熱い風の果てへ

朝陽ゆりね

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14、ヒッタイトの王子

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 結局、この日は静かだった。

 推測以上にラムセスたちの足のほうが早かったようだ。そしてその翌日の昼過ぎ、ヒッタイトの一行がカデシュ入りをし、宿を探して街を進んでいた。

 それを高台に身を潜めて眺める。沙良にはよく見えなくても、普段から遠くを見る必要があるこの世界の者たちには、どこを歩き、どこに宿を取ったのか、とてもよく見えているようだった。

(ラムセス……あなたが戦争で死ぬことはないけど、長くエジプトはヒッタイトに勝つことはないわ。それは――あなたの孫の時代。ラムセス二世がようやくこの街で講和に持ち込むのよ。ヒッタイトは鉄の力で無敵を誇るわ)

 二人の頭上に夕日が落ちようとしていた。

 間もなくザンナンザ一行に動きがあった。彼らは夕食後の一服といった感じで、兵士たちが各々交代で主君が休んでいる宿を守っている。その役目を終えて自由になった兵士が、街中の細い路地を歩いていた。

 キョロキョロと周囲を見渡しながら進んでいる。どうにも落ち着きのない様子から、自由時間を利用して夜を楽しもうと考えているのは明からだ。そうなると当然個別行動になる。沙良とラムセスはターゲットになりそうな兵士を慎重に選んだ。

「行ってくる」
「気をつけろ、慌てなくていいから」
「うん」

 短く会話を交わし、キスを交わすと、沙良は兵士に向かって歩きだした。

 心臓がバクバクと大きな音を立てている。体が震えて脂汗がジンワリと滲んでくるが、恐怖を振り払って兵士に近づいた。

「あの、ヒッタイトの王子様がお越しだと聞いたのですが」

 兵士が振り返る。

「ご同行の兵士様でしょうか?」
「いかにも」

 沙良は兵士にすがりついた。

「お助けください! 奴隷商人から逃げてきました。このままではエジプトに売られてしまいます! エジプトはひどく野蛮な国だと教わりました。どうか、お助けください!」
「…………」

 兵士は沙良の話を聞いているというよりも、沙良の肌や顔立ちの珍しさに驚いている様子だった。落ち着きを取り戻すと、なんともふしだらな笑みを浮かべるようになった。

「奴隷商人から獲物を取り上げるとあとが煩わしい。そう易く承知するわけにはいかんな」
「お願いいたします! ヒッタイトの王子様に取りなしていただけないでしょうか? エジプトのような野蛮な国になど行きたくない! お願いします!」

 兵士が沙良の背に腕を回した。瞬間、沙良の背にゾゾッと悪寒が走ったが、唇を噛んで耐えた。

「そうか。では、ザンナンザ王子に取りなしてやろうか」
「本当ですか? ありがとう存じます! お願いいたします!」

 兵士は回した腕に力を込め、ズイッと引き寄せた。

「あ!」
「その前に、礼をしてもらわねばな」
「礼?」
「取りなしの礼だ。当然だろう?」

 沙良は強張った顔を無理やり縦に振った。それを目当てに声をかけているのだから、逆にこのままヒッタイトの王子のもとへ連れていかれるほうが困る。しかし実際に自分の体を目当てに鼻の下を伸ばす男の顔を見たら、虫唾と悪寒が走ってどうにもできなかった。

「あの、荷を預けている宿があるのです。ここからすぐです。そこででもよろしいですか?」
「そうか、ちょうどいい。そこでよい」

 沙良は急ぎ足でラムセスが押さえていた宿に案内した。

「ここです」

 中に招き入れた瞬間、兵士が突進するように抱きつき、そのまま押し倒した。

「あ、ヤ――ヤだ!」

 兵士の唇が首筋に触れた。ゾワッと全身が震える。沙良は我慢できずに叫んだ。

「ラムセス! 助けて!」
「ラムセス?」

 その言葉に沙良は我を取り戻した。慌てて両手で口を押さえる。しかし兵士は驚愕の表情を顔に刻み、体を起こした。

「貴様! なにか企んでいるな!」

 襟首を掴まれた。恐怖に蒼白になった沙良は――しかし兵士の後方に立っているラムセスを見て瞳を滲ませた。

 沙良の変化に兵士が振り返る。

「遅い!」

 強烈な一発が放たれた。吹き飛んだ兵士と沙良の間にラムセスが割って入った。起き上がって向かってくる兵士の腹に一発食らわせ、次に顔面を殴りつけた。

 そのまま体を屈めてシーツを掴むと、体を回転させながら沙良に放り投げ、彼女の体がシーツに隠れたことを視界の端で確認した後、兵士に飛びかかってその首を両手で掴んだ。

 一方、沙良は床に倒れ込んだまま頭を抱えて震えていた。ふわりとシーツが体にかかって包み込んだかと思った矢先、ガキッという鈍い音が響き、次にドン! と床を揺らす衝撃が走った。

 なにが起こったのかを考える前に静寂が沙良を包んだ。

 沙良は最初の鈍い音が兵士の命を奪い、次の衝撃で倒れ込んだのだと刹那に悟った。すべてが終わり、すべてを悟ると、体中に猛烈な震えが走る。両腕で体を抱き締めても、その震えは止まらなかった。

「あ――」

 シーツが取り払われる。しばし動けずにいたが、やがて顔を上げ、振り返った。

「大丈夫か?」

 ヒッタイトの兵士の格好をしたラムセスがいる。沙良は視線を床に落とした。兵士はシーツで包まれていた。

「怖い思いをさせてすまなかった。もう終わった。大丈夫だ」

 ラムセスがしっかり沙良の体を抱き締めた。力強い腕の中で沙良は呆然と座り込んでいる。ジワジワと安堵が心に広がっていくと、涙がこみ上げてきた。沙良は弾かれたようにラムセスにしがみついてワァッと泣き崩れた。

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