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第三章 すみません、辞めていいですか

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 悦子に呼ばれて食堂に入ると、広いテーブルの上には洒落た料理が並び、初めて顔を合わせる男性が四人待っていた。
 時環家の当主である俊貴は堂々としていながら爽やかで、年よりも若く見える男だった。
 長男の政貴は知的そうで、家政婦にも礼儀正しく挨拶をする若者。三男の貴司は高校生にしてはまだあどけなく、人見知りする様に遊来を見ていた。
 彼女の向かいに座っていた庭師の矢狩やがりは、彼女より少し年上くらいの砕けた印象の男だが、庭師という割には色白で、妙に品のある雰囲気だった。
 川先が作った夕食は和風フレンチで、一括して出されてはいたが、その品々はコース料理の様だった。
 矢狩曰く、川先は布有ふゆうの中心街に和風フレンチのレストランを持っており、遊来の自宅がある始町はじめまちの駅近くには創作料理のカフェを構えているという。

 夕食を終え部屋に戻されると、ホテルの一室に居る様な気分で、妙に落ち着かなかった。そんな中、不意に誰かが訪ねてきた。
「何でしょうか」
 扉を開けると、そこに立っていたのは長男の政貴だった。
「夕食の後すぐに悪いが、統計資料を探して欲しい」
「は、はい」
「外食産業の労働形態に関する公式な資料が必要なんだが、別件の閉め切りが早まり、身動きが取れなくなったんだ。パソコンを貸すから、私の部屋に来てくれるか」
「分かりました」
 政貴に従い、二階へと向かう。初めて見た二階は、整然と部屋が並び、まるでホテルの様だった。
「ここだ」
「失礼します」
 小さく頭を下げて入った室内は存外質素だったが、棚や机には資料や書籍が積まれ、いかにも研究熱心な様子がうかがえた。
 部屋のすみを見ると、机ひとつでは場所が足りないのか、ノートパソコンは簡素な折りたたみのテーブルセットに据えられていた。
「あの、資料は政府の統計資料でよろしいのでしょうか?」
「あぁ」
「探してみます」
 パソコンの前に座り、彼女はようやくく気がついた。面接で、悦子が卒業研究や資料の調査について尋ねた理由に。
(あぁ、そりゃそうだわ。こんな仕事、誰にでも出来ないし……)
 検索エンジンを使えばそれらしい情報は見つかるが、論文に使う情報は、根拠のある統計や論文でなければならない。
(労働形態って事はパートやバイトの比率が分かる資料かな……)
 検索する言葉を選びながら作業をしていると、突然、誰かの手が後ろから回され、彼女は悲鳴を上げた。



「で、その新しい家政婦はどんな人間だ?」
 深い紫色の液体をグラスに注ぎながら、若い男は矢狩を見た。
「若い女の子だよ。まだ二十代。ただ……ありゃ特別だな」
「特別?」
「あぁ。あの子は生まれ変わりだよ、葡萄実えびざねの巫女のな」
 男は眉をひそめる。
「悦子殿が彼女を雇った理由はそれだろうな。ま、もし殺すなら周到に用意しとけよ、人間の世界は厄介事が多いからな」
「……厄介事なら、そこに居る」
 男は扉を見遣る。
セイ、ちょっと外してくれ」
「はいよ」
 矢狩は席を立つと、飾り棚の隙間に見える白い壁の向こうに消えた。
 それからほどなくして、廊下から喧騒けんそうが聞こえ、食堂の扉が開かれた。
「ちょっと! 何するの! 放して!」
 手を後ろで縛られ、政貴に腕を引かれた遊来と、恨めしげな目をした貴司、呆れ顔の悦子が食堂になだれ込む。
「何の騒ぎだ、騒々しい!」
 男は大袈裟なまでに不愉快そうに声を張り上げる。
コウお兄様、マサにい様が抜け駆けをしたんですよ! 僕には彼女が必要なのに!」
「それをおっしゃるなら、貴司坊ちゃんだって、それは香貴様に対する抜け駆けですよ」
 悦子は溜息を吐く様に貴司をいさめる。
「香貴様、政貴様が少々早まったまねをされました。どなたにこの者を与えるか、御主人様の判断をあおぎたいのですが」
 遊来の前の男、香貴は深い溜息を吐いた。
「その必要は無いですよ、悦子さん。あなた、分かっててその娘をここに連れてきたんだろ? だったら、こうなる事くらい、親父は想定済みだろう」
 香貴は立ち上がると、政貴の腕から遊来を取り上げ、奥に引き摺り込む。
「やめて! 放して!」
 遊来は抵抗するが、足は床に着いていない。
「全く、悦子さん、手品も大概にしてくれよ? 相手は生身の人間だ。怪我をさせたら面倒なんだよ」
 香貴は遊来の手を縛る布を解くと、彼女を軽く突き飛ばし、壁際に追い詰めて見下ろした。
「い、一体なんですか! いきなり抱きしめられたかと思ったら、弟さんが入ってきて、見景さん来たかと思ったら、縛られて! っていうか、そもそもあなた誰ですか!」
 香貴は喚き散らす声に溜息を吐き、後ろに立つ二人の男を見た。
「政、いきなり手籠めにしようとしたんじゃねえだろうな」
「まさか。少し誘っただけで悲鳴を上げたのは彼女の方ですよ、心外な」
 香貴は更に深い溜息を吐く。
「お前、よくそれで女の気を吸って永らえてられるな」
「そうですよ! 政兄様は抱ければいいと思ってるんですよ! そういうのは、ちゃんと時間をかけて懐柔かいじゅうしないと、失敗するに決まってます!」
「……貴司、お前も前提が狂ってるぞ」
 香貴はもう一度溜息を吐くと、困惑する遊来を再び見降ろし、品定めをする様にじっくりと見つめる。
「あんた、本当に運の無い女だな」
 遊来は怯えた目で香貴を見上げる。すると、彼は片膝を付く格好で腰をおろした。
「こうなった以上、あんたには本当の事を言うが……俺達は人間じゃない」
「え……」
「俺達はな、魔界生まれの魔人だ」
「ま、魔界……」
「とはいえ、俺達兄弟と親父は人間と混血になっただ。だから、俺達の魂は不完全で、この肉体は魔人の半永仰の寿命に耐えきれず、崩壊して魔物になる。それを防ぐ為に、俺達は人間の力を吸い上げている」
 遊来は首を振った。
「だが、俺達が本物になれる方法がひとつだけある……魔族の生まれ変わりである人間の力を得る事だ」
 香貴は立ち上がり、ちらと後ろを見た。
「あんたに手を出した政貴は女と交わりながら、その気を吸い上げて永らえている。弟の貴司はそろそろ身体が壊れ始める時期だ。おそらく、あんたを殺して、その魂をかてになるつもりだ」
 視線を戻した香貴に見据えられ、遊来は血の気が引くのを感じた。
「だが、俺はちょっと事情が違う。俺はこの不完全な魂を完全にする魔術を考え続けてきた、物心ついた時からな……ただ、それを完成させるには、やはりお前の様な人間が必要だ。魔族の血を糧に永らえてはいるが、どうも最近は持たなくなってきた……あんたは、俺達の生贄いけにえだ」
 遊来は目を見開き、目前に立つ男達を見る。
「ただ、誰の生贄になるかは、あんたが決めろ」
「え……」
「政貴の生贄として、死ぬまでその身体を捧げるか、貴司の生贄として、その命を捧げるか……俺の生贄として、俺に血を寄こすか」
「そ、そんな……」
 貴司は座り込む遊来に歩み寄り、怯えた顔に手をやった。
「そんなに恐がらなくても大丈夫。君を殺すまで、僕にはまだ時間があるから……君が、僕と、ずーっと一緒に居たい様にしてあげる」
 遊来は貴司の手から逃れる。だが、容赦なく歩み寄ってきた政貴が逃げる体を許さない。
「コウ殿は少々誇張しすぎている……私は貴女の事を誰よりも愛し、この世では味わえない悦びを対価として差し上げます」
 女はすがる様に香貴を見上げた。
「俺はあんたを殺すつもりはない。ただ、あんたの血が必要なだけだ」
 結論は、出すまでも無くそこにあった。
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