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第一章

憂鬱な朝

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 気怠い朝を迎える。

 生まれてこのかた一度も気持ちの良い起床を遂げたことがないのでこれが日常になっている俺は布団をめくって勢いよく床に転がり出た。ここでダラダラしているといつまでも布団から出られず蠱惑の夢の中に引きずり込まれるのがオチなのでとりあえず目を覚ましたら行動を起こすというのが経験上最も有効なのだ。

 とは言っても眠いものは眠い。昨日は夜更かししなかったはずなのだが。

 よろよろと冷蔵庫へ向かいパックから飛び出て横になっている卵をひとつ掴む。今朝は卵かけご飯だ。ただご飯を盛って卵を割るだけの俺が唯一できる料理。まぁこれを料理とカテゴライズしていいのかは微妙だな、と考えつつ炊飯器を開けた。

「炊けてない」

 ボタンを押すのを忘れていた。中には水風呂に浸かった米達が気持ちよさそうに揺れている。

 仕方ないので卵をガスコンロの角に当てて割ると、そのまま口の中へと放り込んだ。

「うぉえ」

 醤油もなにもかけていない生卵は異常に不味かった。某ボクシング映画の主人公はこれをコップに大量に入れて飲み干していたが、その役者魂には感服せざるを得ない。

 口の中に広がったべたついた甘さを歯磨きで緩和しつつ、俺はいつも通りの時間で家を出た。


 学校に着くと校門で待ち構えた「挨拶運動強化期間」という襷を着た生徒が大きな声で挨拶をしていた。

 こういう強化期間って、では普段はそこまで力を入れないで適当にやっているということなのかと思ってしまう節があるが、そんな屁理屈を言ったところで仕方がないので俺は会釈だけして校門を通った。

 校内に入ると朝練をしている野球部や、書類を持って慌ただしく移動する教師。手を繋いで階段を上るカップルに廊下でスマホを弄る集団など様々な人種で入り乱れていた。

 その中で俺は、他の奴らにどう見られているのだろうか。願わくば、気にも留めずに道端に落ちている石ころとでも思ってくれているとありがたい。

 二階が俺達、二年生のフロアになっている。俺のクラスは一番奥である四組。教室に辿り着くまでに多くの人間とすれ違うことになるので、この教室の位置には不満がある。せめて逆側にも階段を設置してくれればいいのにと、何十年も前の建築者に文句を垂れた。

 やがて三組まで差し掛かった時に、俺はふと、開いた扉から中の様子を見た。窓際の後ろから二番目。柱の丁度隣にある席に自然と目がいってしまった。

 そこには一人で本を読む、黒い髪の女子がいた。

 色識紫苑いろしき しおん。口に出すのも悍ましい、『過ち』その本人だ。

 相変わらず読書に耽っているらしい。周りにはいかにもと言った感じの男女が机の上に座ったりしてバカデカイ声で談笑している。その中で一人ポツンと影を落とす彼女は、周りの騒音に眉をひそめていた。

 そんな様子を何の気なしに見ていると、ずっと本を凝視していたはずの色識さんが顔を上げ、こちらを見た。

「っ」

 すぐに俺は目を逸らし、教室を通り過ぎた。

 気まずい、とかそういう感情ではない。何か自分の中で沸々と邪悪なものが生まれてきた気がしたのだ。それは過去にも一度、小学生の時に味わったこともある。俺が告白したあの子に感じた、あの感情だ。

 人と関わってしまった故生まれる、面倒臭い負の感情。

 ご飯も炊けないわ嫌な気分になるわで今朝は最悪だな、と俺は心の中で悪態をついて四組の教室へと入った。

 中ではいつも通りの情景が広がっていた。いくつものグループが固まり、各々の定位置で雑談をしている。この教室が宇宙だとするならば、そのグループ達が銀河で、そこにいる人間達が星だろうか。その間をスペースデブリである俺が通り過ぎると、

「あ、佐保山~! おはよっ」

 聞き覚えのある声。横に目をやると集団の中で黄色の髪がぴょこりと跳ねていた。

 楠木 柚子くすのき ゆず。昨日会った女子だ。本当に同じクラスのようだ。

「昨日はちゃんと寝たの? なんか隈できてるけど。CAM型光合成しないとダメだよ、なんて」

 並走するように付いてきた楠木が後ろに手を組んで俺の顔を覗き込んでくる。

「ねー聞いてるの?」

 しつこく話しかけてくる楠木。俺はしぶしぶ返事をしようと視線を少し横にずらした。その時、奥のグループの女子たちが、俺と楠木を見ていることに気付いた。

 俺は楠木を振り切ると自分の席に着き、すぐさま顔を伏せた。俺に話しかけるなという意思表示。そうすると楠木は最初のうちはちょっかいをかけてきたものの、やがて諦めたのかグループの元へと戻っていった。

「はぁ」

 寝ているフリをしながら溜め息をつく。溜め息ばかりだ。昨日から。

 そもそもなんなのだあの楠木とかいう女は。突然声をかけてきたと思ったら手当をするだのわけわからないことを言い始めて、挙げ句の果てに店の集客の糧にもされた。かと思えばこうして俺が登校するやいなや話しかけてくる。これから怪しい団体に勧誘されるのであればそういった過度のスキンシップにも納得いくのだが、今のところその様子はない。

 他に思い当たる節があるとすれば、それは、俺と、仲良くなりたい? 

 なんて思考が一瞬過ったがすぐに否定する。

 そういう妄想は俺みたいな現実から逃げているオタク特有の思い違いだ。人語が喋れるとはいえ楠木は俺とは違う生態のギャル。何を考えているのかさっぱり分からないし理解しようとしてもこちらの物差しではおそらく一生測ることはできないだろう。

 一瞬、顔をあげると神妙な顔で俺を見る健人の姿が目に入った。すぐに俺は顔を伏せる。

 寝よ。
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