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第一章「復讐の序曲」

3、最悪な目覚め

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 目を開くと視界に映ったのは、二度と見ることがないと思っていた侯爵家の自室のベッドの天蓋だった。

「起きたのですね、アレイシアお嬢様!
 ただ今、旦那様や奥様を呼んで参ります」

 すぐ横で聞きなれた侍女のエリスの声がした後、パタパタと駆けていく足音が響く。

「……えっ……?」

 にわかに状況が飲み込めずに呆然としていると、部屋に勢い良く駆け込んでくる人物があった。

「シアっ――やっと目覚めたのね!!」

 灰色の瞳を怒りで燃やした騎士服姿の母が、水色の髪とマントを靡かせてこちらへ駆け寄って来る。
 ――と、いきなり、バチン、と、力任せに私の頬を平手打ちにした。 
 直後、頬に発火したような熱と痺れたような痛みが広がり、「これが夢ではない」と悟った私は、一気に頭から血の気が引く。

「恋に敗れたからと言って、あの世に逃げようとするとは情けない!!
 それでもお前は誇りあるバーン家の娘なの!!」

「……そんなっ……!?」

 ぶたれたことではなく、まだ自分が「生きている」という悪夢のような現実に衝撃を受け、思わず絶望の呻きが口から漏れた。

「シーラ、お前、何もいきなりぶたなくても……」

「そうです、母上、昨日死にかけたばかりのシアに向かって、何をなさるのですか!」

 母に続いて入室した父と兄が私を庇ってくれる。
 クリスティアン――クリス兄様の発言で、舌を噛んだのがまだ昨日のことだと分かった。
 幼児の頃から母には厳しくされてきたが、自ら死のうとした翌日でもまったく容赦がない。

「何を言っているの、ゲオルク、クリス!!
 元はといえばあなた達がシアに甘いから、こんなことになったんじゃないの!
 先の内乱の英雄であるデリアンとエルメティア姫はすでに周知の仲だった。だから、私は何度もこの子の傷が深くなる前に、婚約についてはっきりさせるべき訴えたのに!!
 あなた達がシアの頼みを聞いて、ずるずると確認を先伸ばしにしたから、こんなことになってしまったんでしょうに!」

 デリアンの心を取り戻す時間が欲しかった私は、何もしないで黙って見ていて欲しいと家族に頼み込んだのだ。

「しかし、内乱前までは、シアとデリアンの仲は良好そのもので挙式を待つばかりだった。シア本人の気持ちもあるが、私も父親として希望を捨てきれなかったのだ……。
 それに、今やカスター公となり王の腹心となった飛ぶ鳥を落とす勢いのデリアンとの婚約は、こちらから解消するにはあまりに惜しかった……」

 内乱が始まってすぐにデリアンは父を亡くし、公爵位と領地を引き継いでいた。
 兄も父の言葉に深く頷く。

「たとえ母上の言う通りであっても、俺にはどうしても、シア本人の気持ちを無視することができなかった……」

 私より2歳年上のクリス兄様は妹想いで、この数ヶ月間、同い年で友人のデリアンとは険悪状態だった。

「お母様、お父様とお兄様を責めないで下さい。悪いのはすべてこの私です……!」

 言いながら、この半年間で起こった辛い出来事が蘇り、勝手に全身が震えだす。

 自ら命を絶つことで、ようやくこの苦しみを終わらせられると思っていた。
 それなのに、いったいどうして噛み切ったはずの舌が治っているのか? 
 そんな私の疑問に答えるように、お父様が大きな溜め息をついて語りだす。

「何にしてもシア、お前の命が助かって良かった!
 それも、昨日お前が舌を噛んだ時、たまたま近くにこの国の筆頭宮廷魔法使いカエイン・ネイル様が居合わせ、治癒して下さったおかげだ。自分の運の良さとネイル様に感謝して、二度とこのような馬鹿な真似はしないようにな!」

 つまりこの悪夢のような状況の原因はカエイン・ネイルなのだ。
 たまたま近くに居あわせた?
 いいや違う。
 確かに私は意識が落ちる前、エルメティア姫が「カエイン」と呼ぶ声と、上から舞い降りる黒い影を見た。
 この国の齢300を超える宮廷魔法使いが年甲斐もなくエルメティア姫に懸想している話は有名なものだ。
 間違いなくエルメティア姫がカエイン・ネイルに私を助けるよう命じたのだ。

 許せない! いったい何様のつもり?
 短剣を止めたデリアンといい、私を苦しめている張本人達が、揃って私の「死ぬ権利」を邪魔するなんて!
 いったいどこまで私を生き地獄を味わわせたいというの?

 吐きそうなほどの怒りが腹の底からこみ上げてくる。

「しかもネイル様はお前の精神状態を心配し、昨夜わざわざ二番弟子のレイヴン様を使いに寄越して伝言を下さった。
 もしも死にたいほど辛いようなら、心を回復させる魔法薬を処方して下さるとね。
 ただし、個人に合わせて調合するので、お前が直接貰いに行く必要があるらしいが――」

 どうせその魔法薬とやらも、慈悲深いエルメティア姫が可愛そうな私に与えるよう、カエイン・ネイルに指示したのだろう。
 
 まったく、どれほど人を馬鹿にすれば気が済むのか。
 エルメティア姫の好意を受けるぐらいなら、自ら毒をあおってのたうち回って死んだ方がうんとマシだ。

 とはいえ、余計な真似をしてくれたお礼は、たっぷりカエイン・ネイルに伝えねばならない。
 
 恨みを込めて奥歯を噛み締める私の前で、お母様がいかにも疑わしそうな眼差しをお父様に向ける。

「ゲオルク、その話なんだけれど、私にはどうもうさん臭く感じられるわ。
 カエイン・ネイルは人嫌いで、冷たく残忍な性格だとの評判だもの。
 果たしてそんな人物が無償で他人を助けようとするかしら?
 その魔法薬とやらの見返りに、後から何を求められるやら……」

 母の否定的な意見を遮るように私は発作的に言う。

「お父様! 私、ぜひカエイン・ネイル様にお会いして、その魔法薬を頂きたいわ!」
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