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第3章「王都の陰謀」

第34話「どんな女も、ヤっちまえばこっちのもんだ」

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(UnsplashのNatalia Sobolivskaが撮影)

 さて。
 ラーレ・アデムが王都第一の美少女、トーヴ姫を黄雲騎士寮へ送り届けているのと同じ時間に……。
 ひとりの男が、ある貴族の屋敷から抜け出してきた。
 夜おそく人気もない王都の石畳を歩きながら、男は金色の髪をしきりに撫でつけていた。

「ふ、ふふふ。今夜のボンド男爵夫人も色気たっぷりだったな。ちょっと年上だけど、まあ浮気相手にはちょうどいいか……国王陛下の叔母上が気に入っている女だし……利用できるよな」

 夜歩きにふさわしくない華麗なマントをまとった男は、うふうふと笑いながら歩く。
 ザロ・チェンマ、25歳。
 ホツェル王国の北方、広大な辺境を領地とする辺境伯だ。
 といってもザロ伯爵自身は、ほとんど辺境で暮らしたことはない。本人いわく、

『あんな、寒くて暗くて汚くて、楽しい事なんかなーんにもない所で暮らしたくない』

 と、父親である先代の辺境伯が亡くなってからは、ほとんど領地へ帰っていない。
 送られてくる莫大な金を使い、浮かれ遊んでいるのだ。

 そこへ――。
 すっと黒い影があらわれた。
 影はザロ伯の後ろを絶妙な距離で、ついていく。ザロ伯はまったく気づかず、新しいマントの汚れを気にしている。

「……あっ、まったく、このマントは600リルもしたのに、泥はねがあるじゃないか。
 新しい従僕がバカだからだ。
 まったく、僕のまわりに、僕みたいな頭がいいヤツがいないなんて不幸だね。
 あの従僕、帰ったらこん棒でこっぴどくぶん殴ってやる。どこから殴ろうかな……腕か……足かな」

 そのとき、こつんとザロ伯の足元に石が一つ落ちた。
 静かな夜に石が転がる音が響く。それでようやくザロは足を止めた。

「だれ?」
「……ご報告に上がりました」

 するっと、黒い姿がザロの後ろに浮かび上がった。さきほどからザロ伯に全く気付かれず、ついて歩いていた影だ。
 黒いマントで全身をおおいかくし、半月の明かりすら吸い込んでしまいそうな不吉な姿。
 ザロ伯は一歩さがりながら影にむかって、こけおどしのような声を上げた。
 
「ダレッシ、おどかすなよ」
「失礼いたしました。人目につかぬ場所のほうがいいかと思いまして」

 マントからこぼれる声すら、かすれていて不気味だ。ザロ伯は顔をしかめながら、

「いつ聞いても、お前の声は男なのか女なのか、若いのか年寄りなのか、さっぱりわからないな。
気持ち悪いよ」
「我らは『影喰い』ゆえ、性別も年齢も分からぬ方が良いのです」
「そりゃそうだね。夜に隠れて、人を殺して歩くのが仕事だ、完全に隠れてなきゃな。
 まるで、この世にいないように……」

 ここまで言って、ザロ伯はそれなりに整った顔をニヤリとさせた。
 笑うと品格が崩れるという顔は、そう多くない。ザロ伯は確実に、本音がうかぶと顔も姿も品が失せるという特徴を持っていた。

「それで、あの連中は片付けたか?」
「いいえ」
「なんだって? じゃあまだ、あのくそ騎士も、アホ女騎士も生きているっていうのか!?
 ふざけるな、いったい何のために、お前たちをホツェル街道へ送ったとおもっているんだ!」

 ザロは顎を上げて、黒い影をののしった。精いっぱい虚勢を張っているようだが、本質が見え隠れする。
 汚れ仕事はすべて他人に押しつけ、利益の上澄みだけをすくい取りたい男。
 しかしいくらザロがどなっても、黒い影はほんの少し下を向いただけだった。
 
「……あの連中を殺すことは難しくありません。ただ、彼らの本当の目的を知らねばなりません」
「ほんとうの、目的?」

 ザロはぽかんと口を開けた。

「王の怒りをこうむって廃騎士になったんだ。王都にいられないから、ほっつき歩いているだけだろ?」
「それにしては足取りに迷いがありません」

 ダレッシ、と呼ばれた影は考えつつ言葉を継いだ。

「まるで、どこかから指令が出ているようです。まっすぐに、街道を西に向かっています」
「西?」

 ザロのマントが、ぎくりとふるえた。

「まさか、『西の町城(にしのまちしろ)』へ向かっている……?」
「どうでしょうか。まだ南に向かう分岐点を越えていません。西へ向かっているとは断言できませんが」
「いやだな、まずいよ、困るよ。『西の町城』はこれから僕のものになるのに」
「……気が早いですな……『西の町城』はトーヴ姫の所領です。まだ、御手に入ったわけではありませんぞ」

 ザロはふん、と形のいい鼻を鳴らした。

「もう僕のもの、と言ってもいいだろ? トーヴは僕のものなんだから」
「ほお……ではあの可憐な姫を『もの』にされましたか……?」

 影の声が、少し揺らいだ。おどろいたようだ。
 ザロは自慢げに新しいマントをなでつけて、

「まあ、決定的なアレは、まだだけどね。だいぶ手は出しておいた。
 あんな男も知らない処女、僕みたいな男にかかったら、あっというまだよ。
 どうしようかな、あんがいトーヴちゃん、僕に狂っちゃうかもね」
「ふむ……では、まだですか」
「ヤったも同然だって言ってるだろ!」

 ザロはばさり! とマントを叩いた。

「生意気な口をきくな! しょせん辺境のモネイ族のくせに」
「……御身にも、その血が流れていることを、お忘れなく」
「だ……だまれ! 僕は正統な辺境伯夫人の子どもだ、薄ぎたないモネイ族の女から生まれたわけじゃないぞ!」
「どの腹から生まれても、我ら『影喰い』には関係ありませんな。
 たとえあなたが、どのような手段を使って辺境伯になったとしても……。
 大事なのは我らとの『契約』が守られることです」

 ふっと、ザロ伯が黙った。
 影も黙った。
 半月が二人を照らす。影は、自分の影にすら溶け込んだように輪郭があいまいだった。
 さきに口をきいたのは影だ。

「……では、あの連中の尾行を続けても、よろしいですな?」
「好きにしろ。だが、目的とやらを探り取ったら――殺せ。
 とくに、アホ女騎士を。あいつは知りすぎている……」
「御意」

 すっと影は夜に溶け込んでしまった。
 ザロ伯は石畳をじっと見つめる。

「どの腹からうまれても、だと? 大違いだ……正しい腹から生まれるのと、蛮族の腹ではな……」

 だからこそ、ザロ・チェンマにはトーヴ姫が必要なのだった。
 清く正しい血統を受け継いだ姫。
 ザロの秘密を上書きできる血が、必要なのだった。

「どんな女も、ヤっちまえばこっちのもんだ。しるしをつけてしまうのだ、あの清らかな血筋に……」

 ザロ伯はマントをひるがえして、歩き去った。
 相変わらず、うわうわして、腰の決まらない歩き方で……。

 だが、その気になれば王都の宝石を一気に汚すことができる男。
 トーヴ姫の婚約者として、機会は十分にあるのだった。
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