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第一章:セシリア、10歳。ついに社交界デビューの日を迎える。
第5話 セシリアが得てきた物
しおりを挟むするとワルターの語りを引き継いで、今度はクレアリンゼが口を開く。
「貴方は今まで周りと自分の知能指数の差について、考えた事が無かった。それは、その機会を今まで私達が意図的に与えて来なかったからなの」
クレアリンゼは真剣な眼差しでそう言った。
周りと自分を比較してほしくなかったから、意図的に比較対象と成りうる人物達との接触を避けていた。
彼女の言葉は、そういう風に聞こえる。
その人物とは、おそらく他貴族達の事なのだろう。
だから本来メリットが多い『社交界デビュー前からの他貴族との交流』を敢えて断った。
「でも今日、貴方は生まれて初めて『そういう環境』に身を置くことになる。貴方はまだ少しピンと来ていないみたいだけれど、貴方ならすぐに両者の間の溝に気が付くでしょう」
その言葉に、セシリアは合点が行った顔をする。
これはおそらく忠告だ。
そういう事ならば今日呼ばれた事も意味が分かる。
しかし、分からない事がまだ一つある。
「お父様とお母様は、何故今まで私からその機会を遠ざけてきたのですか?」
この忠告も、子供の頃から他の中に慣らしていれば必要無かった。
何故社交パーティーという初めての場に出る時に合わせて、その自覚を促す様な事をするのか。
初めてが重なれば重なる程、イレギュラーは発生しやすくなる。
そのリスクを抑える方が賢明な気がするのだ。
続けてそう言えば、クレアリンゼは「そうですね、それについても説明が必要でしょう」と呟く。
「理由は、2つ」
クレアリンゼは、言いながら人差し指を立てる。
「まず、1つ目。『周りと違う』という事が必ずしも人を特別足らしめる訳では無い。それを貴方自身にきちんと理解してもらう為」
クレアリンゼはゆっくりと正確に伝わる様に言ってくれている様だ。
(きちんと、聴かなければ)
真剣な母の眼差しは、セシリアに「これは大事な事なのだ」と思わせるには十分だった。
真剣には真剣で答えなければ、相手に対して失礼だ。
きちんと聞いて、しっかりと自分の身にすべきだ。
その為には、一度の会話で話の内容を全て覚え、理解する。
セシリアにはそう出来るだけの頭脳がある。
「確かに他者より優れた頭脳を持っている。でもそれはあくまで貴方の『個性』の1つ。相手が自分よりも頭脳的に劣っているからといって、人間的に劣っているのと同義では無いのよ。でも貴族は良く、強すぎる『個性』を特別視する傾向が強いの」
特別視。
それは良い意味でも悪い意味でも人に影響し、伝染する。
それを恐れたのだと、クレアリンゼは言う。
「貴方にはそういう人に影響されて『自分は特別偉い』と、または『自分はおかしいのだ』と、勘違いしてほしくなかった。だからきちんとした自己認識を持ち、自分の意志で得た情報の取捨選択ができる年になるまで待っていた」
周りより頭が良い分、きっと大人達の心や言葉で色々と察してしまえる。
だからこそ、悪い影響を外部から与えられない為に隔離紛いの事が必要だった。
成長過程にある子供は、周りに影響されやすい。
それを恐れた。
だから「せめて成長するまでは」と、両親はセシリアを防音効果抜群の薄い膜で覆ったのだ。
「――4歳の時、ゼルゼンを『初めてのお友達』として貴方に引き合わせたでしょう?」
クレアリンゼはそう言うと今度はゼルゼンへと視線を向けた。
その瞳に見据えられて、ゼルゼンは否応なく体を硬くする。
「あれは一種の儀式のようなものだったのよ。セシリアが家族以外で初めて接する同年代の子供、つまりセシリアにとって初めての比較対象になり得る人間。だから私はなるべくセシリアを『貴族』や『主人』という色眼鏡で見ない、偏見なくセシリアを見てくれる子を選んだの」
クレアリンゼはそう言うと、セシリアへと視線を戻して言葉を続ける。
「そして私達の思惑通り、貴方はゼルゼンを起点として他人との距離を縮めていった。人には『個性』や向き不向きがあるという事を、あの時貴方はしっかりと学べたんじゃないかしら?」
その声に、セシリアはゆっくりと頷く。
思い出すのは、もう6年も前の事。
『お仕事』ツアーでセシリアは、ゼルゼンを含めた参加者達と接する機会を得た。
そしてそこで参加者達はみんな、それぞれの得意不得意を基に自分の適性に沿った仕事を選んだ。
当初から既に頭の回転が速かったセシリアにも、勿論欠点があった。
それは、残念なまでの非力と、壊滅的な運動神経の悪さである。
ツアー開催時、セシリアはしょっぱなから盛大に転んでゼルゼンに助けてもらった。
途中からはツアーの徒歩移動中、手を繋いで転ばない様に配慮してくれた子も居たし、『お仕事体験』中に布団運びに手を貸してくれた子も居た。
そうやって、みんなに沢山助けてもらった。
誰かに助けられて、自分も誰かを助ける。
そうやって色々と経験していく事で、「助けられることは決して恥じゃない。出来る事が偉い訳でもない。大切なのは適材適所であることで、それはただの個性の違いだ」と心から実感出来た。
しかし、もしもあの中に「必要以上に変な難癖を付けてくる者」や「手に負えない癇癪持ち」が居たとしたら。
(私はその事を、果たして実感出来ただろうか)
絶対に学べないという事は無いにしても、遠回りを強いられていただろう事は想像に難くない。
そう考えればセシリアがこの年で周りの人間の得意や苦手を「それも『個性』だ」と言える様な人格に成長できたのは、両親が過保護にセシリアの周りを固めていたからこそかもしれない。
一方、実はセシリアの人格形成に関わる大きな役割を担っていたという事実を6年越しで知ったゼルゼンは、驚きのあまり目を点にした。
そして「果たして自分は、その役割を果たせたのだろうか」と、なんだか急に不安な気持ちになる。
するとまるでそのタイミングを見計らっていたかのように、クレアリンゼが彼に微笑んだ。
「大丈夫よ、ゼルゼン。貴方がきちんとセシリアにとって良い影響を与えた事は、今のセシリアを見ていれば分かるわ」
「うん。それに関しては私も、親として確信を持って言える」
ワルターがクレアリンゼに続いてそう告げる。
すると不安に波立っていたゼルゼンの心が、やっと安心に凪いだ。
そんなゼルゼンの心中を察して、クレアリンゼがまた彼に微笑む。
心中の不安どころか安堵までをも見透かされてしまった事に、ゼルゼンは気が付いた。
(俺もまだまだ未熟だな)
仕事中は感情を隠し、仕事に徹する事。
マルクにはそう教えられている。
しかしポーカーフェイスが足りなかった。
だから見透かされたのだ。
そう思った所で、またクレアリンゼが笑う。
「大丈夫ですよ、ゼルゼン。私の『目』が良いだけですから」
彼女は声を潜めてそう言った。
反省まで見透かされてしまえば、もうゼルゼンにはどうする事も出来ない。
自身の心中を配慮してくれたクレアリンゼに、ゼルゼンは静かな一礼で彼女に無言の感謝を示した。
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