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5.立ち往生
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ハヤテは面会を拒否された時から十日後にサヨと逢うことが許された。サヨが出産して一週間後のことである。
医務室の隣に作られた病室で、サヨの元気な姿を見たハヤテは涙を流していた。
それは、我慢強い鬼のハヤテが物心ついてから初めて流した涙だった。
「サヨさんが生きていて、本当に良かった」
すすり上げるように泣いているハヤテ。
布団から身を起こしたサヨが白い手をそっと差し出すと、ようやく泣き止んだハヤテの大きな手が包み込む。
「ハヤテさん、心配かけてごめんなさいね。もう大丈夫ですから」
サヨの笑顔にハヤテは再び涙を流して喜んだ。
許された時間は一時間。ハヤテは失われていたサヨとの刻を埋めるように、ずっと話し続けていた。
ハヤテが病室を出て行くと、入れ替わりに小さな鬼の子が連れて来られた。
「ソウタ、ごめんなさいね。寂しかったでしょう。ソウタのお父さんと逢っていたの。とても優しい鬼なのよ」
サヨは我が子にソウタと名付けていた。元気よく乳を飲むソウタが愛おしい。
生後一週間のソウタの角はまだ殆どわからないが、少し赤い肌と黄色い髪の毛、金の目がハヤテと全く一緒だった。ハヤテにソウタを会わせると、すぐに我が子だと理解してもらえるとサヨは思う。しかし、未だにサヨは出産したことをハヤテに告げられずにいた。
廃村跡に作られた研究所には、三十名ほどの軍人が生活をしていた。
ハヤテが空で見た情報を解析して信号化、電信で帝都の本部へ送信する任務を与えられている諜報部所属兵が十名、軍医一名と衛生兵が五名、残りは料理や掃除、洗濯、物資補給などを担う雑兵である。
サヨがハヤテと逢っている時間、ソウタの世話をするのは諜報部と決まった。
ソウタがハヤテと同じような能力を持っている場合は、薬物を用いる実験を行い意識を壊してしまう方が損失であると所長は判断した。
ソウタが五歳になるまではサヨと協力して普通に育て、能力を見極めて役に立たなければ軍医に預けることになる。
鬼を操る方法を見つける方が重要だと考えていた軍医と衛生兵は、所長に不満を申し入れたが認められなかった。
出産後半年ほど経った頃には、サヨは夜だけハヤテの住む小屋に戻された。
一緒に朝食と夕食を食べて、布団を並べて寝る。それがどれほど嬉しいことか、ハヤテは思い知ることになる。
自分の行為がサヨを病気にしたと思っているハヤテは、サヨを抱こうとはせず、彼女の手を握るだけで満足していた。
サヨが大切で常に側にいたい。サヨの声をずっと聽いていたい。サヨに常に触れていたい。狂おしいまでにハヤテはサヨを欲している。
しかし、サヨはそうではないのではないかとハヤテは気づいてしまった。
ハヤテは犬ほどに鼻が利いた。サヨから他の男の匂いがするのだ。そして、一緒に食事をしていても、サヨは他のことに気をとられている。もちろん、サヨがまとっているのはソウタの匂いであり、サヨが気にしているのも幼いソウタのことである。しかし、ハヤテはソウタを知らない。
「サヨさんは他に好きな男ができたのか?」
布団の上に正座したソウタがサヨに訊いた。知らない振りをして生活をしていれば、このままサヨと一緒にいられると悩んだハヤテだったが、やはり確かめてみることにした。
「そんなはずはありません。私の夫はハヤテさんだけですから」
それはサヨの本心からの言葉である。ハヤテは大切な夫で、ソウタは大切なわが子。どちらかを選ぶことなどできるはずがないとサヨは思う。
「本当に俺だけか? サヨさんを他の男にとられてしまったら、俺はその男を殺してしまうかもしれない」
まるで狂気をはらんだようにハヤテの金色の目が怪しく光った。
「本当です。浮気など絶対にしていませんから」
ハヤテの手を握り彼の目を見つめるサヨは、やはりソウタのことをハヤテに告げるわけにはいかないと思っていた。
ハヤテの行動時間は管理されている。サヨもまたハヤテの妻の時間とソウタの母親の時間を管理されながら生活をしていた。
いつしか、数年の時が流れる。未だにハヤテはソウタのことを知らない。
人懐っこいソウタは、諜報兵によく懐いていた。もちろん一番好きなのは優しい母親のサヨである。
諜報兵たちも、赤ん坊の頃より面倒を見て、勉強を教えているソウタに情が移り、有用な能力を持っていることを願うようになっていた。
そして、ソウタの五歳の誕生日がやってくる。
所長と軍医立ち会いのもとでソウタの能力を調査することになった。
「空には何か見えるか?」
諜報兵がソウタに訊く。
「あそこに白い雲があるよ。他は青い」
「もっとよく見てみろ。目を凝らすんだ。動くものはないか?」
「雲が動いているよ」
必死な諜報兵に無邪気に答えるソウタ。
何度確認してもソウタが見ている空は人と同じだった。
言葉少なくなっていく諜報兵たち。サヨも心配で顔が曇っている。
「ソウタはハヤテの能力を受け継がなかったようだな。これからは軍医がソウタの面倒を見ろ」
ソウタには有用な能力ないと所長は判断し、鬼を兵士とするための実験材料にすることを決定した。
「最初からそうすればよかったのに。随分と時間を無駄にしてしまった」
文句を言いながらソウタを抱き上がる軍医を、サヨは不安そうに見ている。
「ソウタをどうするつもりなのですか?」
椅子に座っていたサヨが立ち上がる。
「心配するな。殺しはしない。貴重な実験体だからな」
嬉しそうに軍医が笑い、研究棟へ向かって歩き出した。
「止めてください。ソウタを返して!」
軍医の後を追うサヨ。それを衛生兵が押さえつけて止めた。
「母さんをはなせ!」
ソウタは軍医の腕の中で暴れて始める。五歳児といっても鬼であるソウタの力は強い。たまらず腕の拘束を解いた軍医は、地面に落ちたソウタの頬を殴った。
「おとなしくしないとサヨの顔も殴るぞ」
ソウタは自分の頬の痛みより、華奢なサヨが殴られる方が怖い。恐怖でソウタの動きが止まる。
「あれを持ってこい」
軍医が衛生兵に命じたのは外国船が持ち込んだ麻薬だった。サヨがいる方がソウタが言うことを聞くとわかり、この場で実験を始めようと決める。
「お願いソウタを放して。ソウタに何もしないで!」
サヨは腕を掴んでいる衛生兵の手を振り払おうとしたが、逆に口を塞がれてしまった。
軍医はソウタ誕生から五年も待たされかなり焦れていた。
「これを飲めば、サヨには手を出さない」
軍医がソウタに差し出したのは、普通の人の子どもなら急性中毒を起こし死亡するほどの量の麻薬。それをソウタに経口投与しようというのだ。
鬼ならば死ぬようなことはないだろうと軍医は考えていた。
ソウタは麻薬を受け取って飲み干す。
サヨは口を塞がれたままだ。
しばらくすると、ソウタの目がとろんとしてきた。
軍医は短剣をソウタに渡そうとする。
「あの女を殺せ。この短剣で腹を刺すんだ」
軍医が指差したのはサヨだった。
「サヨを殺すとハヤテが言うことを聞かなくなるぞ」
諜報兵が止めようとするが、
「どのみち、サヨはハヤテと会わすことができない。ソウタのことを伝えられ、ハヤテがソウタを取り戻そうしたら面倒だからな。サヨは病気で死んだことにして、ハヤテには新しい女を与えろ。そこは諜報部がうまくやれ」
そう軍医に言われて黙るしかなかった。
軍医とサヨを拘束している衛生兵以外は、巻き込まれることを恐れてソウタから距離を取る。五歳といえども鬼なので、麻薬で意識を手放したソウタが何をするか予測ができない。
「いやだ。母さんを、さす、できない」
途切れ途切れにそう言うソウタは、頭を振って短剣の受け取りを拒否した。
「あの量でも意識を保っているのか。さすが鬼だな。もう少し量を増やしてみるか」
軍医が麻薬を取り出そうとする。
「痛っ!」
サヨが口を塞いでいた衛生兵の指を噛んだ。彼の手が離れてサヨの拘束が解ける。
ソウタを助けたい。その一心でサヨは走った。
駆け寄るサヨを見たソウタもふらつく足で走り出す。
サヨとソウタの距離はそれほど開いていなかったので、すぐにサヨはソウタを抱き上げることができた。
「ハヤテさん、ソウタを助けて! お願い。ハヤテさん」
叫びながら兵のいない方向へ走り出すサヨ。
取り囲んでいた兵士たちは離れていたので、逃げたサヨへの対応が遅れた。
サヨの悲痛な叫びは屋内で勉強をしていたハヤテの耳に届く。鉄格子のはまった窓をぶち破り、三階から下に落下するハヤテ。
「やばい。サヨを殺せ。ハヤテに知られると面倒だ」
所長が叫ぶ。
衛生兵の一人が銃を取り出し、サヨに向けて撃った。
サヨの背中に赤い飛沫が散った。ゆっくりと倒れていく。
「母さん!」
サヨの腕から投げ出されたソウタは、サヨに縋り付く。
銃声を聞き走る速度を速めたハヤテは、倒れているサヨに気づく。
サヨは駆け寄るハヤテを見て最後の力を振り絞った。、
「ハヤテさん、ソウタをお願い」
抱き起こそうとしたハヤテにそう言い残して、サヨは息を引き取った。
「母さん! しっかりして」
サヨにしがみついている自分にそっくりな鬼の子を見て、ハヤテは全てを悟った。
五年前、サヨは病気ではなく出産していたことを。目の前の鬼の子はソウタという名の自分の息子であることも。そして、目の焦点が合っていないソウタは兵士たちに何かをされであろうことを。
「お前がサヨを殺したのか?」
信じられない速さで銃を構えた衛生兵に近づき、頭を殴りつけるハヤテ。頭蓋骨が変形して倒れる兵士からまだ熱い銃を奪い取り、両手で持って一気に曲げてしまう。
ハヤテはサヨを殺され理性を失っていた。
血を求めるようにハヤテは暴れる。あまりに早いハヤテの動きに銃を構える間もなく兵士たちは倒されていった。
軍医も所長も既に息をしていない。それでも、ハヤテは止まらない。
「ソウタを殺すぞ」
一人の兵士がソウタに銃を突き付けていた。
「ソウタ!」
ハヤテがソウタに駆け寄ろうとする。背中を見せたハヤテに別の兵士が銃を撃った。
ハヤテの背中に銃弾がめり込んだ。しかし、走る速度を緩めない。
ソウタが向けられた銃を無動作に手で払う。銃は簡単に兵士の手から離れて宙を舞って音を立てて地面に落ちた。
ハヤテがその兵士の胸を蹴り飛ばすと、口から大量の血を吐きながら倒れた。
ハヤテは片腕にソウタを抱き、片腕に既に息をしていないサヨを抱きしめて、壁に向かって走り出した。
ハヤテの背中は何発もの銃弾を受けているが、ものともせずに走り続ける。
「ソウタ。逃げろ。絶対に生き抜け。そして。幸せになれ」
高い壁際に来たハヤテは、ソウタの足首を持って高く放り投げた。
空高く舞い上がるソウタは、軽々と壁を超えていく。
それを見たハヤテは安心して、両手でサヨを抱きしめた。
「ここは一歩も通さない」
何発もの銃弾がハヤテの体を消えていく。
ハヤテは息を引き取ってもなお、サヨを抱きしめて立ち尽くしていた。
医務室の隣に作られた病室で、サヨの元気な姿を見たハヤテは涙を流していた。
それは、我慢強い鬼のハヤテが物心ついてから初めて流した涙だった。
「サヨさんが生きていて、本当に良かった」
すすり上げるように泣いているハヤテ。
布団から身を起こしたサヨが白い手をそっと差し出すと、ようやく泣き止んだハヤテの大きな手が包み込む。
「ハヤテさん、心配かけてごめんなさいね。もう大丈夫ですから」
サヨの笑顔にハヤテは再び涙を流して喜んだ。
許された時間は一時間。ハヤテは失われていたサヨとの刻を埋めるように、ずっと話し続けていた。
ハヤテが病室を出て行くと、入れ替わりに小さな鬼の子が連れて来られた。
「ソウタ、ごめんなさいね。寂しかったでしょう。ソウタのお父さんと逢っていたの。とても優しい鬼なのよ」
サヨは我が子にソウタと名付けていた。元気よく乳を飲むソウタが愛おしい。
生後一週間のソウタの角はまだ殆どわからないが、少し赤い肌と黄色い髪の毛、金の目がハヤテと全く一緒だった。ハヤテにソウタを会わせると、すぐに我が子だと理解してもらえるとサヨは思う。しかし、未だにサヨは出産したことをハヤテに告げられずにいた。
廃村跡に作られた研究所には、三十名ほどの軍人が生活をしていた。
ハヤテが空で見た情報を解析して信号化、電信で帝都の本部へ送信する任務を与えられている諜報部所属兵が十名、軍医一名と衛生兵が五名、残りは料理や掃除、洗濯、物資補給などを担う雑兵である。
サヨがハヤテと逢っている時間、ソウタの世話をするのは諜報部と決まった。
ソウタがハヤテと同じような能力を持っている場合は、薬物を用いる実験を行い意識を壊してしまう方が損失であると所長は判断した。
ソウタが五歳になるまではサヨと協力して普通に育て、能力を見極めて役に立たなければ軍医に預けることになる。
鬼を操る方法を見つける方が重要だと考えていた軍医と衛生兵は、所長に不満を申し入れたが認められなかった。
出産後半年ほど経った頃には、サヨは夜だけハヤテの住む小屋に戻された。
一緒に朝食と夕食を食べて、布団を並べて寝る。それがどれほど嬉しいことか、ハヤテは思い知ることになる。
自分の行為がサヨを病気にしたと思っているハヤテは、サヨを抱こうとはせず、彼女の手を握るだけで満足していた。
サヨが大切で常に側にいたい。サヨの声をずっと聽いていたい。サヨに常に触れていたい。狂おしいまでにハヤテはサヨを欲している。
しかし、サヨはそうではないのではないかとハヤテは気づいてしまった。
ハヤテは犬ほどに鼻が利いた。サヨから他の男の匂いがするのだ。そして、一緒に食事をしていても、サヨは他のことに気をとられている。もちろん、サヨがまとっているのはソウタの匂いであり、サヨが気にしているのも幼いソウタのことである。しかし、ハヤテはソウタを知らない。
「サヨさんは他に好きな男ができたのか?」
布団の上に正座したソウタがサヨに訊いた。知らない振りをして生活をしていれば、このままサヨと一緒にいられると悩んだハヤテだったが、やはり確かめてみることにした。
「そんなはずはありません。私の夫はハヤテさんだけですから」
それはサヨの本心からの言葉である。ハヤテは大切な夫で、ソウタは大切なわが子。どちらかを選ぶことなどできるはずがないとサヨは思う。
「本当に俺だけか? サヨさんを他の男にとられてしまったら、俺はその男を殺してしまうかもしれない」
まるで狂気をはらんだようにハヤテの金色の目が怪しく光った。
「本当です。浮気など絶対にしていませんから」
ハヤテの手を握り彼の目を見つめるサヨは、やはりソウタのことをハヤテに告げるわけにはいかないと思っていた。
ハヤテの行動時間は管理されている。サヨもまたハヤテの妻の時間とソウタの母親の時間を管理されながら生活をしていた。
いつしか、数年の時が流れる。未だにハヤテはソウタのことを知らない。
人懐っこいソウタは、諜報兵によく懐いていた。もちろん一番好きなのは優しい母親のサヨである。
諜報兵たちも、赤ん坊の頃より面倒を見て、勉強を教えているソウタに情が移り、有用な能力を持っていることを願うようになっていた。
そして、ソウタの五歳の誕生日がやってくる。
所長と軍医立ち会いのもとでソウタの能力を調査することになった。
「空には何か見えるか?」
諜報兵がソウタに訊く。
「あそこに白い雲があるよ。他は青い」
「もっとよく見てみろ。目を凝らすんだ。動くものはないか?」
「雲が動いているよ」
必死な諜報兵に無邪気に答えるソウタ。
何度確認してもソウタが見ている空は人と同じだった。
言葉少なくなっていく諜報兵たち。サヨも心配で顔が曇っている。
「ソウタはハヤテの能力を受け継がなかったようだな。これからは軍医がソウタの面倒を見ろ」
ソウタには有用な能力ないと所長は判断し、鬼を兵士とするための実験材料にすることを決定した。
「最初からそうすればよかったのに。随分と時間を無駄にしてしまった」
文句を言いながらソウタを抱き上がる軍医を、サヨは不安そうに見ている。
「ソウタをどうするつもりなのですか?」
椅子に座っていたサヨが立ち上がる。
「心配するな。殺しはしない。貴重な実験体だからな」
嬉しそうに軍医が笑い、研究棟へ向かって歩き出した。
「止めてください。ソウタを返して!」
軍医の後を追うサヨ。それを衛生兵が押さえつけて止めた。
「母さんをはなせ!」
ソウタは軍医の腕の中で暴れて始める。五歳児といっても鬼であるソウタの力は強い。たまらず腕の拘束を解いた軍医は、地面に落ちたソウタの頬を殴った。
「おとなしくしないとサヨの顔も殴るぞ」
ソウタは自分の頬の痛みより、華奢なサヨが殴られる方が怖い。恐怖でソウタの動きが止まる。
「あれを持ってこい」
軍医が衛生兵に命じたのは外国船が持ち込んだ麻薬だった。サヨがいる方がソウタが言うことを聞くとわかり、この場で実験を始めようと決める。
「お願いソウタを放して。ソウタに何もしないで!」
サヨは腕を掴んでいる衛生兵の手を振り払おうとしたが、逆に口を塞がれてしまった。
軍医はソウタ誕生から五年も待たされかなり焦れていた。
「これを飲めば、サヨには手を出さない」
軍医がソウタに差し出したのは、普通の人の子どもなら急性中毒を起こし死亡するほどの量の麻薬。それをソウタに経口投与しようというのだ。
鬼ならば死ぬようなことはないだろうと軍医は考えていた。
ソウタは麻薬を受け取って飲み干す。
サヨは口を塞がれたままだ。
しばらくすると、ソウタの目がとろんとしてきた。
軍医は短剣をソウタに渡そうとする。
「あの女を殺せ。この短剣で腹を刺すんだ」
軍医が指差したのはサヨだった。
「サヨを殺すとハヤテが言うことを聞かなくなるぞ」
諜報兵が止めようとするが、
「どのみち、サヨはハヤテと会わすことができない。ソウタのことを伝えられ、ハヤテがソウタを取り戻そうしたら面倒だからな。サヨは病気で死んだことにして、ハヤテには新しい女を与えろ。そこは諜報部がうまくやれ」
そう軍医に言われて黙るしかなかった。
軍医とサヨを拘束している衛生兵以外は、巻き込まれることを恐れてソウタから距離を取る。五歳といえども鬼なので、麻薬で意識を手放したソウタが何をするか予測ができない。
「いやだ。母さんを、さす、できない」
途切れ途切れにそう言うソウタは、頭を振って短剣の受け取りを拒否した。
「あの量でも意識を保っているのか。さすが鬼だな。もう少し量を増やしてみるか」
軍医が麻薬を取り出そうとする。
「痛っ!」
サヨが口を塞いでいた衛生兵の指を噛んだ。彼の手が離れてサヨの拘束が解ける。
ソウタを助けたい。その一心でサヨは走った。
駆け寄るサヨを見たソウタもふらつく足で走り出す。
サヨとソウタの距離はそれほど開いていなかったので、すぐにサヨはソウタを抱き上げることができた。
「ハヤテさん、ソウタを助けて! お願い。ハヤテさん」
叫びながら兵のいない方向へ走り出すサヨ。
取り囲んでいた兵士たちは離れていたので、逃げたサヨへの対応が遅れた。
サヨの悲痛な叫びは屋内で勉強をしていたハヤテの耳に届く。鉄格子のはまった窓をぶち破り、三階から下に落下するハヤテ。
「やばい。サヨを殺せ。ハヤテに知られると面倒だ」
所長が叫ぶ。
衛生兵の一人が銃を取り出し、サヨに向けて撃った。
サヨの背中に赤い飛沫が散った。ゆっくりと倒れていく。
「母さん!」
サヨの腕から投げ出されたソウタは、サヨに縋り付く。
銃声を聞き走る速度を速めたハヤテは、倒れているサヨに気づく。
サヨは駆け寄るハヤテを見て最後の力を振り絞った。、
「ハヤテさん、ソウタをお願い」
抱き起こそうとしたハヤテにそう言い残して、サヨは息を引き取った。
「母さん! しっかりして」
サヨにしがみついている自分にそっくりな鬼の子を見て、ハヤテは全てを悟った。
五年前、サヨは病気ではなく出産していたことを。目の前の鬼の子はソウタという名の自分の息子であることも。そして、目の焦点が合っていないソウタは兵士たちに何かをされであろうことを。
「お前がサヨを殺したのか?」
信じられない速さで銃を構えた衛生兵に近づき、頭を殴りつけるハヤテ。頭蓋骨が変形して倒れる兵士からまだ熱い銃を奪い取り、両手で持って一気に曲げてしまう。
ハヤテはサヨを殺され理性を失っていた。
血を求めるようにハヤテは暴れる。あまりに早いハヤテの動きに銃を構える間もなく兵士たちは倒されていった。
軍医も所長も既に息をしていない。それでも、ハヤテは止まらない。
「ソウタを殺すぞ」
一人の兵士がソウタに銃を突き付けていた。
「ソウタ!」
ハヤテがソウタに駆け寄ろうとする。背中を見せたハヤテに別の兵士が銃を撃った。
ハヤテの背中に銃弾がめり込んだ。しかし、走る速度を緩めない。
ソウタが向けられた銃を無動作に手で払う。銃は簡単に兵士の手から離れて宙を舞って音を立てて地面に落ちた。
ハヤテがその兵士の胸を蹴り飛ばすと、口から大量の血を吐きながら倒れた。
ハヤテは片腕にソウタを抱き、片腕に既に息をしていないサヨを抱きしめて、壁に向かって走り出した。
ハヤテの背中は何発もの銃弾を受けているが、ものともせずに走り続ける。
「ソウタ。逃げろ。絶対に生き抜け。そして。幸せになれ」
高い壁際に来たハヤテは、ソウタの足首を持って高く放り投げた。
空高く舞い上がるソウタは、軽々と壁を超えていく。
それを見たハヤテは安心して、両手でサヨを抱きしめた。
「ここは一歩も通さない」
何発もの銃弾がハヤテの体を消えていく。
ハヤテは息を引き取ってもなお、サヨを抱きしめて立ち尽くしていた。
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2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
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