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2章

コーヒーの香りと「黄色いゼラニウム」を添えて01

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♢ ♢ ♢



「だって、俺は、“同居ドール”だからね」


そういった彼…否、“ソレ”との出会いは、一日ほど時間を遡る。



♢ ♢ ♢



10月14日


10月も半ばに差しかかってくれば、もういよいよ秋本番。特別暑い日もなければ、寒さを感じることもない、とても過ごしやすい時期である。何かを始めるには、もってこいの季節だ。そんな秋の季節といえば、「スポーツの秋」「芸術の秋」「読書の秋」。いろいろなこの時期ならではのものが思い浮かぶであろう。


「スポーツの秋」、さほどスポーツが得意ではない私にとって、縁遠い言葉の一つである。大学1年生のときに、ハンドボール投げ9m、シャトルラン33回など19歳の若さにしてありえない記録を通じて打ち立て、体力年齢60歳と烙印を押された私にとって、スポーツはただの苦でしかない。あ、でも、握力だけは、なぜだか、強くて、40kgずつあった。なぜか。一体、何の役に立つのだろう。


「芸術の秋」、常日頃から「画伯」として称賛されている私だ。以前、先輩の大学の卒業式で色紙を書く際に、かわいいうさぎのつもりで書いた絵が、「なに、地球外生命体」といわれたのは、記憶に強烈に残っている。もちろん、この「画伯」とは、辞書に載っている「絵の道に優れた人」という意味ではなく、「独特の絵心を持った人」という意味で使われている。とどのつまり何が言いたいかというと、芸術という言葉も似あわない言葉である。


「読書の秋」、愛読書は、漫画である。以上。


というわけで、私が思い浮かぶ秋といえば、「食欲の秋」なわけで…。


「…しまった、食料が尽きた」


つい先日、大量に買い込んだはずの食料が、いつの間にか底をついていた。小腹がすいては、食べていたのが、仇となったか。ついつい食べすぎてしまっていた。「食欲の秋」だから、仕方がないと自分に言い訳をする。「食欲の秋」…、なんて便利な言葉だ。


「この時間から出るの面倒だな…」


窓の外を見れば、すでに空は茜色。夕焼けに染まった町並みが見える。
壁にかけてある時計を見れば、17時5分を過ぎていた。


「…ま、時間はたっぷりあるもんね…」


“…私は”小さく独り言ごちて、クローゼットの中のキャメル色のジャケットを取り出した。
スポーツの秋だというし、少し歩くか。運動嫌いとは言え、たまに、体を動かさないと、おなかが出てしまったら嫌だし。徒歩で片道20分。少し歩くには、丁度いい距離だ。


♢ ♢ ♢



「ジャケット着てきて正解だった…」



必要な食料を買い込みスーパーから出てみれば、外はすっかり真っ暗闇。日が落ちるのが早いななんて思う。昼間は暖かいとはいえ、夜になると気温が下がる。秋だ、秋だと思っていたが、もう少しで、冬だしな。そして、一つだけ反省。


「…買い込みすぎた」


「はぁ…」と、ついため息が出た。私の両手には、パンパンに張ったエコバック。時間が時間で、ちょうどタイムセールや値段が落ちた激安食品が多く出ていて、ついつい買ってしまった。しかも、歩きだ。誰だ、歩くとか言ってた奴。これなら、車で来るべきだったなと反省。後悔しても遅い。仕方がないので、普段は車で通りすぎてしまう道をゆっくり歩く。


自宅マンションまで、あと10分の距離にたどり着いたところで、ふわっと何かの香りが鼻をかすめた。


「…この香りは」


ふわっと香ってきたのは、ほろ苦い匂いコーヒーの香り。匂いのもとを辿れば、10メートル先に、それらしい建物があった。


「あれ…?こんな店、ここにあったっけ?」


行きは、反対側の歩道を通ってきたから、気づかなかった。私の記憶が正しければ、ここは空きテナントだったはずなのだが。いつもは、車で通るから定かではないが。看板を見ると、「喫茶 ゼラニウム」と書かれている。どうやら、喫茶店のようだ。というか、ゼラニウム…?なんだそれ?マグネシウムの仲間か?新しい栄養サプリメントみたいな名前だ。


メニューを見ると、コーヒーのほかにも軽食もあるようだった。

「マカロニグラタン…か…」


そういえば、最近食べていないなとふと思う。一人暮らしなので、自分が食べるだけだし、さほど手の込んだものは、作らないし。
貯金を切り崩すことになるから、あまり外食はしたくはないという気持ちも働くわけで…。
う~ん…と悩んでいるとタイミングよく、“ぐー”とお腹が鳴った。しかも、結構大きい。まるでいいんじゃない、とでもいうように。


「……」


恥ずか死ぬ。思わず、お腹を押さえて、当たりを見渡す。幸いにも、当たりの騒音で聞かれてはいないようだった。


「食欲の秋っていうしね…」


それに、またこれから歩いて帰らなきゃだし。カロリーも消費できるしね。腹が減っては戦はできぬとかいうしね。誰も聞いていないけれど、心の中でありったけの言い訳を並べて、「喫茶 ゼラニウム」と書かれた店の扉に手をかけた。


♢ ♢ ♢


“からんからん”という扉につけられた鈴が音を立てながら、「喫茶 ゼラニウム」の扉を開くと、そこは、アンティーク調の家具が置かれていた。趣あるシャンデリアが、店内をほんのり明るく照らし、コーヒーのいい香りが鼻孔を刺激する。店内を見渡せば、客は私一人だけのようだ。そんなことを思っていると、「いらっしゃいませ」と低めの男性の声が聞こえた。そちらを見れば、銀髪をオールバックにまとめ、黒いエプロン姿に、眼鏡をかけた50代ほどの男性が深くお辞儀をしたあと、穏やかな表情を浮かべていた。まさに、純喫茶って、感じの。この喫茶店のマスターだろうか?そんなことを思っていると、彼はにこやかに微笑んで、近づいてきた。


「何名様でしょうか?」
「1人です」
「お好きな席へおかけになってください」
「ありがとうございます」


思ったよりも広い店内。私は、一番奥の壁際の二人掛けの席に近づいた。1つの椅子に大量に買い込んだ品を置いて、その対面に腰を下ろした。そして、ぐぐーと足を伸ばす。バキバキとここでは似つかわしくない音を立てる。まぁ、いい。一人しかいないのだから。ゆっくり店内を見渡せば、ところどころに黄色い花が飾られている。


「…あじさい?」


思わず思いついた花の名前を口にする。


「ゼラニウムという花ですよ、お嬢さん」
「ゼラニウム…?」


ちょうどそこにお水とメニュー表を携え、先ほどのこの喫茶店のマスターらしき人がやってきた。


花といえば、チューリップとひまわりくらいしかぱっと思い浮かばない私にとっては、聞いたこともない花。


「ん?ゼラニウム…?」



ひっかかったその名前を口にして、ふと合点がいった。


「このお店の名前の花…?」
「そうです」
「…なるほど、一つ謎が解けました。新しい栄養サプリメントの名前かと思っていました」
「ははは…お嬢さんは、愉快な人ですね」
「…そうですかね」
「そして、素敵なお嬢さんだ」
「…どうも、ありがとうございます」


そういって首を竦めれば、目の前にお水とメニュー表を置かれた。


「ご注文が決まりましたら、お呼びください」


♢ ♢ ♢



「…はぁ、美味しかった」


お腹が満たされて、思わずお腹をさする。当初の予定では、マカロニグラタンとコーヒーだけだったが、メニュー表を眺めていて我慢できずに、ガトーショコラを頼んでしまった。量が多いかなと思ったけれど、何のことはない。美味しくて、あっという間に平らげてしまった。


「食後に一杯どうですか?こちらはサービスです」
「え…?でも…」
「美味しく食べてもらえたみたいですから」

私が、平らげた空になった皿をちらりと見て、軽くウインク。様になっているところがすごい。せっかくの好意なので、ありがたく受け取ることにする。


氷の入ったグラスから香るのは、コーヒーの香りだ。テーブルの上に置かれたびんから、角砂糖を1つ摘まみだして、中に入れて、かき混ぜる。


「…美味しい」


ほろ苦さと甘さが口の中に広がっていく。


「お嬢さんは、本当に美味しそうに食べますね」
「ここのものが美味しいんですよ」
「ありがとうございます」


始終、この人は笑っている印象だ。だから、つい口に出してしまった。


「この仕事が大好きなんですね」
「はい」


私の突然の問いに彼は一層目を細めて即答。それだけでわかった。この仕事に誇りを持っているんだと。仕事に誇り…?あの頃の私は…。


♢ ♢ ♢



『これ、やっといて』
『え?この仕事、私したことないのですが、教えていただ…』
『じゃあ、自分で考えてやれば?忙しいの。いちいち、聞かないで』


『なんで、勝手にやったの?』
『…申し訳ありません』
『本当、使えない!!』


怒声に罵倒、地獄のような日々を送っていた。


♢ ♢ ♢


「…どうされました?」


呼びかけられて、はたと気が付く。目の前には心配そうな表情を浮かべた彼。


「真っ青な顔をされていたので。ご気分が悪くなったのかと」
「…いえ、少し昔を思い出したみたいで」
「…そうですか?」


なおも気遣う様子の彼に、“大丈夫ですから”そういって、心配かけないように無理やりに笑顔を作る。


「…もう、私には、関係ない話ですし」


握っていたグラスの氷が私の手の熱で溶けたのか、からんと音が鳴った。



♢ ♢ ♢



「わ…もうこんな時間」


その後、アイスコーヒーを堪能しつつ、しばらく世間話をしていたが、気が付けば20時を指そうとしていた。さすがに、これ以上居座るのも申し訳なくなり、立ち上がる。だいたい喫茶店って、そんなに夜遅くまでやっているイメージないし。


「この店の閉店時間って何時だったんですか?」
「本来は、19時ですが、私の気のすむまでですから、気にしないでください」
「わ!1時間もオーバーしてしまってる!ごめんなさい!」


“そろそろ、お暇します”と片手に財布と片手に2つのエコバックを抱え、レジへと向かう。入ってきた扉の目の前に、レジが置かれている。会計をしてもらい、さぁ、帰ろうかと扉の方に足を向けて気が付いた。


来たときには気が付かなかったが、扉のすぐ真隣にガラス張りのショーケースがあったよう、その中に、何かが並べられていた。


「覗いてもいいですか?」
「いいですよ」


快諾する彼に甘えて、近づいてみれば、「わぁ…」と思わず、感嘆の声が出た。


「…素敵ですね。人形ですか?」


ショーケースの中には、30センチほどの数体の人形が箱に入れられたまま飾られていた。左から順に眺めていく。

「…ん!?」


すると、その中の一体と、一瞬、目が合ったような気がした。白いタキシードに身を包んだ亜麻色の髪の空色の瞳を持つ人形と。


「…まるで生きているみたい」


思わずつぶやく。気のせいだろうが、確かに、目があったような気がしたのだ。亜麻色の髪の人形だけではなく、ほかの人形もかなり精巧に作りこまれている。身に着けているものはもちろんのこと、表情も全く違うが、共通して言えるのが、どれも幸せそうに笑っている。そして、亜麻色の髪の彼がひと際幸せそうに微笑んでいるように見えた。


「大切にされ、想いの詰まったものには、いつしか心が宿るものです」
「素敵ですね、その考え」


“ふふ”と笑えば、彼は穏やかに微笑んで、一つ提案してきた。


「どうです?せっかくです、お嬢さん。気に入った人形があるのなら、一体、持ち帰ってもいいですよ?」
「え…!?アンティークの人形って、すごく高いんですよね!!」


しかも、これだけ精巧な人形だ。下手したら、軽自動車くらいなら、一台買えそうだ。


「いえいえ、彼らは、同居ドールですよ、お嬢さん」
「同居ドール?」


聞きなれない単語に、オウム返しで繰り返した。同居ドール?同居人形?同居する人形ってこと?


「彼もお嬢さんと一緒に居たいみたいですし、ね?」


そういって、彼が指さすのは、亜麻色の髪の髪に、空色の瞳を携えた一体の人形。
“ね?”と念を押されれば、断るわけにもいかず、“じゃあ、お願いします”というと、彼はショーケースから、亜麻色の髪の人形を取り出す。その空色の瞳を見ると、きらりと光ったような気がした。


♢ ♢ ♢


「同居ドールと住むにあたって、守ってほしいものは、一つだけ」


ショーケースから出された人形をテーブルの上に置いて、改まった口調で彼はそういった。


「守ってほしいもの?」
「一種の契約みたいなものですよ」
「契約…ですか…」


高級な人形を持つには、契約が必要なのか。知らなかった。どんなものなのだろうと、身構えていると、彼は人差し指を上に向けて一言。


「『主人』と『同居ドール』、それ以上の感情をもってはいけない」


え?どういうこと?


「それ以上の感情…?」


人形だよね?人形に感情も何もなくない?そんな私の心の中で呟いた疑問に、まるで今世紀最大の秘密を明かすかのように彼はいたずらっぽく答えた。


「それは…恋の感情ですよ」と。
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