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序章

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 父は現国王様の執事。母は現皇后様にお仕えしている侍女。父母ともにこの国の王族に仕える我が一族は、代々この国『アルバーン』家に仕える一族だ。私自身、この世に生まれ落ちたときから王室付きの侍女になることが決められていた。

 と、ここで少し私の昔話をさせてもらおう。さて、その前に一つだけ質問させていただこうか。皆さんは転生……つまりは生まれ変わりというものを信じるだろうか?

 いきなり突拍子のない質問だと一蹴する人もいるかもしれないが、何を隠そうこの私には少しばかり前世の記憶がある。自分が生まれ変わりだと自覚したのは、4歳の頃。当時わんぱく盛りだった私は父母の制止も聞かず家の中を走り回った結果、階段を踏み外し10段ほど下に転げ落ちた。打ち所が悪かった私は1週間ほど意識が戻らず生死の境をさまよったのだという。

 その時に思い出されたのは自分は、魔法なんて存在しない地球という星に生まれたごくごく普通の家庭に生まれたごく普通の娘だったというとだ。幼い頃から憧れつづけた保育士になったばかりの20歳の女。忙しいながらも充実した毎日。その当たり前に続くと思っていた毎日が唐突に終わってしまったのは、桜が散る季節の頃。保育園から自宅への帰り道、突然背後から車が突っ込んできた。その世界で最後に見たのは、夜空に一際大きく輝く満月に桜の花びらが舞う景色。意識が朦朧とする中で、やけに鮮明に目に焼き付いていた。

 意識不明から1週間後。神様の贈り物か、はたまたいたずらだったのだろうか。当時4歳の私は前世の20年分の記憶が携えてベットの上の意識を取り戻した。

 この世界での名を『エリン・ルノアール』。代々この国の王族『アルバーン』家に仕える『ルノアール』家の長女として、私は二度目の生を受けた。前世で保育士になったばかりに命を落としてしまった私としては、誰かのお世話を焼くというのは嫌ではなかった。二度目の生で侍女としての生を歩むことが定められていても、せっかく授かった二度目の生だ。この使命をしっかり果たして、最後まで生を全うすると決めていた。

――そんなある時、私は“彼”に出会った

 私と“彼”が出会ったのは、忘れもしない10年ほど前。年が近いということもあり、父母に私がお仕えしていくのはこの国の第二王子だと聞かされていた。どんな子どもだろうとまだ見ぬ第二王子に胸を膨らせていた。

初めて父と母に城に連れていってもらったのも、この時だった。装飾がなされた豪華な壁や柱、廊下に置かれている彫刻は前世の美術館でしか見たことがないようなものもあり、端的にいえば年甲斐もなくはしゃいでしまった。当時8歳の私が年甲斐もなくというのもあれだが、中身はすでに成人して前世で生きた年数を含めてしまえばアラサーだ。そんな見た目は子ども、中身はアラサーのおばさんの私は、城の中の美しい芸術品を見ているうちに父と母とはぐれてしまったのである。ほどほどに困り果てて、この広い城内下手に動きまわると迷子になると思った私はとにかく広い場所に出ることを決めた。もし城内で衛士に見つかったとしても、私は子どもだ。下手なことはされないと高をくくって、城の広い場所へ向けて進んでいると、懐かしい色がちらりと目に入った。

『桜……』

 目の前の柱から一枚、また一枚。風に乗って花びらが落ちていっているのが目に入った。知らず知らずのうちに歩を進めて、柱の向こうを覗けばそこには一本の大きな桜の木が立っていた。

『懐かしい……』

 私が手を翳せば手のひらにふわりと見慣れた薄桃色の花びらが乗った。最期の夜、私の瞳に焼き付いた色だ。あの時は、もう見ることはできないと思っていたのに。感慨深い思いで、手のひらから視線を上げたときだった……。

 私は思わず目を見開いた。

――深い漆黒の髪

 その色はこの世界で初めてみた色。けれど、前世の記憶の中で幾度と見た懐かしい色。後から知ったのだけれども、この世界の人々の髪は黒に近ければ近いほど魔力が高いということを意味している。つまり魔力が高くなければ黒には程遠くここまでの漆黒はこの世界でもごく少数なのだと後から知らされた。それほどまでにこの漆黒は世界では珍しい色。私がこの世に生を受けて8年、初めて見た漆黒の色は懐かしい気持ちと切ない気持ちにさせられた。

『綺麗……』

 思わず零れ落ちた言葉で、“彼”は弾かれたように振り返った。その刹那、宝石のサファイアのような輝きを持つ瞳と目があった。年の功は私とそうは変わらないだろう。私よりも少し小柄な少年は、神様が丁寧に作り込みすぎたのではないかというほどに神秘的で美しい容姿をしていた。彼が纏っている紺色の服はシンプルだが一見して高価なものだとわかる。

『わぁ……』

 感嘆の音を立て、思わず魅入ってしまう。その姿はまさしく

『妖精みたい……』

前世の世界で思い描いていた妖精のように美しく同時に儚げだった。長いまつげを瞬かせながらサファイアの瞳が私を捕らえて離さない。桜の花びらが舞い落ちる中、奇跡のような少年が立っている。幻想的な世界の中、一瞬の静寂。

――先に口を開いたのは

『お前は……?』

彼だった。わずかに首を傾げたせいで漆黒の髪が顔にかかった。怪訝そうに目を細める彼。

 い、いかん。このままでは完全な不審者だ。

『わ、私は、怪しいものではなくてですね、本日からジェラルド殿下の侍女になるために出仕しまして、それでその……』

 どうにかこの状況を説明しようと口を開こうとすると

『なら、お前がエリン・ルノアールか?』

彼は私の名前を口にして遮った。

『どうして、名前を……?』

 以前お会いしたことがあるのだろうか。全く、思い出せない。こんなに綺麗な美少年一度見たら忘れないだろう。けれども、ちっとも記憶になく、まじまじと彼を見た。すると、サファイアの瞳はすっと細めて彼は私を見返した。

『俺が、そのジェラルドだからに決まっているだろう?』
『えっ!?』

 衝撃的な一言を何事もないように言った彼は、そのままどこか呆れたような表情を浮かべたまま漆黒の髪をかき上げて、私にさらに強烈な言葉を言い放った。

『少し考えればわかるだろう?その頭は何も入っていないのだろうな』
『なっ……!』

 開いた口が塞がらないとはこういうことか。

 私がこの世界で出会った美しい妖精は、美しい見た目とは裏腹にとんでもない悪魔王子だったのである。
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