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3.幸せの時

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 ハヤテとサヨは手を握ったまま朝を迎えた。
 高い位置にある窓から陽の光が入ってきて、布団から出ている二人の手を照らしている。
 眩しそうに目覚めたハヤテが横を向くと、同じく横を向いたサヨと目が合った。
「ハヤテさん、おはようございます」
 サヨが朝の挨拶をすると、ハヤテは人より長い犬歯を見せながら嬉しそうに笑う。

「おはよう。朝になるとサヨさんがいなくなっているのではないかと思って心配だったんだ。でも、サヨさんがいてくれて嬉しい」
 サヨが横に寝ていることにハヤテは安堵していた。それほど昨日のサヨとの時間は楽しかった。再び一人の時間を過ごすことに耐えられないと思うぐらいに。
「私はどこにも行きません。どうぞ、ここに置いてくださいまし」
 ハヤテに抱かれることなく朝を迎えたサヨは、ハヤテは自分に不満があり、このままでは置屋に帰されてしまうのではないかと心配していた。
 
 ここに来るにあたって、置屋にもサヨ自身にも軍よりかなり高額の金が渡されていた。サヨはその殆どを病気の父がいる実家に渡していたので、このままハヤテに嫌われて置屋に戻されてしまうと、背負う借金が増えてしまう。一生かかっても支払えなくなるかもしれない。
「本当か? 俺の妻になってずっとここにいてくれるのか?」
 恐る恐るハヤテが確かめる。サヨの小さな手を握る大きなハヤテの手に力が込められた。
「はい。私はハヤテさんの妻ですから」
「俺、サヨさんを大切にするから。誰よりも」
 夫婦の意味さえ教えられていないハヤテは、こうして二人で布団を並べて眠ることが夫婦になることだと思っていた。 

 
 それ以来、ハヤテは常にサヨを近くに置いた。
 ハヤテの仕事である空を見上げる時も、運動や学ぶ時も、サヨは椅子に座って彼を見守るように側にいる。
 研究施設の軍人にとって、それは狙い通りであった。
 鬼は伴侶となった女性をとても大切にする生物である。成体となって力が強くなったハヤテを物理的に拘束することは難しい。その気になれば鎖など一気に引きちぎってしまうだろう。
 だからこそ、枷としてサヨをハヤテに与えたのだ。ハヤテはサヨを置いて逃げたりしない。サヨを連れて逃げてもここ以上の暮らしはそうそうできない。さらに、サヨを軍から追われる身にすることをハヤテは厭うに違いない。
 サヨを傷つけたりしない限り、ハヤテは軍に逆らう事なくおとなしく従うだろうと軍人たちは考えていた。

 鎖よりも確実な枷を手に入れた軍は、長くハヤテを拘束していた足首の鎖を外すことに決める。
 鬼が本気で怒った時の被害は甚大なものになる、無理やり拘束して怒らせるより、ハヤテの意思でここに留まっていると感じさせる方が良いとの所長の判断だった。
 自由の意味がわからないハヤテよりも、サヨの方が鎖が外されたことを喜んでいた。


 ハヤテが不思議な能力を使って空を見上げるのは一日五時間と制限されている。
 ハヤテが子供の頃に長時間能力を使わされて、崩れ落ちるように倒れ二日間意識不明になってしまったことがあった。
 世界の軍艦の動きを知ることができるハヤテの能力は是非とも必要だと判断した軍部は、ハヤテを使い捨てるより、時間を限ってでも長く利用することに決めたのだ。
 運動は一時間、勉強は三時間を当てている。その他の時間はハヤテの自由になる。


 ハヤテはサヨの唄を聴き、サヨの踊りを観る。一緒に御飯を食べて、布団を並べて手を繋いで眠る。
 約束通り、ハヤテは妻としてサヨをとても大事にしていた。
 しかし、二人は本当の意味での夫婦ではない。
 それでもいいとサヨは思い始めていた。ハヤテが自分に愛情を持っていることは確かである。それが姉に向けるような家族愛だったとしても、幼い頃に置屋に売られたサヨにとって、それは得難いと思えた。
 大切にされることがこれほど嬉しいとサヨは知らなかった。

 ハヤテがサヨを大切に想うのと同じように、サヨもまた彼が大切な存在となっていた。

 こうして、穏やかな日々が過ぎていった。いつの間にか、サヨがここに来て一年の年月が経とうとしている。


 二町ほどの敷地を高い塀が取り囲んでいる。塀の中には研究所と宿泊施設、そして、ハヤテとサヨの住む鉄製の小屋があるだけだ。ハヤテとサヨはこの敷地外へ出ることは許されなかったが、必要なものは全て与えられていた。
 サヨが産まれた村もこのような山あいにあり、村の男と結婚したとするともっと不自由な生活を強いられるだろう。
 舅と姑に気を使い、夫に従わなかればならない。朝から晩まで段になった小さな田の世話をするのは本当に重労働だ。サヨの母はそのような生活をしていた。
 何の楽しみもなくただ働いて子を産み育てる。そして、不作が続くと娘を売らなくてはならない。
 サヨが出ていく日、母親が泣いて謝っていたのを覚えている。それでも母は舅にも夫にも逆らえなかった。

 母親のことを思うと、ここは天国だとサヨは思う。
 しかし、二十二歳になったサヨは、ハヤテがいつか自分を捨てるのではないかと恐れていた。
 ハヤテは十八歳になっていた。サヨと出会った頃の幼さが抜けて、すっかり青年の顔になっている。
 そんな逞しいハヤテに妻としても愛されたいと思うほどに、サヨは彼に情を抱いてた。
 ここを追い出されてしまうと生活に困るのは事実である。だが、それよりもハヤテが他の女を求めると想像する方がサヨには辛い。本当にそうなれば、長唄に歌われる哀れな女のように、サヨは嫉妬で身を焦がしてしまうだろう。

 
 並べて敷いた布団の上に、深刻な顔をしたサヨが正座している。
「私はハヤテさんより四歳も年上ですから、妻として魅力がないのでしょうか?」
 手を繋ぐ以上の接触をしてこないハヤテに、サヨは思い切って訊いてみた。女としての魅力がないと肯定されてしまうのはとても辛いと思い、今まで避けてきたがもう限界だった。
 
「はぁ? サヨさん以上の魅力的な奥さんは他にいないよ。優しくて、色が白くてとても別嬪だ。それにいい匂いがする。俺には過ぎた妻だと思うぞ」
 同じように布団の上に正座しているハヤテは戸惑っていた。
 一日中手を繋いでずっと側にいて欲しいと思うぐらいに、ハヤテはサヨを気に入っている。もし無理やりサヨと引き離されるようなことがあれば、ハヤテは壊れてしまうだろう。それは災害級の被害が出る事態になるということである。

「それならば、なぜ妻として扱ってもらえないのでしょうか?」
「俺はサヨさんを妻として扱っているつもりだけど、ち、違うのか?」
 ハヤテの金色の目が不安で揺れている。サヨは目を見開いた。
「まさか、何も知らないのですか?」
 サヨがハヤテの手を両手で握り、見上げるようにして目を合わせた。
 質問の意図さえわからず、ハヤテは戸惑うように頷いていた。



 その夜、二人は結ばれて本当の夫婦になった。
 今まで生きてきてこれほど幸せな時間はなかったと、ハヤテは思う。
 サヨが愛しくて、我が身より大切で、絶対に手放さないとの思いを込めてハヤテはサヨを抱きしめた。
 逞しいハヤテの腕に抱かれ、サヨも幸せに酔いしれていた。
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