嗜虐的なこの世界で

夏野かろ

文字の大きさ
上 下
5 / 6

4話 生き残った僕と死んだ猫 Relentless reality

しおりを挟む
 数時間後、猫は逝った。呆気ない最期だった。
 結果論に過ぎないが、やはり老いた体では手術に耐えられなかった。そういうことだ。



 死んだ直後、猫の体は温かった。こちらが力を加えればその通りに体が曲がった。
 でも、それから2時間後、体の汚れをきれいにしてやろうと思って棺桶がわりの段ボール箱から取り出した時、もはやそれは冷たくなっていた。死の冷たさだ。

 体の向きが少し変なので、いくらかでも楽な姿勢にしようと思って曲げようとした。動かなかった。死後硬直のせいだ。固まっている。
 茹でた肉の固さ。そんなことを思った。



 僕と妻は、ささやかながら彼のお葬式をした。
 いつもお世話になっている教会に相談し、こういった案件を引き受けてくれる教会を紹介してもらい、そこに葬った。

 こうして全てが終わってみると、なにもかもが不思議に感じられる。
 僕も猫も成功したのだ。なのに猫は死んだ。僕は生き残った。なぜ?

 神は何を考えている? どうしてこの世での別れを強制する? そうやって悲しみを生産する?
 祈りはなんの役に立ったのだろう。ルワンダ、信者、ツチ族の人々の祈り。しかし虐殺された。ならば祈りは無意味では?

 いや、僕は生き残った。それは祈りが聞き届けられたからではないのか? 待て、ならばなぜ猫は死んだ? どういうことだ?
 疑問が疑問を生んで、風船が膨らむように謎が膨れ上がっていく。洗濯機の槽がぐるぐる回るように僕の心も回る、回り続ける、止まりそうもない。



 お葬式から数日後。僕は猫の墓に供える花束を買うために外出した。
 無事に買って帰る途中、雨が降り出した。確かに朝から曇ってはいたが、そこまで湿った空気ではなく、天気予報は降らないだろうと言っていた。突然の不意打ちは卑怯すぎる。

 いま歩いている付近には商店などない。もちろんコンビニも。つまり傘を緊急で買うのは無理だ。
 このままこうやって雨に打たれながら帰るしかない。真冬の冷たい雨。それは情け容赦なく僕の体を叩く。もちろん花もだ、どんどん濡れていく。

 一刻も早く帰宅しなければ。必死に急ぐ。目の前に下り坂が見えてくる。
 これはかなりの勾配で、こういう天気の時はとても滑りやすい。おまけに、坂の終点は四ツ辻になっている。頻繁に車が通るところだ、危険極まりない。何年か前には交通事故で死者も出ている。

 回り道すべきか? この雨の勢いからするに、そんな悠長をすれば下着までずぶ濡れになるだろう。最短で帰るためにはリスク覚悟で突っ切るしかない。
 慎重に歩き出す。赤子を抱くように胸に花束を抱え、一歩、一歩、一歩と進む。

 坂の半ばに着く。上着はとっくにびしょ濡れだ。寒い、冷蔵庫の中にいるみたいだ。
 負けるものか。もう少しで終点なんだ。歩き抜いてみせる。

 慎重に、慎重に、慎重に。一軒家の前を通り過ぎる。犬の鳴き声、「ワン、ワン! ワン!」。雷鳴のようなものすごい音量だ、驚いた僕は滑って転ぶ、うつぶせに倒れる。
 花束が四ツ辻へと投げ出される。車が近づいてくる音がする。

 地面にはいつくばっている僕の目の前、そこに転がっている花束、車、大型トラックだ、何が起こるかわかる、やめろ、来るな、避けられない、大きな車輪が問答無用で花束を踏み潰していく。
 トラックは去っていく。とりあえず立ち上がる。泥だらけでぐちゃぐちゃの花束が見える。

 とにかく僕は死なずに済んだ。これが神の思し召しというなら素直に感謝すべきだろう。だが花束はもうどうしようもない。諦めるしかないだろう。
 回収する気になれず、そのまま見捨てて歩き出す。冷たい雨は相変わらず降り続けている。下着まで浸食し、上着と同じように濡れている。

 雨が顔を叩き続ける。洗顔した直後のようにびっしょりだ。今この状態なら、泣いたとしても涙か雨水か分からないだろう。そう、本人である僕にすらも。
 黙って歩き続ける。もはや何がなんだか分からない。寒い。冷たい。後で風邪をひかなければいいのだが。さて、どうだろう。



 きっとずっと雨だろう。もちろんいつかは止む、しかし日が経てばまた降る。
 これから先、死ぬまでの間、いったいどれだけの雨を経験するのだろう。

 差し当って言えることは、傘の準備を忘れてはいけないということだ。なぜなら、未来に何が起きるかは分からないからだ。
 万が一を覚悟して行動しなければならない。未来は闇に包まれている、一寸先は闇、その通り。

 たとえ10秒後に落とし穴にはまって死ぬのだとしても、この闇を進む以外に生きる道はない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

闇市成金の末裔は商売人

ハリマオ65
現代文学
*達夫は、スキーで夢子と出会い、夢子が立川の食堂で働き夫婦で食堂経営で、稼いで、福祉で頑張れ! 安田達夫の祖父は、戦後の闇市で手段を択ばず大儲けした、いわゆる闇市成金で世間の嫌われ者。月日が流れ孫が誕生しを孫を可愛いがった。しかしソロバンと暗算は徹底的に指導。全国珠算連盟3段の免状を取らせ、三井銀行に入行。その後、大金を作り、早期退職後、レストラン経営に首を突っ込み子供達も巻き込み大活躍するストーリー。この作品は小説になろうとツギクルに重複投稿。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...