夏夜の涼風に想い凪ぐ

叶けい

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9.好きでいても良いですか

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―瑠維―
病院に戻って大慌てで着替え、エレベーターで屋上のヘリポートまで上がった。
「…え?」
扉の前で立ち止まる。古すぎて黄ばんだ張り紙には、大きく『立入禁止』の文字があった。
何だか嫌な予感がしながら、さび付いたドアノブを回す。風の抵抗を受けながら、分厚い鉄の扉がゆっくり外側に開いた。
だだっ広いヘリポートが眼前に広がる。夜の暗がりに浮かび上がる、白衣の後姿。
「何やってるんですか、世良先生」
ガシャン、と大きな音を立てて扉が閉まる。僕の声が聞こえたのか、物音に反応したのか分からないけれど、風になびく白衣の裾を押さえながら世良先生が振り返った。
「遅えよ」
「何でこんなとこでタバコ吸ってるんですか、ばれたらクビですよ!」
言いながら世良先生の近くへ歩み寄る。先生はくわえていたタバコを指で挟み、にやりと笑った。
「ま、そうなったらそれで良いんじゃん?病院継がなくてよくなるし」
「もう…どうしてそう、色々いい加減なんですか!ていうか外科部長が呼んでるとか嘘ですよね?!そもそもどうやって、ここ入ったんですか?ばれたら僕まで怒られる…っ」
矢継ぎ早に文句を繰り出していたら、急に世良先生は可笑しそうに笑った。
「何で笑うんですか!」
「いや…良かった。いつも通りの片倉だ」
はっとなる。
世良先生は、残り短くなったタバコを再び口にくわえた。
「俺の事、避けてたろ」
「…すみません」
「桃瀬の手術も無事終わった事だし。そろそろきちんと返事しないと、と思って呼び出したんだよ」
―返事。
返事と、いうのは。
「いっ!いいですもう、あれは忘れてください!」
「いきなりキスしといて、忘れろって言われてもな」
一気に頬に血が昇った。細いメンソールのタバコをくわえた唇に、思わず視線がいってしまう。
「あの…っ」
「ん?」
「ごめんなさい!」
がばっと勢いよく頭を下げる。
「は?何が」
「だからその、いきなりキスしたりして…っ」
ていうか、と震える声で続ける。
「急に好きだなんて言って、ごめんなさい…」
「え、それも謝んの?」
「だって…自分勝手なことして、本当に申し訳なく」
「良いよ別に。不意打ちでびっくりしたけど、お前の気持ちなんて前から気づいてたし」
「えっ?!」
分かりやすすぎんだよ、と世良先生は笑った。指を折って数え始める。
「コーヒーばっか飲むなー、電話出ろー、ご飯ちゃんと食べろー、仕事しろー、って。やたら世話焼くのは、俺に気があるからだろな、って思ってた」
「…」
「その内からかってやろうと思ってたのに、あんな大真面目に告白されたら照れるじゃん」
「照れるとか、絶対うそだ」
世良先生は、ポケットからいつもの携帯灰皿を出して吸殻を捨てると蓋を閉じた。
風が凪いだ静かな空間に、ぱちん、と硬い音が響く。
「あれから毎日、お前のこと考えてたよ」
「え、っ…」
「自分で言ったんだろ、少しは僕の事も考えてくださいって」
「う…言いました…」
火照った頬を両手で挟む。同時に、答えを聞く不安から、鼓動がずきずきと不穏なリズムを刻み始める。
「…考えて、どうでしたか」
白衣の両ポケットに手を突っ込んだ世良先生が、ゆっくりこちらを向く。
ごめん、と、低いハスキーな声が耳に届いた。
「今は、お前の事だけじゃなくて他の誰の事も、そういう風には考えられない」
「…そうですか」
柔らかな桜色の髪の毛を揺らして笑う、桃瀬さんの顔が思い浮かんだ。
「先生、やっぱり桃瀬さんのこと…」
「だから、違うっつーの。…けどまあ、他の友達以上には思ってるのかもな」
寂しそうな横顔が、夜空を見上げる。
「…先生」
「ん?」
「僕じゃだめですか」
往生際が悪いと分かっていたけれど、勝手に言葉が口をついて出る。
「桃瀬さんの代わりになれませんか?」
他の誰の事も考えられないくらい、そんなに想っている相手の代わりになんて。図々しいのは分かっていたけれど。
「…代わりなんか、いらない」
呟くように言った世良先生が、困った様に笑う。
「誰も代わりになんかなれないよ。…ごめんな」
「…はい」
―遠くの空が、赤く光った。
「え?」
「お、始まったかな」
「何…」
目を凝らしていると、今度は黄色い光の玉が弾けた。遅れて、微かな振動音。
「こんな時期に花火?」
世良先生の白い指が、花火の上がっている辺りの方角を指さす。
「あそこの遊園地だよ。今日、何かイベントあるらしくてさ。桃瀬に教えてもらった」
「…きれいですね」
「これ見たら、笑ってくれるかなと思って」
片倉、と名前を呼ばれ、先生の方を見た。いつもの眼鏡越しじゃない、黒い瞳と直に目が合う。
「俺は、お前の事だって大事に思ってるよ」
ドン、と一際大きな音が聞こえた。次々に上がる、色とりどりの花火へ視線を向ける。
「…ほんと、たらしですよね。期待させるような台詞は欲しくないです」
拗ねた口調で言ってみると、さあどうかな、と笑いを含んだ声が返ってきた。
「5年後くらいに、もう一回言ってみろよ。そしたら気持ち変わってるかもしれない」
「…何それ。じゃあ約束してくださいよ、5年後もう一回告白しますから。それまで誰とも付き合わないでください!」
「いいよ?」
即答され、ふてくされた。
「絶対からかってる」
「違うって」
白い手が伸びてきて、そっと僕の頭を撫でた。
最後の一発らしい、大きな光が見えた。それきり、静かになった。
「世良先生」
「ん?」
「僕…先生のことが好きです」
「知ってる」
「いつか、先生の中で一番になれるように頑張るから」
ずっと堪えていた涙が、勝手に頬を伝って落ちる。
「…これからも、そばに居させてください」
くしゃっと、髪をかき回された。
「当たり前だろ」
顔を上げる。細い指先が、熱い雫をなぞった。
「好きになってくれて、ありがとな」
切ない気持ちが込み上げてくる。これ以上優しくされたらおかしくなりそうで、必死で涙をこらえて空を見上げた。
「花火、きれいだったな」
「…はい」
「夏になったら、そこの川沿いで花火大会があるだろ」
そこ、と世良先生が指差した方を見る。
「有名なやつですよね」
「そうそう。川沿いだと人多いし、またここから見れるといいな」
何でも無いことのように、さらりと言う世良先生の顔を見る。
「…先生、ここ来るのに許可得てます?」
「何でそんな事必要なんだよ、俺を誰だと思ってんだ」
「もう!入口の貼り紙見てないんですか?!立入禁止ですよ、ここ!」
「細かいなあ、お前」
「全然細かくない!」
「なら花火見れないな。残念」
「そうじゃなくて…」
勇気出して、言った。
「ちゃんと、見に行きましょうよ。…二人で」
世良先生は風で乱れた自分の前髪に触れながら、小さく笑って僕を見た。
「考えといてやるよ」
「!はい…!」
そろそろ戻るか、と背中を向けた世良先生の後を追った。

―傲岸不遜で、自信満々で、適当で。…だけど本当は、誰より優しくて。
コーヒーとタバコと栄養ゼリーだけで生きてるような、世話の焼ける困った先生。
いつか振り向いてくれますか。今はまだ、行き場のない想いを持て余して、戸惑っているあなたの気持ちが落ち着いたら。そしたら、僕を見てくれますか。
それまで、好きでいても良いですか。

風が凪ぐ。静けさを取り戻した夜空に、微かな星明かりが瞬いていた。

―fin―
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