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3.リーゼの決意

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「その囚人服は目立つので、これを着てほしい」
 リーゼが着ているのは粗い織の布で作られた飾りのない白のワンピース。それは平民の女性囚人に与えられるものと同じだった。
 罪人とはいえ貴族女性に着せることはないはずだが、第二王子の嫌がらせでこうなった。
 リーゼは侍女のいない生活ではかえって便利だと気にしていないが、ディルクはたいそう憤慨している。
 
 夜とはいえ空には満月が出ていてかなり明るい。誰かに囚人服を見咎められると牢から脱走してきたと疑われてしまうだろう。それを防ぐため、ディルクは鞄に入れて持ってきていた黒いフード付きのマントをリーゼに渡す。

 黒いマントを羽織ったリーゼは空を見上げた。満天に散りばめられた星々の中央に銀盆のような月が浮かんでいる。牢の頭より高いところにある小さな換気窓から見える四角い空ではない。この雄大な星空はリーゼに牢の外に出たことを実感させた。

「転ぶと危ないから、手を繋ごう」
 ディルクはそう言って手を差し出した。思った以上に大きな手をリーゼが掴む。おずおずと優しく握り返したディルクはゆっくりと歩き始めた。
 リーゼは初対面のはずのディルクを信用したわけではない。それでも、その手の優しさと暖かさは信じてもいいのではと思わせた。

 ディルクは握ったリーゼの手があまりにも小さく、緊張を余儀なくされていた。武の家に生まれて、父と母に鍛え上げられたディルクは怪力であることを自覚している。細いリーゼの指を折ってしまうことがないように、ことさら慎重にリーゼの手を握る。それでも、最愛の女性に触れることができるのはとても嬉しくて、ディルクは笑みを抑えることができなかった。

 牢から少し歩くと、馬が木に繋がれていた。
 ディルクは馬を繋いでいた綱を外すと、リーゼの腰を両手で支えて軽々と持ち上げた。馬に乗ったことがなかったリーゼはその高さに少し恐れたが、それでも鞍に横座りした。
 リーゼに後ろにディルクが乗り込むと、馬はゆっくりと走り出す。


「どこへ行くのですか?」
 水路にかかる橋を渡ったことで、リーゼは王都の繁華街の方へ向かっていることを知った。このまま王都から離れるのだろと思っていたリーゼは、不思議に思ってディルクに目的地を訊いてみる。第二王子かリリアンヌのところへ連れて行かれるのかと思ったが、今更不安はない。

「リーゼはとても疲れているだろうし、装備も揃っていないのでこのまま旅立つのも無理だから、今夜は宿に泊まります。詳しくはそこで話しますから」
 リーゼは少し眉をしかめたが何も言わなかった。
 男女が同じ宿に泊まるという意味を知らないほど子供でもない。しかし、誰にも必要とされずに牢で朽ちていくくらいなら、自分を望んで助け出しに来てくれた見知らぬ男に身を任せてもいいとリーゼは思う。
 理性ではそう考えていても、十七歳の少女としてはやはり恐怖を感じて萎縮しまう。

 リーゼが震えていると感じたディルクは、抱きしめて自身の体温で温めながら心配しなくてもいいと伝えたかった。しかし、手を握るだけであれほど緊張したのに、抱きしめたりすれば緊張で落馬しかねないと思い自重する。

 無言の二人を乗せて馬は駆ける。


 夜も更に深まる頃、馬は大きな宿の前に着いた。平民が泊まることができる最高級の宿で、裕福な商人やお忍びの貴族などが利用している。
 表玄関は鍵がかけられているが、裏の通用口は夜中でも出入りできるようになっていた。
 馬を馬止めに繋いだディルクは、リーゼのフードを目深に被り直させて、通口の扉を開ける。寝ずの番をしている護衛はディルクの顔を見ると何も言わず通した。男一人の泊り客が女を連れ込むことは珍しいことではないので、リーゼのことも不審に思うことはない。

 ディルクが泊まっている部屋は三階の特別室だった。寝室が二室に居間もある。水路の水力を利用して湯を汲み上げる簡易なシャワーも使えるようになっていた。
「今夜はもう遅いから、シャワーを浴びて寝ようか?」
 ディルクの問にリーゼは無言で頷いた。恥ずかしくて頬が染まりディルクの顔をまともに見ることができずに、リーゼはそのまま下を向いていた。

「シャワーは一人で使えるか?」
「はい。大丈夫です。牢で慣れていますので」
 リーゼが入っていた牢には簡易シャワーが備わっていた。手伝ってくれる侍女はおらず、男性の牢番に手伝いを頼むわけにもいかず、リーゼは一人でシャワーから着替えまで一人で行わなければならなかった。すべて初めてのことだったが、時間はいくらでもあったので、何とかできるようになっていた。
 リーゼの答えを聞いてディルクは安心する。手伝えと言われてもディルクは困ってしまう。

「あっちの寝室に着替えが置いてある。宿の女将に頼んでおいたので、それほど変なものはないと思うから、適当に使って。僕はこっちの寝室を使うから」
 そう言うと、ディルクは後で指さした方の寝室に消えていった。

 取り残されたリーゼは、ディルクとは違う方の寝室の扉を開けた。貴族の館とは比べものにはならないが、それなりに広くて清潔な部屋であった。
 リーゼには大きすぎるベッドの上に下着や寝衣、タオルが用意されていた。ベッド脇のチェストには上品なワンピースが何着か入っている。替えの下着も揃えられていた。

 さっそくリーゼは着替えを持ってシャワー室へ向かう。
 これから起こることを考えて、リーゼは丁寧に体を洗った。短く来られてしまった髪も洗い、用意されていた香油を全身に塗り込める。
 既に日付は変わっている。しかし、リーゼは眠気を感じない。
 乙女であるのは今夜で終わる。彼女はそう思っていた。


「ディルクさん、シャワーが終わりました」
 リーゼがディルクの寝室のドアを軽く叩くと、ドアが開いてディルクが顔を出した。

 シャワーを浴びて少し上気した肌に薄い寝衣をまとったリーゼは、香油のいい匂いをさせてディルクの目の前に立っていた。思わずドアを閉めてしまうディルク。
 あまりにもリーゼが色香を放っており、ディルクには刺激が強すぎた。
「つ、疲れただろうから、リーゼはもう休んで。明日の早朝には出発することになると思うから。僕もこれからシャワーへ行って、寝ることにする」
「わかりました」
 震えるようなディルクの声を不思議に思いながら、リーゼは自身の寝室へと向かう。


 ディルクがリーゼと出会ったのは一年前。その美しさと気高さに心奪われたが、その頃の彼女は第二王子の婚約者であったので、手の届かない女性だと諦めざるを得なかった。
 しかし、戦場暮らしの長かったディルクにとって初恋の女性であり、どうしても忘れることなどできずに一年間想い続けていたのだった。
 そんなリーゼが同じ空間にいると思うだけで、ディルクの息が荒くなってくる。そのたぎる想いを鎮めるために、ディルクはシャワー室へと足早に向かった。


 ベッドに入ったリーゼは、シャワーを終えたディルクがやって来ると思っていたがその気配もなく、いつしか深い眠りに落ちていた。
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