24 / 56
第二章 フレンズ(Friends)
第8話-5 ジム・モリスになるんだぜ
しおりを挟む
愛用のバットを手に、ポニーテールにした赤毛を揺らしながら、テイターは左打席へ行く。
彼女のバッティング・フォームは少し独特だ。いわゆる神主打法であり、バットを縦に構えるのだ。その姿はまるで現役時代の落合博満氏にそっくりであり、それを見た山阪は思わず感動の涙を流したほどだ。
自信満々な笑みを浮かべながらテイターは言う。
「よーし、来い!」
ジャイアンツのキャッチャーが彼女を見る。彼は古村にサインを送る。古村は頷き、投球を開始する。
一球目が投げられる、それはストライク・ゾーンの外角低めに外れるボール球となる。二球目は内角やや高めに来る……これもボール。ファルコンズのベンチ、矢井場のすぐそばに座っているデイビッドがコメントする。
「古村さんはテイターが打つことを恐れているですか?」
矢井場が返す。
「そりゃそうだろ。今日のテイターは打ちまくってる、この打席だって打つかもしれねぇ。ランナー二塁なんだぜ、長打が出りゃあ生還できる。それを考えたらよ、慎重なピッチングにもならぁな」
矢井場が言っていることはもっともだ。ここで焦ってストライクをとりにいき、甘い球を投げて打たれるのが一番いけない。
だが既にボール・ツーだ。フォアボールになる危険が高まりつつある。いずれどこかで腹をくくってストライクを取りにいくしかないのだ、それが嫌なら……敬遠するしかない。
一死二塁で敬遠して、一死一塁二塁にする。この後に四番の山阪がいることを考えると、そんな弱気な作戦、採用できるわけがない。テイターを打ち取る、それ以外の最善手などない。覚悟を決め、古村は三球目を投げる。
九十キロ半ばの速球がストライク・ゾーンの外角高めに飛んでいく。やや失投気味のそれを、テイターはあっさり見送る。ボール・ツーのストライク・ワン、カウントがじわりと一歩前進する。
これに少し気を良くしたか、古村は四球目を内角低めに向かって投げる。それはゾーンの下を通過してボール球となる。ボール・スリーのストライク・ワン、もはや古村に後はない。
めぐみは言う。
「こういう状況になると、あの人はコントロールがダメになります。次は多分……ひどい球ですよ」
古村は五球目を投げる。球はゾーンの外角へ向かう、古村にとって幸運なことに、それは低めといえる高さになっている。なかなか打ち辛いところだ、見送るのが無難かもしれない。
だがテイターは打ちにいく。体を柔軟に動かしてバットを操り、しなやかにスイング、バットの芯できっちりボールをとらえる。
カーン! 小気味よい音が球場内に響き渡り、打球が飛んでいく。二遊間へ飛ぶ当たり、いわゆるセンター返しだ。二塁ランナーのデイビッドは三塁に到達し、打ったテイターも一塁をしっかりと駆け抜ける。
今のヒットによって、状況は一死一塁三塁の大チャンスとなった。ここでいよいよ四番山阪の出番だ。チーム全員の期待が彼に集まる。
そういう事情はもちろん山阪自身もよく知っている。彼は右打席に入り、左肩をぐるぐると回してからバットを構える。オーソドックスなスクエア・スタンスのそれは、日頃の練習のたまものだろうか、実に堂々としている。
マウンドの古村の表情は険しい。なにせ、犠牲フライを打たれるだけでも失点するのだ。山阪の長打力を考えると、そうなる可能性は十分にある。もはや髪の毛一本ほどの油断もできない。
だが、彼にとって幸いなことが二つある。一つ目は、ショートゴロやセカンドゴロでのゲッツーが狙える状況であること。二つ目は、山阪が右打者であることだ。
実際のところ、古村は左打者が苦手だ。この回もデイビッドやテイターに出塁を許している。だが、今日のファルコンズ打線で左打者なのは彼ら二人だけだ。山阪もそれ以降もすべて右打者のみである。そして、谷下はそこまで長打力のある選手ではない。
ここさえ切り抜けられればかなり楽になるはずなのだ。だからこそ、何としてでも山阪を抑えなくてはならない。そう考え、古村は気合を入れる。
彼は全力で一球目を投げる。百キロ近い速球がストライク・ゾーンの外角低めに襲いかかる。
「ストライク!」
次も全力で投げる、これは内角やや高めのボール球になる。続いて内角低め、速球が決まってストライク! カウントはボール・ワンのストライク・ツーになる。
ファルコンズのベンチから、デイビッドが声援を送る。
「ガンバレ、山阪さん! ガンバレ、ガンバレ!」
山阪は心の中で思う。
(ジム・モリスになるんだぜ、山阪。三十五歳でメジャーリーガーになった、ジム・モリスみたいになるんだぜ……)
山阪タケシ、職業は米屋の店主、既婚、子どもは高校生の娘が一人。もう中年といっていい彼は、こういってはなんだが、パッとしない平凡なおっさんである。
お金持ちというわけでもなく、学問や芸術の才があるわけでもない。大好きな野球においても、ライバル視している谷下にいつも負けているような気がするのだ。
(けどなぁ、俺にも意地があるんだよ……。おっさんが活躍して何が悪い、ジム・モリスに憧れて何が悪い! やってやる、一発かっ飛ばす!)
彼はしっかりとバットを握り、古村を睨む。それに気づいたのだろうか、古村も闘志あふれる視線を山阪に返す。二人のプライドが空中でぶつかり合い、見えない火花を散らす。
古村が投球姿勢をとる。投げる、約九十キロの遅い球が内角へ向かって飛んでいく。
(何ぃ……!)
速い球を投げておいてから遅い球を投げて、速度差で相手の打撃タイミングをずらす。単純だが効果的なピッチングだ。
山阪はこの作戦にまんまと引っかかってしまった、打ちにいくが全然タイミングが合っていない……!
カ~ン、なんとも間抜けな打撃音が発生し、打球は地面に落ちて転がっていく。どうしようもないへなちょこショートゴロだ。
ジャイアンツのショート、きっちりそれを捕って二塁へ送球、一塁ランナーをフォース・アウトする。セカンドは焦らずに一塁へ投げ、山阪をアウトにする。ゲッツー成立だ。
残念ながら……。五回表のファルコンズの攻撃は、二者残塁で得点ゼロという結果で終わった。
山阪はジム・モリスになれなかった。
彼女のバッティング・フォームは少し独特だ。いわゆる神主打法であり、バットを縦に構えるのだ。その姿はまるで現役時代の落合博満氏にそっくりであり、それを見た山阪は思わず感動の涙を流したほどだ。
自信満々な笑みを浮かべながらテイターは言う。
「よーし、来い!」
ジャイアンツのキャッチャーが彼女を見る。彼は古村にサインを送る。古村は頷き、投球を開始する。
一球目が投げられる、それはストライク・ゾーンの外角低めに外れるボール球となる。二球目は内角やや高めに来る……これもボール。ファルコンズのベンチ、矢井場のすぐそばに座っているデイビッドがコメントする。
「古村さんはテイターが打つことを恐れているですか?」
矢井場が返す。
「そりゃそうだろ。今日のテイターは打ちまくってる、この打席だって打つかもしれねぇ。ランナー二塁なんだぜ、長打が出りゃあ生還できる。それを考えたらよ、慎重なピッチングにもならぁな」
矢井場が言っていることはもっともだ。ここで焦ってストライクをとりにいき、甘い球を投げて打たれるのが一番いけない。
だが既にボール・ツーだ。フォアボールになる危険が高まりつつある。いずれどこかで腹をくくってストライクを取りにいくしかないのだ、それが嫌なら……敬遠するしかない。
一死二塁で敬遠して、一死一塁二塁にする。この後に四番の山阪がいることを考えると、そんな弱気な作戦、採用できるわけがない。テイターを打ち取る、それ以外の最善手などない。覚悟を決め、古村は三球目を投げる。
九十キロ半ばの速球がストライク・ゾーンの外角高めに飛んでいく。やや失投気味のそれを、テイターはあっさり見送る。ボール・ツーのストライク・ワン、カウントがじわりと一歩前進する。
これに少し気を良くしたか、古村は四球目を内角低めに向かって投げる。それはゾーンの下を通過してボール球となる。ボール・スリーのストライク・ワン、もはや古村に後はない。
めぐみは言う。
「こういう状況になると、あの人はコントロールがダメになります。次は多分……ひどい球ですよ」
古村は五球目を投げる。球はゾーンの外角へ向かう、古村にとって幸運なことに、それは低めといえる高さになっている。なかなか打ち辛いところだ、見送るのが無難かもしれない。
だがテイターは打ちにいく。体を柔軟に動かしてバットを操り、しなやかにスイング、バットの芯できっちりボールをとらえる。
カーン! 小気味よい音が球場内に響き渡り、打球が飛んでいく。二遊間へ飛ぶ当たり、いわゆるセンター返しだ。二塁ランナーのデイビッドは三塁に到達し、打ったテイターも一塁をしっかりと駆け抜ける。
今のヒットによって、状況は一死一塁三塁の大チャンスとなった。ここでいよいよ四番山阪の出番だ。チーム全員の期待が彼に集まる。
そういう事情はもちろん山阪自身もよく知っている。彼は右打席に入り、左肩をぐるぐると回してからバットを構える。オーソドックスなスクエア・スタンスのそれは、日頃の練習のたまものだろうか、実に堂々としている。
マウンドの古村の表情は険しい。なにせ、犠牲フライを打たれるだけでも失点するのだ。山阪の長打力を考えると、そうなる可能性は十分にある。もはや髪の毛一本ほどの油断もできない。
だが、彼にとって幸いなことが二つある。一つ目は、ショートゴロやセカンドゴロでのゲッツーが狙える状況であること。二つ目は、山阪が右打者であることだ。
実際のところ、古村は左打者が苦手だ。この回もデイビッドやテイターに出塁を許している。だが、今日のファルコンズ打線で左打者なのは彼ら二人だけだ。山阪もそれ以降もすべて右打者のみである。そして、谷下はそこまで長打力のある選手ではない。
ここさえ切り抜けられればかなり楽になるはずなのだ。だからこそ、何としてでも山阪を抑えなくてはならない。そう考え、古村は気合を入れる。
彼は全力で一球目を投げる。百キロ近い速球がストライク・ゾーンの外角低めに襲いかかる。
「ストライク!」
次も全力で投げる、これは内角やや高めのボール球になる。続いて内角低め、速球が決まってストライク! カウントはボール・ワンのストライク・ツーになる。
ファルコンズのベンチから、デイビッドが声援を送る。
「ガンバレ、山阪さん! ガンバレ、ガンバレ!」
山阪は心の中で思う。
(ジム・モリスになるんだぜ、山阪。三十五歳でメジャーリーガーになった、ジム・モリスみたいになるんだぜ……)
山阪タケシ、職業は米屋の店主、既婚、子どもは高校生の娘が一人。もう中年といっていい彼は、こういってはなんだが、パッとしない平凡なおっさんである。
お金持ちというわけでもなく、学問や芸術の才があるわけでもない。大好きな野球においても、ライバル視している谷下にいつも負けているような気がするのだ。
(けどなぁ、俺にも意地があるんだよ……。おっさんが活躍して何が悪い、ジム・モリスに憧れて何が悪い! やってやる、一発かっ飛ばす!)
彼はしっかりとバットを握り、古村を睨む。それに気づいたのだろうか、古村も闘志あふれる視線を山阪に返す。二人のプライドが空中でぶつかり合い、見えない火花を散らす。
古村が投球姿勢をとる。投げる、約九十キロの遅い球が内角へ向かって飛んでいく。
(何ぃ……!)
速い球を投げておいてから遅い球を投げて、速度差で相手の打撃タイミングをずらす。単純だが効果的なピッチングだ。
山阪はこの作戦にまんまと引っかかってしまった、打ちにいくが全然タイミングが合っていない……!
カ~ン、なんとも間抜けな打撃音が発生し、打球は地面に落ちて転がっていく。どうしようもないへなちょこショートゴロだ。
ジャイアンツのショート、きっちりそれを捕って二塁へ送球、一塁ランナーをフォース・アウトする。セカンドは焦らずに一塁へ投げ、山阪をアウトにする。ゲッツー成立だ。
残念ながら……。五回表のファルコンズの攻撃は、二者残塁で得点ゼロという結果で終わった。
山阪はジム・モリスになれなかった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
黄色い車が教えてくれたこと
星名雪子
ライト文芸
ー亡き父親の愛車に導かれ、青年は大きな一歩を踏み出す。ー
自分の愛車が故障し、仕方なく亡き父親が使っていた古い車で婚約者・翠を迎えに行く青年・昴。すると、勝手に動き出したカーナビがある目的地へと誘導しようとしていることに気が付く。カーナビが示す目的地とは……?仲違いをしたままこの世を去った父親、重い病で入院している母親。壊れた家族の関係から目を背け続けてきた昴が、亡き父親の愛車に導かれ、一歩踏み出そうとする物語。
※ほんの一部ですが、今後の展開に暴力描写を含みますのでご了承ください。
※表紙の写真は私が撮影したものです。夫が実際に所持している車で、この作品のキーとなる「黄色い車」のモデルとなっています。
お兄ちゃんは今日からいもうと!
沼米 さくら
ライト文芸
大倉京介、十八歳、高卒。女子小学生始めました。
親の再婚で新しくできた妹。けれど、彼女のせいで僕は、体はそのまま、他者から「女子小学生」と認識されるようになってしまった。
トイレに行けないからおもらししちゃったり、おむつをさせられたり、友達を作ったり。
身の回りで少しずつ不可思議な出来事が巻き起こっていくなか、僕は少女に染まっていく。
果たして男に戻る日はやってくるのだろうか。
強制女児女装万歳。
毎週木曜と日曜更新です。
コント:通信販売
藍染 迅
ライト文芸
ステイホームあるある?
届いてみたら、思ってたのと違う。そんな時、あなたならどうする?
通販オペレーターとお客さんとの不毛な会話。
非日常的な日常をお楽しみください。
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
イノセンス
梨
ライト文芸
田舎町に住む男子高校生、山吹柾はバス停にて榎本楓音と出会おう。
彼女の誘いにより、異世界へと飛ばされる。そこは、現実と一緒であるが一面の花畑。
そんな幸せそうな空間で聞かされるのは死んでしまった人が不安定になることで現実にも影響し、数日後には街が壊滅的な状況になるということだった。
それを止められるのは、死者の願い「忘れてしまった生前四日間を思い出す」こと。
街を守るとため、異世界での情報収集から始めるがファンタジーに敵う訳もなく苦戦する柾と楓音。しかし、柾の推理のこともあり、少しずつ解明していく。
激動の二日間を過ごした後、現実世界へと戻り四日間を調べようとするが、品川駅周辺の事件が手間取っているということもあり、楓音が所属している死者を成仏させる組織も混乱してしまうため情報を集めるのに苦労する二人。
異世界と現実で手に入れた手掛かりを元に調査を進め、浮かび上がる過去の事件とのつながりを見つけるが、タイムリミットが近づくにつれ、現実にも影響が夥しく出てくる。
根気強く調べ、とうとう全てのつながりを見つけるが、証拠不十分で反論されてしまう。
しかし、街の安全を守るために二人は探し続け、品川の事件で最後のピースを見つけることができ、何とか突き止めることができる。
そして、最後若菜に伝えるために荒れ狂った異世界で走り回る。
その結果、やっとの思いで伝えることができ異世界は徐々に最後を迎えていくのであった。
ひょんなことから始まるお話
circle。
ライト文芸
『理解してるつもりでも見方を変えるとどうだろう?』
高校生の秦裕一(はたゆういち)は不思議な生物に出会った。
どうやらこの生物の試練を乗り越えられなければ強制的に過去へタイムスリップするらしい。
試練の内容は、怪物の捕獲。
さぁ、どうするかーーー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる