辺境伯と幼妻の秘め事

睡眠不足

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妻にして下さい

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「ジリー、首席で卒業だなんて凄いじゃないか。来月の卒業式が楽しみだな」
「ありがとうございますニック様。
 貴方に褒めてもらえると、頑張った甲斐があったと思います」

 談話室で並んでソファーに腰かけ、艷やかな黒髪を撫でる。そうするといつも通り嬉しそうに笑う、形ばかりの妻であるジュリア。
 実態はただの保護者と子供である。いや、彼女が成人してからもう二年以上が経過しているが。

 最初はニコラスの顔を見られないほどに怯えていたのに、一年も経つと抱きついてくるわ膝に乗るわで、今更ながらに子供時代をやり直しているようだった。
 ただ、未だに家人や親類以外の男性は怖がり、近寄ると硬直する。しかし実の兄ですら迂闊に近寄れなかった時に比べたらかなり改善されたので、あまり贅沢は言えない。

 成婚時はまだ十三歳。辛うじて婚姻が可能な年齢とは言え、普通はそんな子供を嫁がせない。早くに婚約が結ばれていても、十五歳の成人を待つのが普通だ。
 最悪な父に虐げられていた彼女を守るために引き受けたこの婚姻の実態はすぐに知れ渡り、今や彼女は『純潔の辺境伯夫人』との二つ名で呼ばれている。

 十七になったジュリアはまだ少女の面影を残しながらも、すっかり大人の女性だ。
 今年のデビューが楽しみだとニコラスは目を細めた。

「君のデビューなんだが」
「しませんよ、私は人妻です」

 何でそんなことをしなければならないのですか、しかもよその男性と踊るなんて絶対に嫌ですと言うジュリアは眉を顰めても美しい。
 母譲りの美貌で長じたら絶世の美女になると言われていた通り、いや、人々の予想を超えた美女に育った。
 無垢な乙女とは思えない程の匂いたつような色香も備えており、婚姻が無効になったなら、彼女を争って血が流れるとまで言われる始末。
 そんな彼女がデビューしたなら他のデビュタントは霞んでしまうだろう。そのこと自体は申し訳ないとは思うのだが、やはり「うちの子最高!」と言いたいニコラスだった。
 それが出来なくなるなんて信じられない。

「そんな! もうドレスだって手配してあるのに」
「気が早すぎませんか? まだ六月ですよ」
「君が学業に専念したいと言うから今までは見送っていたんだぞ」

 そんなものをさせられては、ますます求婚者が増えてしまう。ジュリアは絶対に頷かないと強く決意した。
 ただでさえジュリアを娶りたがっている令息は多い。いつでも婚姻を無効にするとニコラスが言い続けてきた結果だ。

(全く余計なことを)


 嫌なら踊らなくて良いからと説得するニコラスを無視して内心毒づくジュリアだが、綺麗な青い瞳に見つめられた途端に頬が緩む。

 その目にかかりそうな煌めく金の髪は、初めて会った時に、まるで暗闇を照らす光のようだと思ったものだ。
 父に近い年齢の男の人など、彼女にとって恐怖の対象でしかなかった筈なのに。まともに顔すら見られない初対面の時でも、何故か目が吸い寄せられた。
 後でそれは本当の初対面ではなく、ジュリアが夢だと思い込んでいた出来事が、二人の初めての顔合わせだと知ったのだけど。
 だからこそ最初から彼の優しい声に耳を傾けたいと思ったのだろう。

 勇気を振り絞ってしっかり顔を見た時に、父とは比べ物にならない若さに驚かされたのも恐怖が薄れた原因ではある。それでも成人した男性であり、本来ならそれほど早く打ち解ける筈がない。
 だけど常にジュリアを気遣い、何が彼女のためになるのか考えて行動するニコラスは、彼が望んだ通りに彼女の避難所となった。彼より遥かに若い義兄よりも早く打ち解けていた程に。

 未だにニコラス以外とは踊れないジュリアが彼には躊躇なく抱きつき頬に口付ける。そんな様に、まだ彼女は子供なのだと更に過保護になり、ますます異性を寄せ付けない結果となっているのは皮肉ではあるが。



「君は婚姻に興味ないのか?」
「興味というか、婚姻、していますよね?」
「そうだが、もっとちゃんとした婚姻の話だ」
「ちゃんとした、婚姻……」

 ふと、何度となく言われた台詞が甦る。

「私に想う方ができたなら、その方に嫁げるよう力になって下さるのですよね?」
「勿論だ」

 身を乗り出し、ニコラスの膝に乗り上げんばかりの勢いで迫るジュリアに戸惑いつつも答える。
 いつかこんな日が来るとは思っていたが、いざそう言われると、少し寂しいような肩の荷が下りたような複雑な心境だ。





「ではご助力をお願い致します。
 ニコラス・ワイルド辺境伯閣下、私を貴方の妻にして下さい」

 紫の瞳はいつも以上に輝いて吸い込まれそうだとすら思う。そして真剣な表情で見据える凛とした姿は美しい。
 だが聞こえた言葉は予想とは違って、反応が遅れた。

「…………君は俺の妻だろう?」

 感慨に浸っていたせいで言わせてしまった。いつもなら阻止していたのに、今回は違うと思っていたせいだ。

「そうじゃなくて、本当の妻にして下さい!」

(こんなに素敵な旦那様がいるのに、他の殿方に興味なんか持てる筈ないじゃない)

「それは、つまり」
「貴方と性交して子を孕みたいのです」
「直球すぎだろう!」
「まどろっこしいんですよ、無駄な時間をかけていられないんです!
 急がないと、いつまでこの家にいられるか分からないのに」

 必死なジュリアを見て、ニコラスは言葉が足りなかったと反省した。

「もし君が出ていきたくないのなら、ずっとここにいて良いんだ。
 無理に誰かに嫁ぐ必要はない。だからこんなオッサンに身を任せるような真似はしなくても」
「そうじゃないんです!
 ニック様が好きだから抱かれたいんですよ」

 わからず屋! と憤る姿に頭を抱えたくなった。
 彼女の想いに気付かなかった訳ではない。むしろ痛いほどに伝わってきた。だが、それは刷り込みのようなもの。幼子が「大きくなったらお父様と婚姻するの」と言うあれと同じだと思っていた。
 実父が最低だったために、ニコラスにそれを求めているだけ。いつか成長し、巣立っていくものだと信じていたのだ。

「夫婦の語らいをしたいんです、他でもないニック様と。
 同じベッドで眠り、貴方の腕の中で朝を迎えたいのです」

 どのように言い聞かせるべきか悩むニコラスに構わず言い募るジュリア。もう彼女の口を塞ぐ方法が分からない。

「君はまだ十七だ」
「そうです。成人して二年以上が経ちました。そして九月には十八になります」

 もはや子供ではない。ジュリアと同じ年齢で、既に子を産んでいる夫人だって珍しくないのだから。

「俺は四十一になる」
「はい、今月末のお誕生日が楽しみです。今年も二人でお祝い出来ますね。
 お姉様は子育てでお忙しいでしょうし」

 にこにこと擬音がつくような笑顔で返す彼女は全く怯まない。それどころか、ニコラスの腕に手をかけ、ますます身を寄せる。

「今はまだ良いが、十年、二十年後を考えているのか?
 君はますます美しく花開くのに、俺はヨボヨボのジジイになるんだぞ」
「ワイルド家は長命種の血を引いているのですよね? 中でも貴方は特にその血が強く出たとお聞きしました。
 確かに五年前より渋味が増して素敵になりましたが、まだお若く見えます。先祖返りとまではいかなくても、その特徴が顕著なのでしょう。
 むしろ私が貴方より早く老け込む心配をしなくてはいけないと思いますよ」

 ああ言えばこう言う。何を言っても気にせず食らいつくジュリアを前に、成長したなとしみじみ浸りそうになり慌てて振り払う。現実逃避をしている場合ではない。


「俺は君を守り育てる対象だと思っている」


 腕にしがみついていた手をそっとどけられた。そして少し距離を置いた上で申し訳なさそうに目を逸らして告げられ、ジュリアは唇を噛む。
 残酷だとは思うけれど、ごまかさないところがまた好きなのだ。

「はい、知っています。だからチャンスを下さい」
「チャンス?」
「貴方の認識を変えるチャンスです。ちゃんと私が一人の女だと知って下さい」

 当然断るつもりだった。だけど必死に目で訴えるジュリアを目の前にして、ニコラスは頷いてしまう。

「ありがとうございます! 早速ですが、今夜ニック様の寝室に行かせて下さい」

 今にも泣きそうだった顔が打って変わって輝かんばかりの笑顔になる。その顔を見たら何でも許してしまいたくなるニコラスが、ジュリアに勝てる訳がなかったのだ。

「気が早すぎだろう」
「寝込みを襲うと最悪の場合は殺されると止められましたので」
「誰に?」
「ミルズ公爵閣下です」
「今度アイツの好きな酒を贈ろう」

 有事に即応できるよう鍛えられた上に、先祖の血のおかげか腕力も常人離れしたニコラス。彼は寝込みを襲われたら確実に相手の首をへし折る。もしジュリアにそんなことをしていたら、自分は絶望のあまり生きてはいられなかっただろう。
 止めてくれた悪友に感謝しなくては。
 勿論、最初から共に寝ていれば大丈夫だ。もう諦めて受け入れるのが自分の心臓にも優しいと諦めた。



「場所は俺の寝室で良いのか?」
「欲を言えば夫婦の寝室が良いですけど」
「いきなり用意できないだろう」
「そちらでも良いなら、いつでも使えるようになっていますよ」

 使用人たちもグルなのかと力なく呟くニコラスに申し訳ないと思わなくもない。
 でも負けられない戦いなのだ。最強の辺境伯を落とすには、周囲をも巻き込み利用しまくってナンボである。
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