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第二章 第二幕:執事・ゼルゼンから見た社交界

第1話 執事・ゼルゼンの不安と緊張

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 オルトガン伯爵家一行がちょうどパーティー会場の扉前で招待状の確認してもらい終わった頃。
 ゼルゼンは別の入り口の前に居た。


 使用人用の通用口。
 飾りっ気のない、人2人が並んで通れるくらいの扉である。

 セシリア達が入った扉は招待貴族専用の出入り口だ。
 その為使用人達はこちらから出入りするのだと、ゼルゼンもあらかじめ聞いていたのだが。

(「煌びやかさは不要だ」と言いたげな、飾り気の全く無い扉。向こうとは大違いだ)

 王城内なので流石に薄汚れていたりという事はない。
 しかしその差は歴然だ。


 ゼルゼンは、生まれてからずっと伯爵家の屋敷内に併設されている使用人棟に住んでいる。
 そして7歳の頃から執事という仕事に従事し、オルトガン伯爵家に少なからず触れてきた。

 彼らとの間には、確かに雇い主と雇われという明確な線引きがあった。
 しかし屋敷内で働く分には、今までそれ以上の区別をされた事はない。

 それこそ貴族と平民で潜れる扉が変わるなどという区別なんて。

(なるほど、これが貴族の世界か)

 地位を明確に分け、区別する社会。
 それが貴族社会なのだという事は、ゼルゼンも聞いて知っていた。

 しかし彼にとっては、これが初めての実感だった。



 扉を潜ると、まず視界に入ったのは料理や飲み物が置かれたエリアだった。


 貴族用の出入り口が会場の中央部であるのに比べ、使用人用のソレは会場の端にある。

 この場所に扉があれば、城の使用人たちは新しい食事の搬入などを貴族の歓談の邪魔にならずに行える。

 それに。

(これって確か「遠い所からパーティーに参加してくれる貴族に対する、主催者側の配慮でもある」んだっけ?)

 などと、以前マルクに教えられた『貴族界での常識』を頭の端から引っ張り出してくる。


 家から会場までの距離が遠い貴族達は、長時間馬車に乗ってやってくる。

 正装で体を締め付け、馬車に揺られて長時間。
 そうなれば、来賓はそれなりに疲れる。

 しかし彼らは何も遊びに来ているのではない。
 社交という名の仕事をしに来ているのだ。
 例え移動に疲れたからといって、来て早々に休憩するわけにもいかない。

 だからこそ、遠い中来てくれた貴族達の喉の渇きに使用人達がいち早く対応できるように。
 来てすぐにでも、軽食に手を伸ばしてもらいやすい様に。

 そういう主催者側の配慮の結果が、使用人用の通用口のこの位置取りなのだそうだ。

 疲れた主人に、使用人たちは『通り道』で飲食物を補給して主人の元へと向かう。
 そうすれば貴族たちは総じて、仕事をしながら、またはその合間によりスムーズに飲食を楽しめるという訳だ。

(その為には、使用人たちが主人の趣向や気分を正しく把握することが大前提なんだけど)

 まぁそれは使用人の腕の見せ所だろう。

 例えば甘い飲み物にするか、爽やかな炭酸系の飲み物にするか。
 そういった事一つで主人に的確な助けを出すのが、この場での大切な仕事の一つだ。
 

 しかしそうはいっても、ゼルゼンの仕事はまだ待機である。
 その理由は。

(今回の移動時間は、約15分。出発の直前までティータイムを楽しんでいたセシリアなら、まだ喉の乾いている時間じゃない)

 それに主人一行は入場後、みんな揃って家族ぐるみの付き合いがある家に挨拶回りをする予定だ。
 そしてそこには、筆頭執事のマルクが付くことになっている。

 つまり、ゼルゼンが主人に追従するまでにはまだ時間的余裕がある。

 今のゼルゼンに課せられた仕事は、主人達が何か突発的な事象に巻き込まれていないかと遠目に確認しつつ待機する。
 そして、状況によっては臨機応変に対応する。

 その二つである、筈だった。
 
 しかしこの時のゼルゼンは、些か状況に翻弄されていた。

 鼓膜を淡く叩く、人込み特有の騒めき。
 煌びやかな内装。
 眩しいくらいの光を放つシャンデリア。
 そして着飾った人、人、人。


 自分は平民で、とてもちっぽけだ。

 そんな事実をまざまざと見せつけられているかの様に思えて、揺れてもいない足元が急にぐらついている様な感覚に襲われる。


 セシリアの『一生に一度の日』の付き人が俺で、本当に良かったのか。

 そんな後悔にも似た不安がどっと押し寄せてきて、その奔流に呑まれそうになった、次の瞬間だった。

 不意に肩を叩かれる事で、意識は一気に湖面へと引っ張り上げられる。

「ゼルゼン、ボーッとしていてはいけません。貴方の仕事はもう始まっているのですよ」

 半ば無意識に声の主へと視線を向けると、そこには心配と呆れをない混ぜにした表情のポーラが立っていた。

「私達は今、オルトガン伯爵家の使用人代表です。貴方の一言動、一表情が伯爵家の使用人の質と見做されるのですよ?」

 その声に、ゼルゼンはハッとした。

 そうだった。
 貴族は使用人の質を家の質と同一視する傾向にある。

 つまり、だ。
 
 普通、王城パーティーに連れてくる使用人は選りすぐる。
 だというのに、何だあの使用人は。

 あんな不安顔の使用人を連れて来ざるを得ないとは、伯爵家の使用人の質も落ちたものだ。
 つまりその程度の使用人教育しかできない家なのだな、オルトガン伯爵家というのは。

 などと思われてしまうのだ。

 そんな風に主人が貶められる事は、使用人として最も避けねばならない事だった。

(そうだ、それもあらかじめマルクさんから聞いていた事だった。なのにこの場でそれに思い至らないなんて)

 おそらくは「それくらい緊張していた」という事なのだろう。
 緊張は時に、視野狭窄を引き起こす。
 そしてそれは身体的な意味ではなく精神的な意味でもだ。

 今回を皮切りに、ゼルゼンもセシリアと共に外に出る。
 
(今後は特に気に留めておかないとな)

 そんな風に反省すれば、苦笑いだって出るというものだ。

 
 するとその表情の中に反省を見てとったのか、ポーラがコホンっと一度咳払いをしてからこんなフォローを入れてくれる。

「心配しなくても、貴方はちゃんとセシリア様の使用人として問題なく振る舞えるレベルに居ます」

 でなければ、そもそもあのマルクさんが貴方をこの場に寄越す訳が無い。
 ポーラはそう言ってから、安心させる様な微笑みを向けてくれる。

「貴方の一執事としての能力は、確かにまだ一般的なレベルに毛の生えた程度。しかし『セシリア様付きの執事』としてなら一流と評価できます」

 それは、今回の追従を許されるにあたり、マルクからも言われた事だった。

 セシリアと過ごしてきた時間と経験、そして殊セシリアに関する状況の先読み能力。
 そこを買っての抜擢なのだ、と。

「『セシリア様の』という一点に於いて、貴方の右に出る事ができるのは、せいぜいマルクさんくらいのものですよ」

 だから大丈夫。
 そう柔らかく断言した先輩の励ましに、ゼルゼンの心はふわりと軽くなる。

 彼女の言葉は、彼女が昔からのセシリア付きメイドであるからこそ、一層重く心に響いた。



 セシリアの社交界デビューである今日。
 それは、セシリアにとって間違いなく大切な日だ。

 その事を、そしてそんな今日を迎えたセシリアの裏を、ゼルゼンはここ数年ずっと見続けてきた。


 定期的に書庫に籠っては、貴族についての情報収集を盛んに行っていた事も。

 礼儀作法について習得し、しかしそれに奢らず何度も練習し、復讐し、そうして自然な振る舞いへと昇華させていった事も。

 そして、そんな彼女に答える様に、使用人達もセシリアに最も似合う、そして今日という日にふさわしいドレスや髪飾りをと、影で何度も厳選していた事も。

 その全てを、ゼルゼンは見聞きして知っている。
 
(そんな日々の一つの集大成が、今日という日なんだ)

 そこまで考えると、気持ちが落ち着きべきところにストンとハマった様な気がした。


 腹の中に溜まっていた息を、深く吐く。
 そうして静かに全てを吐き切ってから、スッと顔を上げた。

 そこにあったのは、もう不安に揺らぐ少年の顔ではなかった。



 人生に一度しか訪れない、その日。
 『その場に立ち会える』という事実は、一執事としてとても光栄な事である。
 しかし、だからこそ。

(いつも通りの仕事をしよう)

 いつもの様に、セシリアが何を考え、何を欲して、どう行動するか。
 それを先回りするのが俺の仕事であり、今の俺にできる最大限なのだから。


 そんな風に不安と緊張を振り切った、ちょうどその時だった。


 会場の空気が大きく揺れた、ような錯覚を覚えた。

 そしてそんな感覚を覚えたのは、何もゼルゼンだけではなかった様だ。
 ポーラが一瞬だけ、驚いた様な顔になる。

 しかしすぐに納得した様な顔になって、とある方向へ目を向けた。

「あぁ、旦那様方が入場されたようですね」

 まるで独り言の様なその声に誘われるように、ゼルゼンはその視線の先を追う。

 そして、思わず目を見開いた。
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