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#1
しおりを挟む天気予報は最高気温が一桁台と予想した通り、風が袖口から吹き込み肌を冷やしだしていた。
突然だが、運命とは偶然起こり得る。
たまたまの帰り道に、たまたまの捨て猫。
仕事帰りの今泉 康太 はその猫と出会う。
「土日はやっぱり忙しいよなぁ。明日は久々の休みだし、ゆっくりするか」
飲食店の店長をしている今泉は、土日の忙しさに思わず独り言を呟いてしまうほど脳をシャットダウンしていた。だが、明日はたまの休みだ。一日を有効に使うべく脳を再起動させていた。
そんな再起動中の帰り道、ある声を耳にする。
「なんか聞こえる気が……」
どこか遠くから自分を呼ぶ声がする。そんな感覚に引き寄せられながら、声が響く方へと歩みを進める。
声を頼りにしばらく進んでいくと、ひとつ外れた路地にそいつは居た。
「なんだ、お前だったのか……」
人気の少ない帰り道、そこから更に人気の少ない路地。真っ暗な寒空の中で街灯に照らされていた段ボール箱の中には、小さな黒猫がこちらを見ていた。
しゃがれた声で泣き叫ぶその姿に、今泉も思わず猫撫で声を出してしまう。
「どうしたんだ~? 捨てられちゃったのか~?」
猫はこちらを見上げながら何かを訴えている。にゃあにゃあと鳴く声は何を求めているのだろうか。生きる事に必死な動物の本能が今泉の心を揺さぶった。
捨て猫ならば……と、思わず手が伸びる。
「お前、飼い主いないのか……?」
意味の通じない問いかけに猫はにゃあにゃあと鳴き続ける。
猫を抱き抱えると、自然と頭の中で少ない給料の中から何を削れるのか瞬く間に電卓を叩き答えを弾き出していた。
「じゃあウチ来るか?」
猫は鳴くのをやめた。
そして、足元へと擦り寄る。
今泉は、甘えてくる捨て猫をひょいと抱き上げ寒い冬の帰り道……
自らのダウンジャケットの中へ忍ばせ、男一人のむさ苦しい家へと向かう。
――今泉宅
家の鍵を開け、猫を抱えたままでリビングへと向かい暖房のスイッチを入れる。1DKのその部屋は、冬の寒さで張りつめていた空気を徐々に溶かしていく。
エアコンから吹く風が部屋中を巡る中、子猫を抱え収納の奥の奥から毛布を探る。ようやく見つけたカラフルな柄の毛布は、小さい頃から使っていたお気に入りの毛布らしい。
暖かい懐の中で眠ってしまっていた子猫をその毛布で包んだ後、今泉は洗面所へ手を洗いに向かう。蛇口をひねり、手を濡らし、ハンドソープを手に取り……そのひとつひとつの動作の中で、この子猫と暮らしていく生活に何が必要なのか考えていた。奇麗になった手をタオルで拭い、再び子猫の元へ。
「ちょっと待っとけよ~、お前に必要な物買ってくるからな」
そうして再び家を出た今泉は、歩いて数分程度の24時間営業の何でも揃う店へと向かう。道中も、着いてからも、カゴに商品を入れてる間も何が必要なのか考えて会計を済ます。
結局何が必要なのかは明確に分からないまま、箱やビニール袋を両手に持ち自宅にたどり着く。玄関を開け荷物を置き、まずは買った首輪を袋から取り出し猫の元へと向かう。
「お待たせ~! 大人しくしてたかクロ~?」
今泉が拾った子猫は黒猫だった。何を買うかと同時に名前も決めていたようだ。安直な名前だが、呼びやすい名前が良いと。鳴き声もか細く、大きくなっても可愛く育つと思っていた。部屋のドアを開けるまでは。
「ほら、これクロに似合うと思って買ってき……」
暖かくして出た部屋のドアを開けるとそこには、カラフルな毛布に包まれたクロが憂いを帯びた眼差しで可愛くこちらを見つめている。そんな事を想像しながら今泉はドアを開けていた。
しかし、猫の姿はそこには無い。
無いだけなら探せば良い。
だが、探すよりも先に緊急事態が発生した。
「あなた…………誰……ですか?」
猫を包んでいたはずの毛布に鎮座していたのは……人だった。
それは運命の出会いなのか……
否、モテない男に訪れた鶴の恩返し的な淡い期待は一瞬で打ち砕かれる。
何故なら、相手が男だからだ。
突然現れた男は、今泉の素っ頓狂な顔を見て答える。
「あぁ? 俺様に言ってんのか?」
「そ、そうですけど、あなた何で勝手に部屋に入ってるんですか!? し、しししかも裸で!!」
なんとこの男、事もあろうか裸で今泉の家にいる。
居なくなった猫も気になる、謎の男の存在も気になる、警察に連絡するかも悩む。
ぐるぐる目まぐるしく考えている今泉だが、その全ての答えは一瞬で出た。
「俺様は、お前が拾った猫だ」
「…………え?」
「もう一回言わなきゃ分からないのか? 俺様はお前が拾った猫だと言ってるんだ」
果たして今泉は頭の中で理解出来たのだろうか?
アインシュタインでも説明する事は難しいこの理論だが、この男が猫であれば全ての謎が解決する。裸である事も。
今泉は再起動した頭の中のコンピューターをフル回転させてこの式に無理やり答えを見つけ、ショートした。
「俺様を拾ってくれたんだろ? よろしく頼むぜ、ご主人様」
「は、はぁ……」
困惑している今泉に謎の男はお構いなしに話を続ける。
「さてと……まずは俺様の寝床を用意してもらおうか?」
突然現れた謎の男にショートしてしまった今泉は、未だにこの状況を受け入れられない。
「ほ、本当にあなたはさっき拾った黒猫なんですか……?」
「ご主人様って奴はこんなにも物分かりが悪りぃのか」
素っ裸の謎の男は床に座りながら天を、いや部屋の天井を見上げた。
「俺様がさっき拾った猫じゃなかったら、お前はどうするんだ?」
「どうするって言われましても……」
「俺様は猫だ……どうだ、これでお互いスッキリするだろう?」
「そうですけど……」
「なら、さっさと寝床を用意しろ。その後に服もな」
この高圧的な態度に思わず普段の接客業の職業病とでも言うべきか、何故かヘコヘコしてしまう。
それが好都合なのかこの二人の関係は、側からだと妙にカチッとハマって見える。
今泉はまたもや収納の奥を漁る。今度は裸の男の目の前で。
ベッドを買う前に短い間だが使っていた布団を引っ張り出す。この布団も今泉以外は誰も使った事がないのはここだけの話だ。ついでに高校生の時に着ていたジャージも引っ張り出す。というか、部屋着になるのはこれぐらいしかない。
「この布団使ってください。あと、服はここに置いときます」
「ふん……まあ寝床は良いだろう。だが、この服はなんだ? センスのカケラも無いダサい服は」
「仕方ないじゃないですか! 部屋着なんて学生の頃のジャージぐらいしか無いんですよ!」
「ふーん……まあしょうがねぇか」
謎の男は今泉のお古のジャージを身に纏う。
しかし、その姿を見て今泉は吹き出してしまった。
「おい、ご主人様よぉ? 今、笑ったよな……?」
「だって……だって、そそ、その服……サイズが小さくて……」
成人男性の平均身長は172センチという。今泉はというと身長が170センチも無い。ならば、きっとこのジャージはSサイズだろう。
しかし、謎の男は180センチは超えて見える。そんな大男がSサイズの服を着ていたらそれはきっと滑稽に見えるに違いない。
「ご主人様ぁ? まさかわざとじゃないよな~?」
「違う! 本当に違うんだ!! それしか家にないんだよ!」
「ふーん……」
今泉の必死な訴えに疑念の目を向ける謎の男だったが、その表情から察するにおそらく本当なのだろうと諦めた。
ホッとする今泉を他所に、謎の男のわがままはさらにエスカレートしていく。
「俺様は腹が減った、何か食い物無いのか?」
「突然そんな事言われてもなぁ……あ、そうだ少し待っててください」
そう言うと今泉は先ほど買い物した荷物を取りに行った。
「こんなの買って来たんですけどどうですかね……」
「お、分かってるじゃねぇか! どれどれ……」
今泉が持って来たのは猫用の缶詰、ちなみに子猫用をきちんと買っている。
カパっとふたを開け中身を皿に出してやろうとしたのだが、謎の男はものすごい勢いで激怒した。
「おいおいおい、ご主人様? 俺様に何を食わせようとせてるんだ」
「何って缶詰ですけど……」
「んなことは分かってんだよ! それは何用だ!?」
「何用ってそりゃ猫ですよ」
「じゃあ俺様はなんだ?」
「拾った猫……ですよね?」
「あああああ!! 今の俺様の姿を見てみろ!!」
「え……じゃあこれ食べられない……?」
「あたりめぇだ!!」
この状況を知らない人からしてみれば、謎の男は至極真っ当な意見を言っている。
しかし、最初にお互いの間で謎の合意が行われてしまったが故の歪み。
「謎の男を拾った猫」だと思っている今泉と、「猫だったのに人になってしまった」謎の男。
どちらも正しいがそれでは食い違いも起こる。
「ちょっと待っててください、僕もお腹空いたんでご飯作りますね」
「物分かりが良いな。よろしく頼むぜ、ご主人様」
今泉はキッチンへと向かい、冷蔵庫にある食材で二人分の夜ご飯を作り出す。この時の今泉の頭は、「確かに言われてみれば……」といった様子ですんなり受け入れてしまっていた。
きっと土日の忙しさのせいだろう、流れて来ては溜まるだけの頭の中は早く寝る事だけを考えているようだ。
冷蔵庫にあったのはうどんとパックに半分残った豚肉だ。居酒屋で働いていたおかげか、焼うどんを手早く作り上げ、食卓へと運ぶ。
二人分のご飯が並べられた食卓は見慣れない景色なはずなのに、頭はやっぱり動いていない。
「おお、旨そうじゃねぇか」
「いただきます」
「ちょっと待て、これ熱いだろ?」
「そりゃそうですよ、出来立てなので早く食べた方が良いですよ」
そう言ってそそくさと食べ出す今泉に、謎の男は少し恥ずかしそうに大声を上げた。
「……冷ましてくれなきゃ、く、食えねぇだろ!!」
一瞬静まり返った食卓。
今泉の脳内では審議が行われていた。
……結果、異議申し立て無しで通った。
ふーふーと、熱々出来立ての焼うどんは今泉の息で冷まされる。その冷めた焼きうどんは謎の男の口へと運ばれていく。
「口開けてください」
「お、おう、悪りぃな」
現代の労働環境とは恐ろしい物で、今泉はこんな状況でも正常な判断が出来なくなっていた。
「美味い! 美味いじゃねぇかご主人様!!」
「ありがとうございま……」
「おい、どうした!!」
感謝の言葉を言い切る前に今泉は倒れてしまった。突然倒れ慌てて駆け寄る謎の男だったが、その猫譲りの聴覚は寝息が部屋に響いている事に気がついた。
どうやら疲れて眠ってしまったらしい。
「ったく、しょうがねぇご主人様だな」
謎の男は、カラフルな毛布を今泉に掛け残りの焼うどんを食す。
「あっちぃ! くそ、自分で冷ますか……ふー、ふー……」
こうして二人の突然の始まりの一日が終わっていった。
ちなみに、謎の男は今泉の焼うどんも完食した。
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