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もう限界、だった。

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 ♢ ♢ ♢

 シルフィーナが旦那様と契約したあの三年の期限もあと少しと迫った冬のある日。

 あれからの日々、シルフィーナはひたすら侯爵夫人として相応しく、その想いだけで過ごしていて。
(わたくし、頑張ったの、ですよ……)
 そう旦那様に言いたくて。
 でもそんなこと言えなくて。


「まあ。シャルル様は絵がお上手なのね」

「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」

 頬を染めそう答えるのはエヴァンジェリンの息子、ロックフェラー公爵家の末の御子息であるシャルル。
 彼も今年の春には貴族院初等部を卒業し貴族の一員と認められるお歳になる。
 本日はエヴァンジェリンとご一緒にいらして、お母様がサイラス様とご用事を済ませている間、シルフィーナとこうしてお絵描きをしながら待っているのだった。
 ロックフェラー公爵には四人の御子息がいらっしゃるのだけど上三人は亡くなった前妻アマリールの御子でこの子だけエヴァンジェリンの御子なのだけれど、どうやら公爵はこの末息子を溺愛しているとの話。
(まあこれだけ可愛らしい御子ならさもありなんと思うのだけど)

 公爵家は王女アウレリアを娶った長子のジークヴァルドが後継者と決まっている。
 次男は子爵位を賜りジークの補佐をし、三男は他家に婿養子に入る事が決まって。
 公爵としては、あとこのシャルルをどうするかで頭を悩ましているのだという噂がシルフィーナの耳にも入っていた。

 もしかして。
 そう思わない事もないけれど、シルフィーナが口を出すことでもないので黙っているけれど。

(もしかしてサイラス様、このシャルル様に侯爵位を継がせるおつもりなのではないのかしら?)

 それならばあの三年という期限の意味もわかる。
 結婚してもご自身に御子ができないのであれば、そういう選択肢をとっても世間的にも納得させられるだろうし。
(独身のままであればあれこれうるさく言われる事もあっただろうけれど)
 まあでも、それならそれで。
 そういう事ならそうと教えてくださってもよかったのに。
 そう恨み言も言いたくなり。

「お待たせしました。シャルル、帰りますよ」

「お母様。私の絵を褒めていただいたのですよ」

「まあまあ。お義姉様、シャルルをみていてくださってありがとうございます」

「いえいえエヴァンジェリン様。とても楽しく過ごさせていただきましたわ。もうご用事はお済みですの?」

「ええ。まあでもお兄様もあれでなかなか頑固なところがありますから、お義姉様もご苦労されてらっしゃるでしょう?」

「旦那様はお優しいので。わたくしは本当に良くして頂いていますから」

「もう、ほんと仲が宜しくて羨ましいわ。またご一緒にお茶でもしましょうね。いろいろとお話ししたいことがありますし」

「ありがとうございますエヴァンジェリン様。その時はまたよろしくお願いしますね」

「ええ。それではごきげんよう」

「ありがとうございますおばさま」

「シャルル様も、またいらしてくださいね」

「ええ。ぜひまた」


 笑顔を振りまいて二人は帰って行った。
 旦那様が見送りもせず部屋に篭ったままだったのが、ちょっと気になって。







 エヴァンジェリンが訪ねてきた翌日から、旦那様はお部屋に篭って出ていらっしゃらなくなった。
 騎士団のお仕事もお休みし、お屋敷のお仕事も全てセバスに丸投げにして。
 お身体の調子が悪いのかとお部屋にお尋ねしても中には入れてもらえなかったシルフィーナ。
 いつも一緒に摂っていた朝食も、別々になって。

 心配で心配で。
 ご飯も喉を通らなくて。
 そういえば元々食が細かった旦那様。
 今はどうされているのだろう? 誰に聞いても答えて貰えず、拒否をされているようで。

(わたしは本当の妻では無いから……)
 心配もさせて貰えないのかと、そう思うと腹が立ち、そして悲しくなる。

(もしかしてこのままわたくしはお払い箱になるのでしょうか。旦那様に会えないまま……)
 それは悲しすぎて。
(旦那様から別れを告げられる前に自分から身を引いた方がいいかもしれません)
 そんなことも考えてしまい。

 十日が経ち。

 流石にもう我慢ができなくなったシルフィーナはこっそりとお部屋に潜り込む決心をして。
 旦那様が心配なのが半分。
 この自分の気持ちを何とかしたいのが半分。
 期待をしてはいけないのは十分わかっていて。
 自分は旦那様にとってはただのお飾りの妻。
 だから。
 もう限界、だった。

 セバスや護衛の方々のガードを掻い潜り部屋の前にたどり着いたシルフィーナ。
 時間は夜半もうそろそろ月が天頂に届く頃。
(今夜なら、月にも力を貸してもらえそう)
 そんな事を思いつつこっそりと扉を開け中を覗く。
 旦那様の寝室は初めて入るので勝手がわからなかったけれど、それでも大体の見当をつけて部屋の奥に進むと。

(あああ)

 まるで人形のような肌の白さになった旦那様がベッドの上に横たわっていた。
 
 それはまるで、命の火が消えかけているように見えて。


 そんな。そんな。
 旦那様。
 嫌だ。
 嫌だ!
 嫌だ!!

 死んじゃいや!

 シルフィーナは旦那様のベッドの脇に縋り付くように跪いて。

 どうか神様。
 わたくしはどうなってもいい。
 どうか旦那様をお助けください。

 お願いキュア。
 力を貸して。
 お願い。
 どうか。

 旦那様の手を握って。
 その冷たい手に心のゲートからマナを注ぎ込み。


 急激に溢れ出すマナに。
 部屋中が光の渦に包まれて。

 いつしかシルフィーナの意識は途切れ。


 そして——
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