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『家に帰ったら特大うさぎ(ぬいぐるみ)が料理をしていた話』(短編)
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とある街にアパートを借りて暮らす女、美空は今日も日が暮れ切った頃、自宅アパートへと辿り着く。
年度末の繁忙期は、普段はそれなりに自炊をしている彼女も総菜や弁当で済ませる事が多い。
そして、今年は引っ越しも迫っている事から、既に鍋も包丁も段ボールに入れてしまっていた。
五階にある自室。一人暮らしも久しく、ただいまと言う事も無くなった彼女は黙って鍵を開ける。
「え」
玄関の扉を開けた瞬間、消したはずの灯りが付いている事に、彼女は戦慄した。
借家故、合鍵を渡している相手はおらず、両親が来た折には、管理人に鍵を借りてくれと言っている。
(誰か、居る……)
彼女は咄嗟に、シューズボックスの上のラケットを手に取った。懇親会で時折使う、バドミントンのラケットだ。
気配のする台所へ、彼女はゆっくりと進む。そして、ラケットを振りかぶった瞬間、その光景にラケットを取り落とし、自分の顔にそれを激突させてなお、彼女は呆然として固まっていた。
「おかえり」
振り返ったのは、大きさほぼ一メートルのぬいぐるみ。
引っ越してすぐの頃、寂しさ故に衝動買いした特大のうさぎである。
そして、今回の引っ越しを機に、フリーマーケットアプリで売り払う予定だったガラクタだった。
「あ……あんたは……」
「最近、まともな物食べてなかったから、オムライス作ったよ」
美空は震えていた。
ぬいぐるみが、それも、長らく部屋の隅に追いやり、何処の誰とも知れぬ相手に売り払う予定だったガラクタが、台所で自律的に動いている事に。
「じゃ、あたしは向こう行くね」
ふかふかのぬいぐるみは足音を立てる事無く、しかし、気配だけは纏ったまま、追いやられていた部屋の隅に戻り、ぬいぐるみの様に座った。
ぬいぐるみのうさぎが作ったオムライスと言う、意味不明な夕飯を食べたあくる朝、美空はまだ夢を見ている様な気分だった。
無論、あのぬいぐるみはぬいぐるみのまま、それまでと変わった様子も無く、相変わらず放置されていた。
(いかん、これはいかん、化かされている……)
美空は引っ越し荷物を梱包する為に用意していたテープとビニール袋を取り出し、部屋の隅で埃を被るぬいぐるみを盛大に叩いた。
かぶった埃が大方落ちた所で、彼女はそれにビニール袋をかぶせ、テープで口を止めた。そして、フリーマーケットアプリに、用意していた写真を出し、こう書き添えた。
――当方煙草吸いません。衝動買いしたまま放置していたぬいぐるみです。とても存在感があります。抱き枕としての使用もしておりません。ビニール袋で包んで段ボール梱包して発送します。
ぬいぐるみがオムライスを作った次の夜、そのぬいぐるみには買い手が付いた。購入時の値段を考えると、悪く無い値段で買い取るとの事だった。
(明日の夕方、引き取ってもらおうかな)
配送業者の手配を考えながら、美空は五階の自室へと戻った。
「うそ……」
消したはずの電気が、また、点いていた。
パンプスを不作法に脱ぎ捨て、彼女は恐る恐る奥へと進む。
気配は無かった。
ただ、ベッドの上に“何か”があった。
うさぎだった。
無理やり引き裂かれたビニール袋の残骸の向こう、うさぎは美空に背を向けて座っていた。
恐怖のあまり、彼女は通勤鞄を落した。
その衝撃音に呼応する様に、うさぎは振り返る。
美空は思った、このまま、焼き払うべきかもしれない、と。
ぎこちなく後ずさりしながら、アロマキャンドルでも使ってみようかと買ったままのマッチが何処かに無かったかと、彼女は記憶を手繰った。
「ねえ」
不意に響いた女の声に、美空は小さな悲鳴を上げて腰を抜かした。
*
「私の事、忘れてるのが悪いのよ」
ベッドの上に座る白いウサギにビニール袋を掛けながら、美空の友人である春花は静かに憤りを口にする。
「言ってたでしょ? 引っ越しの前にこれ、くれるって」
「ででで、でも」
「大体さ、ご飯まで作ってくれるこんな良い子を何処の馬の骨だかわからない相手に売り払うなんて、バチあたりにも程があるわ」
春花はぬいぐるみを抱え上げ、何度目かの呆れた溜息を吐いた。
「で、でも、春花だってこれから一人暮らしで、此処より狭い所済むんでしょ? 台所も使うなら、ぬいぐるみ持って行くなんて」
「換気扇はあるし、扇風機と言うか送風機もあるし、何なら石鹸溶かして洗うし」
「でも! これ、勝手に動いて!」
「別にいいわよ。ぬいぐるみが動くなんて夢みたいな事、本当にあるならむしろ嬉しい位よ。それより、あんたはさっさと買い手の人に寄付する事にしたとかなんとか適当な事言って、販売中止を詫びなさい」
「ちょ、春花」
「コインパーキングの代金馬鹿にならないから、引っ越したらまた呼んで」
春花は無愛想に言って、早々に部屋を出ていった。
美空は少し広くなった室内で、悪い夢でも見たのではないかと思案しながら、春花に言われたとおり、急遽ぬいぐるみは施設に寄付する事になったと、買い手への詫び状を打ち込んだ。
*
引っ越しを終え、寝床とぬいぐるみの支度が出来た春花は、下宿のアパートを離れ、細かな日用品の買い出しをしていた。
近所のコンビニエンスストアで限定の新商品を仕入れ、日もくれた頃、彼女は自室の玄関を開けた。
玄関先に荷物を放り出し、ひとまずは手を洗おうと台所に向かうと、何やらいい香りが漂っていた。
「……おい」
まだ荷物を全て解いていない部屋の中、特大のぬいぐるみが二体、たこ焼き器を引っ張り出していた。
「おかえり」
「おかえり」
白いうさぎと茶色いうさぎが、そこら中を粉とネギだらけにしてたこ焼きを焼いていた。
「……なにしてんの」
「みてのとおり」
「たこやき」
「……私の分は」
「そんなものあるか」
「かたづけよろしく」
茶色いうさぎは口の端にネギを付けて、白いうさぎはソースを付けて、すっとぼけた顔で春花を見ていた。
年度末の繁忙期は、普段はそれなりに自炊をしている彼女も総菜や弁当で済ませる事が多い。
そして、今年は引っ越しも迫っている事から、既に鍋も包丁も段ボールに入れてしまっていた。
五階にある自室。一人暮らしも久しく、ただいまと言う事も無くなった彼女は黙って鍵を開ける。
「え」
玄関の扉を開けた瞬間、消したはずの灯りが付いている事に、彼女は戦慄した。
借家故、合鍵を渡している相手はおらず、両親が来た折には、管理人に鍵を借りてくれと言っている。
(誰か、居る……)
彼女は咄嗟に、シューズボックスの上のラケットを手に取った。懇親会で時折使う、バドミントンのラケットだ。
気配のする台所へ、彼女はゆっくりと進む。そして、ラケットを振りかぶった瞬間、その光景にラケットを取り落とし、自分の顔にそれを激突させてなお、彼女は呆然として固まっていた。
「おかえり」
振り返ったのは、大きさほぼ一メートルのぬいぐるみ。
引っ越してすぐの頃、寂しさ故に衝動買いした特大のうさぎである。
そして、今回の引っ越しを機に、フリーマーケットアプリで売り払う予定だったガラクタだった。
「あ……あんたは……」
「最近、まともな物食べてなかったから、オムライス作ったよ」
美空は震えていた。
ぬいぐるみが、それも、長らく部屋の隅に追いやり、何処の誰とも知れぬ相手に売り払う予定だったガラクタが、台所で自律的に動いている事に。
「じゃ、あたしは向こう行くね」
ふかふかのぬいぐるみは足音を立てる事無く、しかし、気配だけは纏ったまま、追いやられていた部屋の隅に戻り、ぬいぐるみの様に座った。
ぬいぐるみのうさぎが作ったオムライスと言う、意味不明な夕飯を食べたあくる朝、美空はまだ夢を見ている様な気分だった。
無論、あのぬいぐるみはぬいぐるみのまま、それまでと変わった様子も無く、相変わらず放置されていた。
(いかん、これはいかん、化かされている……)
美空は引っ越し荷物を梱包する為に用意していたテープとビニール袋を取り出し、部屋の隅で埃を被るぬいぐるみを盛大に叩いた。
かぶった埃が大方落ちた所で、彼女はそれにビニール袋をかぶせ、テープで口を止めた。そして、フリーマーケットアプリに、用意していた写真を出し、こう書き添えた。
――当方煙草吸いません。衝動買いしたまま放置していたぬいぐるみです。とても存在感があります。抱き枕としての使用もしておりません。ビニール袋で包んで段ボール梱包して発送します。
ぬいぐるみがオムライスを作った次の夜、そのぬいぐるみには買い手が付いた。購入時の値段を考えると、悪く無い値段で買い取るとの事だった。
(明日の夕方、引き取ってもらおうかな)
配送業者の手配を考えながら、美空は五階の自室へと戻った。
「うそ……」
消したはずの電気が、また、点いていた。
パンプスを不作法に脱ぎ捨て、彼女は恐る恐る奥へと進む。
気配は無かった。
ただ、ベッドの上に“何か”があった。
うさぎだった。
無理やり引き裂かれたビニール袋の残骸の向こう、うさぎは美空に背を向けて座っていた。
恐怖のあまり、彼女は通勤鞄を落した。
その衝撃音に呼応する様に、うさぎは振り返る。
美空は思った、このまま、焼き払うべきかもしれない、と。
ぎこちなく後ずさりしながら、アロマキャンドルでも使ってみようかと買ったままのマッチが何処かに無かったかと、彼女は記憶を手繰った。
「ねえ」
不意に響いた女の声に、美空は小さな悲鳴を上げて腰を抜かした。
*
「私の事、忘れてるのが悪いのよ」
ベッドの上に座る白いウサギにビニール袋を掛けながら、美空の友人である春花は静かに憤りを口にする。
「言ってたでしょ? 引っ越しの前にこれ、くれるって」
「ででで、でも」
「大体さ、ご飯まで作ってくれるこんな良い子を何処の馬の骨だかわからない相手に売り払うなんて、バチあたりにも程があるわ」
春花はぬいぐるみを抱え上げ、何度目かの呆れた溜息を吐いた。
「で、でも、春花だってこれから一人暮らしで、此処より狭い所済むんでしょ? 台所も使うなら、ぬいぐるみ持って行くなんて」
「換気扇はあるし、扇風機と言うか送風機もあるし、何なら石鹸溶かして洗うし」
「でも! これ、勝手に動いて!」
「別にいいわよ。ぬいぐるみが動くなんて夢みたいな事、本当にあるならむしろ嬉しい位よ。それより、あんたはさっさと買い手の人に寄付する事にしたとかなんとか適当な事言って、販売中止を詫びなさい」
「ちょ、春花」
「コインパーキングの代金馬鹿にならないから、引っ越したらまた呼んで」
春花は無愛想に言って、早々に部屋を出ていった。
美空は少し広くなった室内で、悪い夢でも見たのではないかと思案しながら、春花に言われたとおり、急遽ぬいぐるみは施設に寄付する事になったと、買い手への詫び状を打ち込んだ。
*
引っ越しを終え、寝床とぬいぐるみの支度が出来た春花は、下宿のアパートを離れ、細かな日用品の買い出しをしていた。
近所のコンビニエンスストアで限定の新商品を仕入れ、日もくれた頃、彼女は自室の玄関を開けた。
玄関先に荷物を放り出し、ひとまずは手を洗おうと台所に向かうと、何やらいい香りが漂っていた。
「……おい」
まだ荷物を全て解いていない部屋の中、特大のぬいぐるみが二体、たこ焼き器を引っ張り出していた。
「おかえり」
「おかえり」
白いうさぎと茶色いうさぎが、そこら中を粉とネギだらけにしてたこ焼きを焼いていた。
「……なにしてんの」
「みてのとおり」
「たこやき」
「……私の分は」
「そんなものあるか」
「かたづけよろしく」
茶色いうさぎは口の端にネギを付けて、白いうさぎはソースを付けて、すっとぼけた顔で春花を見ていた。
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