想いの名残は淡雪に溶けて

叶けい

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第七話 忘れ物はそこに

Chapter23

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―匠海―
クリスマスらしい夕飯をご馳走になり、片付けも済んだところで「コーヒーでも飲むか?」と聞かれた。
「はい、いただきます。」
「ん、待っててな。」
インスタントじゃなく、きちんと挽いた豆からドリップしたコーヒーをマグカップに注いで持ってきてくれる。
「はい。」
「ありがとうございます。」
湯気の立つコーヒーに口をつける。美味しい、と素直に口から感想がこぼれた。
「コーヒー淹れるのも上手いんですね。」
「そう?三浦はほんまに、誉めるのが上手いな。」
少し照れた様子で視線を下げる。
「俺は思ってる事を素直に言ってるだけです。料理も、めっちゃ美味しかったし。」
ふ、と佐伯さんの表情が緩む。
「いつも美味しそうに食べてくれるから作り甲斐あるわ。」
一人で作って食べるのは寂しいからな、と独り言のように付け加える佐伯さんに聞く。
「俺とご飯食べるの、楽しいですか。」
「うん?楽しいよ。」
「俺、食べながら何も話とかできないけど。」
「それはもう、諦めた。よく食べるから、見てるだけで元気になる気いするし、別にええよ。」
ゆっくりコーヒーを啜る佐伯さんに向かって、じゃあ、と慎重に言葉をつづけた。
「俺が一緒に飯食う事で、佐伯さんの元気が出るんだったら、これからずっとそうします。」
佐伯さんは、虚を突かれたような顔をした。
じっと反応を窺っていると、やがて、そおか、と小さく声がした。
「それは、楽しいやろね。」
それ以上何も言わず、コーヒーを飲み続ける。
膝の上に置いた手を、拳の形にぐっと握った。
「佐伯さん。」
「ん?」
「俺に何か、言うことありませんか。」
一瞬だけ、驚いた様に俺を見た。けれどすぐに、諦めた様にため息を吐く。
「…ああ、異動の話?そうなんよ、4月から大阪戻ることになってな…。」
「…。」
「俺が元おった部署の人が辞めるらしいわ。寿退社やから喜ばしい事やねんけど。」
秋頃から、何度か個人的に連絡をもらっていたのだという。
どうしようか迷っていたが、大阪支社は少し前から人手不足だったらしく、上からも相談されて断り切れなくなったのだと。
何も言わない俺を見て、佐伯さんは困った様な笑みを浮かべた。
「何やの、三浦。俺がおらんようになるん、寂しいんか?」
握りしめたままの手のひらに、爪が食い込んだ。
「寂しいです。」
はっきりそう言うと、佐伯さんは泣きそうな顔になった。
「…そおか。」
俺は、と、佐伯さんの方へ身を乗り出す。
「俺は佐伯さんと会えなくなったら寂しいです。佐伯さんは違うんですか?俺と会わなくなっても、何も思わないんですか?」
「…。」
「どうして異動の事、教えてくれなかったんですか。このまま佐伯さんが異動してしまったら、同じ会社の先輩と後輩っていう繋がりすら無くなっちゃうんですよ。」
薄っすら涙を浮かべた目で、佐伯さんが俺を見る。
「…そうやで?」
「…佐伯さん…。」
「今自分で言うた通りやろ。同じ会社の、先輩と後輩。それ以上でもそれ以下でもないで。」
冷たい言い方だった。わざとそうしていると、鈍い俺でも気づくくらい。
「嫌です。」
「…三浦?」
「俺は、それじゃ嫌です。」
「…嫌や言うても、どないするん?異動はもう決まっとることやし、そうしたらもう三浦とは」
「そうじゃなくて!」
声を荒げかけ、思いとどまる。困惑した様子の佐伯さんに、俺は、と落ち着いて言葉をつづけた。
「このままの関係じゃ嫌なんです。この間みたいな事があった時に、当たり前のように俺があなたを守れる立場になりたいんです。」
「この間、って?」
「大阪出張の時に、ミサキさんて人に絡まれたでしょう。」
あの夜。酒に酔って過去の話をしながら、ひどく傷ついた顔をしていた佐伯さんを思い出す。
あの時本当は、佐伯さんが躓いて俺の方に倒れ込んでこなくても抱きしめたかった。一晩中、傍に居てあげたかった。
もう二度と、あんな淋しい顔をさせたくなかった。
「大阪に戻ったら俺はあなたの後輩じゃなくなるかもしれないけれど、辛いことがあったり、寂しくなったら俺に言ってほしいんです。年下の分際で生意気かもしれないけど、俺が佐伯さんを守りたいんです。」
「…。」
「…だめですか?」
佐伯さんは、袖に隠れた両手でマグカップを握りしめたまま、声を絞り出した。
「そんな一方的に、気持ちぶつけられても困るわ…。」
「…佐伯さん。」
「ありがとな、気持ちは嬉しいよ。」
けど、と佐伯さんは言う。
「これ以上踏み込んだ関係になったら、お互いに絶対しんどいで。」
どういう意味かは、聞かなくても分かった。
同時に、佐伯さんが言うように、これ以上は踏み込んでいけないのだとも気づく。
「…すみません。生意気言いました。」
ぬるくなったコーヒーを飲む。…本当に言いたかったことは、言えなかった。
時計の秒針が、いつまでも諦めの悪い俺を急かすように存在を主張してくる。
「ごめんなさい、すっかり長居しちゃいましたね。明日も仕事なのに。」
空になったマグカップを置いて立ち上がる。
「帰ります。」
「…送ってくわ。」
同時に立ち上がった佐伯さんを押しとどめる。
「一人で帰ります。」
「でも外、雪降ってるんとちゃう?」
「あ。」
言われ、カーテンの隙間から外を見た。
「雪…じゃないですね、雨だ。」
小雨が控えめに降っている。俺の呼気で、窓ガラスが白く曇った。
「なら尚更送ってくわ。風邪ひくで。」
隣の部屋からコートを持ってきて羽織り、車のキーを手にした佐伯さんの背中を追って玄関を出る。
「さっむ。」
よく見ると、雨ではなくみぞれだった。明日の朝には道路が凍ってしまいそうだ。
「佐伯さん、運転大丈夫ですか。危ないんじゃ。」
「平気やて。はよ行こ。」
「はい。」
エレベーターで下まで降り、佐伯さんの車の助手席に乗り込む。
もうこれが最後かもしれないな、と思いながら、シートベルトを締めた。
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