眠らぬ夜空に陰る朧月

叶けい

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最終話 花言葉

last scene

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―慶一―
……暗い、深い海の底にいるような感覚から、目が覚めた。

「あ、気づいた」
ハスキーな声が聞こえて顔を向けると、白衣のポケットに両手を突っ込んだ医者らしき人物が、俺を見下ろしている。
「世良……?」
「あー、俺の事分かるか?なら大丈夫そうだな」
「……何で……」
「お前、事故って病院に運ばれて来たんだぜ。覚えてる?」
「事故……」
ずきずき痛むこめかみに手を触れると、ざらりとした包帯が巻かれていた。
「あ。出血すごかったけど、切れた場所が悪かっただけで脳に異常はないから」
「……っ」
「おいおい、まだじっとしてろよ。肋骨は数本折れてんだからな」
こんな時でも飄々とした態度を崩さない世良だったが、ベッドから身を起こそうとした俺を押しとどめた白い手が、微かに震えていた。
世良の表情が、真顔になる。
「……まじで、びっくりさせるなよ」
「ごめん……」
視線を動かすと、ベッド脇のキャビネットの上に、花束が置いてあるのが見えた。
「ん、これ?」
俺の視線に気づいた世良が、花束を手に取って見せてくれる。白い薔薇が、三本。
「本当、どういう関係なの?君ら」
「え?」
「呼んでこようか。そこにいるぜ」
誰を、と問う間もなく世良は病室から出て行ってしまった。入れ替わりに、黒いジャケット姿の男性が入ってくる。
「……久し、ぶり」
掠れ声でそう言うと、柳さんはベッド脇まで歩いてきて、丸椅子に腰を下ろした。
「せっかく手の怪我が治ったと思ったら、また随分な大けがをされて。災難続きですね」
淡々とした低い声が、病室に響く。思わず柳さんの頬に、手を伸ばした。
「お前、なんて顔してんだよ……」
青褪めた頬に当てた手を、強く握られた。柳さんの表情が、苦しげに歪む。
「無事で良かった。心臓が潰れそうでしたよ」
「……ごめん」
痛いくらいの強さで握ってくる手を、握り返す。
「ていうか、久しぶり」
「はい。会いたかったです」
直球な物言いに苦笑した。
「まるで、遠恋の恋人だな」
柳さんは俺の手を離すと、世良がキャビネットの上に置いていった白い薔薇を手に取った。
「今度はちゃんと、意味を調べて買ってきました」
三本の白い薔薇と、かすみ草。赤い包装紙を纏ったそれを、柳さんが俺の目の前に差し出してくる。
「俺の気持ちです」
「……どういう、意味?」
受け取りながら問うと、少し照れくさそうに柳さんは微笑んだ。
「"あなたを愛してる"」
「……あんた、知ってるの」
くしゃり、と手の中で包装紙が潰れる。
「透人と……俺の恋人と浮気してたの、あんたの元恋人なんだよ」
すると、知ってますよ、と冷静な声が降ってきた。
「そんなの、大した事じゃないでしょう。俺はただ、貴方に恋しただけなんですから」
柳さんは俺の手から薔薇を取り上げると、枕元に置いた。甘い香りが漂ってくる。
「白い薔薇も、よく似合います」
「……そう?」
骨張った指先が、前髪を掬い上げてくる。目を閉じると、柔らかな感触が唇を塞いできた。
「今日は、タバコ吸ってないんだな」
いつもの苦い味がしないのでそう言うと、そんな余裕あるわけないでしょう、と呆れられた。
いつもきっちりセットされている黒髪にほつれを見つけて指で触れると、そっと握られた。
「ところで、返事は?」
「ん?」
「告白しているんですが、俺……」
不意に、強い風が吹いたのか、バサッと音がしてカーテンが揺れた。
「……あ」
窓の外に白い輝きが垣間見えた。知らないうちに夜になっていたらしい。
「どうしました?」
怪訝そうに聞いてくる柳さんに、悪戯っぽく笑ってみせた。
「……『月が綺麗ですね』」
じっと目を見つめる。やがて、意味が通じたのか柳さんは小さく吹き出した。
「貴方は本当に、素直じゃない人だな」
「何でだよ。意味、伝わったんだろ」
「ちゃんと言ってください」
太く逞しい首に手を回した。身をかがめてくれた柳さんの耳元に、唇を寄せる。
「……俺も、愛してるよ。」

―fin―
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