えているのだろうか。本当にシュークリームだけ? 東京のエクレア専門店が傾くのだから、片田舎でシュークリームを売って生計が成り立つのだろうか。
私が働くことをあてにしている? とりあえずはフリーランスでやってみて、それが無理だったら雇用されることを検討しよう。東京で客の目星をつけておけばよかった。こんな世の中なのだからデータのやり取りだけが楽な人もいるだろう。
SNSが一般的になり、ホームページを作らない店もある。この際、名刺のデザインだって本の装丁だって引き受ける。会社の中で疎まれで、何度か配置換えされたことがこうして役に立つ。真面目が自分の足さえぴっぱる。頑固でもあった。妥協もできない。WEBデザインの業務に辿り着いたのは会社でそれをできる人間が当時私しかいなかったから。白羽の矢が立ったことは嬉しかったし、実際にその仕事が一番性に合っていた。
どうやって生きるのかなんて決めるのは自分だ。荷解きをしながら生活ができるように動かなければ。私が部屋で使っていたカーテンの丈が足りなくてつんつるてん。6帖の部屋の窓は曇りガラスだからいいのだけれど。竹みたいな細工の入ったガラス。レストランだから透明の窓から家の中が見えることを嫌がったに違いない。この外観も20年前なら奇抜な佇まいだったと思われる。郁実の荷物にもカーテンは紛れているのだろうか。
「会いたいよ、郁実」
一人は寂しい。でも誰でもいいわけじゃないから、郁実の帰りを一人で待つ。早くしないとあなたの煎茶と玉露が減るだけ。開いていないかぶせ茶に手を出すよ。
お気に入りのプレート皿、江戸切子、ちょっと無理して買ったネックレス。簡単に捨てられるものばかりではない。当たり前だけれど使用済みの食器類を引き取りたい人はいなかった。
変な形のランプも引き取り手がなかった。魔王様気分になれるから私は気に入っている。
冷蔵庫などの大きなものを運び出せば、もはや私の部屋ではない。
一人暮らしに別れを告げる。部屋はひとつだけだけど10畳ほどあって、日当たりもよくて快適だった。窓側の端は柱のせいなのか直角ではなくて気を抜くといつも埃がたまった。
この部屋で、泣いて笑った。疲れてベッドにバタンキューしたこともあったし、その疲れを取り除こうと瞑想に明け暮れた日もあった。そう、ここで郁実と初めてキスをした。思い出は私の頭の中にあるから大丈夫。二丸さんのことは消去。
「お世話になりました」
こんな木目だったのかと床に一礼して部屋を出る。あっさり。すぐに不動産屋が来るので鍵も開けたままでいいと言われた。不用心だがもう私には関係のないこと。次に住む人が幸せでありますように。
「さてと」
あの環境では車がないと困るだろう。とりあえず、大手でレンタカーを一ヶ月借りてみた。返却をすることを考えれば向こうに支店がないと困る。
郁実に相談しなかった。返事を待って苛々するくらいなら自分で決断をすればいいだけのこと。
新しい生活。仕事は決めていない。お金に困ったら向こうでアルバイトをしよう。家はもうあるのだから税金と生活費さえ捻出できればいい。あとは郁実の材料費か。
どんよりとした空が私を不安にさせる。ラジオから懐かしい音楽が流れる。
社会や会社で必要とされるより、郁実を優先したわけじゃない。誰だって迷いながら生きている。
車を走らせていると雨が降ってきた。幸先悪い?
あの家までは東京から約2時間。もう何度も来ているのに山の形が見慣れない。家に着いた時には土砂降りで、しばらく車の中で窓に打ちつける雨を眺めた。音がすごい。ばちばちばちと叩きつけるような雨だ。
安定を捨てた自覚はある。郁実が好きなだけで、こんなところまで来てしまった。
『家に着いたよ』
と送っても返信はない。そんなだから奥さんにオーナーとの仲を疑われるのよ。
私は、どうしてこんなに郁実を信じているのだろう。郁実のケーキがおいしいから。誕生とクリスマスにだけ郁実からケーキをもらったことがある。
おいしいものを作る人に悪い人にいないというのは母親のすり込みだろうか。食べないと生きられない厄介な体で人間は生きている。ナマコくらい省エネで生きられたらいいのに。
雨が弱まると、
「きっ」
と鳥の鳴き声がした。
鍵を開けて家に入る。寒い。荷物が届くのは明日だ。コートを着ているが、もうスプリングコート。山は気温が違うことを忘れていた。
「まいったな」
気づかなかったがエアコンもない。電気がついたのでほっとする。
階段をのぼる。慣れない他人の家の匂い。窓を開けたいが、また雨の音がする。
6帖の部屋にはカーテンもない。要領が悪いのは私のせい? 本来なら郁実が先に来てもう暮らし始めてくれていたのだろうか。
楽ちんなほうを選択できないのは昔からだ。要領の良さを人生のどこでも学ばなかった。先天的なものなのだろうか。それを運と呼ぶのかもしれない。
困り果てて、靴のまま家の中をうろうろ。自分でつけた足跡に驚く。
建物の中だというのに寒い。風の音もする。高い木が多いせいだろうか。ごうごうと音がする。
家の中なのにマフラーを巻いたままだ。
道すがらに買ったミルクティーはもうぬるい。パンと紙パックの豆乳。どうして明日の朝ごはんと思ってこのパンを買ったのだろう。今夜の夕飯はなにを食べるつもりだったの? と自問する。
タブレットはあるのに、充電器は引っ越しの荷物の中。自分に自分が疲弊する。現代人にはありがちなこと。
体がふわふわする。力が入らない。自分で自分を叱るのは無駄なことだ。階下から丸椅子を運んで座る。
仕事用の通勤カバンのままだから、貼るホッカイロがあった。
「さすが、私」
小さいやつだけれどないよりは心強い。
化粧ポーチに飴もある。頭痛薬に胃薬、下痢止めまで。ガーゼのハンカチで髪の雨を拭き取る。ドライヤーどころかタオルもない。買いに行きたくても土地勘がない。
飲めば当然、尿意をもよおす。トイレが怖い。電球が全てオレンジ色っぽい。柔らかい明かりも今は恐怖を駆り立てるだけ。目を開けていても怖いし、閉じても怖い。
田舎といえども、この家があのお値段のわけがない。どこで自殺をしたのだろう。殺人かもしれない。あの不思議な空間は血まみれの部屋を取っ払ったあとなのではないだろうか。
不吉なことばかり考え、ここで一人で眠れる気がしない。まだ夕方。明るいうちに近くのホテルへ移動しようか。とりあえず、スマホを充電。これがなくなったら生きる望みまで数パーセントになってしまう。
怖がりではないほう。子どもでもないのにスマホのライトをつけてトイレに入る。新調された便座と古いままの壁紙がアンバランス。トイレットペーパーはあった。いつのものなのだろう。誰のなのだろう。しかし使わないわけにはいかない。
冷たい便座に座るだけでお尻が凍りそうだ。
郁実を好きなだけでここに来て、こんなに怖い思いをしている。寂しいし、泣きたい。郁実を好きな気持ちイコール泣けるにはしたくない。
トイレから出ると電話が鳴った。郁実からだった。
「利紗子? 着いたの?」
一瞬でその声に安堵する。
「うん、家。よかった、ちょうど怖くて」
私は事の経緯をかいつまんで話した。
「朝まで電話してる?」
「郁実、そういうの嫌いでしょう?」
「うん、ごめん」
不思議だ。郁実の声を聞いているだけで心が安らぐ。最近では親の電話すらうざいのに。
「郁実、いつ来れそう?」
私は聞いた。
「来週には」
「そう」
残念。私は今晩の過ごし方を相談した。兎に角、寒い。車で寝たほうが安全で温かいのではないだろうか。
「うーん、外じゃ心配だよ。私の荷物が近くの運送屋で足止めになってるから連絡してみるね。布団使って」
神様、ありがとう。自分の恋人が郁実でよかったなと思う。その後の連絡はなかったけど、夜には配送の人が来て、段ボール7個を置いて行った。
『服』とか『仕事道具』と書かれているものと何もない箱。とても布団が入っているとは思えない大きさばかり。郁実に了解を取って箱を開ける。羽毛布団を見つけたときは心底ほっとした。人間は瀬戸際に自分がいたとして、死なないことが確定すると途端に安堵しすぎる。靴を脱いで微かに郁実の匂いがする布団にくるまる。
浅い眠りだった。
明るくなって、鳥の声に起こされる。郁実のやかんを拝借。ドリップができる注ぎ口が細いもの。ガスがつかない。まだ使えないのだろうか。すぐにお湯が湧くポットもあった。白湯で冷えた体を温める。お茶の葉はあるのに急須とか茶こしが見つからない。
お湯がおいしい。水のせいだろうか。
『食品』の段ボールの中に缶詰とピーチティーのテイーバッグを発見。
甘味に体がほっとする。郁実が良いと言うので缶詰めの白桃を食べる。
『バス』がお風呂用具だったとは。タオルもあった。ガス屋さんが来て、私はようやく髪を洗えた。郁実のシャンプーで。
きしきしする。髪質が違うせいだろうか。これを使っているのに郁実はあんなにふんわり。ドライヤーもあるし、午後には私の荷物も届いた。
うねっとしたライトが届いてほっとした。自分の所有物に囲まれただけで変な安心感もある。自分のマグで郁実のお茶を飲む。
やっとタブレットの充電をする。これで仕事をするには作業が限られる。やっぱりパソコンを買うべきだろう。
官の仕事をしたこともある。私が直接ではなかったが観光地の動画を手伝った。
「ぱっとしない」
それはその方の意見で、若い方には好評だった。人の考えはそれぞれだからむつかしい。だけれど、テレビを見ていると思う。誰が見ていても面白いバラエティ、イマジナリーラインが気にならないドラマ。プロというのは当然にその仕事をする。
デザインの仕事は嫌いじゃない。とりあえず、郁実の店のホームページを作ろう。郁実はお店の名前を考えているのだろうか。本当にシュークリームだけ? 東京のエクレア専門店が傾くのだから、片田舎でシュークリームを売って生計が成り立つのだろうか。
私が働くことをあてにしている? とりあえずはフリーランスでやってみて、それが無理だったら雇用されることを検討しよう。東京で客の目星をつけておけばよかった。こんな世の中なのだからデータのやり取りだけが楽な人もいるだろう。
SNSが一般的になり、ホームページを作らない店もある。この際、名刺のデザインだって本の装丁だって引き受ける。会社の中で疎まれで、何度か配置換えされたことがこうして役に立つ。真面目が自分の足さえぴっぱる。頑固でもあった。妥協もできない。WEBデザインの業務に辿り着いたのは会社でそれをできる人間が当時私しかいなかったから。白羽の矢が立ったことは嬉しかったし、実際にその仕事が一番性に合っていた。
どうやって生きるのかなんて決めるのは自分だ。荷解きをしながら生活ができるように動かなければ。私が部屋で使っていたカーテンの丈が足りなくてつんつるてん。6帖の部屋の窓は曇りガラスだからいいのだけれど。竹みたいな細工の入ったガラス。レストランだから透明の窓から家の中が見えることを嫌がったに違いない。この外観も20年前なら奇抜な佇まいだったと思われる。郁実の荷物にもカーテンは紛れているのだろうか。
「会いたいよ、郁実」
一人は寂しい。でも誰でもいいわけじゃないから、郁実の帰りを一人で待つ。早くしないとあなたの煎茶と玉露が減るだけ。開いていないかぶせ茶に手を出すよ。
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