どうしても必要な人

鈴元 香奈

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3.母は確信する

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 市内を貫くように通っている国道をしばらく走り、英子はありふれたファミレスの駐車場に車を停めた。午後の二時前なので、駐車場には数台の車しかない。
「ここでいいかしら? 離乳食の持ち込みができて、授乳室もあるらしいの。お子様ランチも好評だって」
 乳幼児を持つ母親が利用しやすい店だとネットで紹介されていた。客も少なそうだし、映美を連れて食事をするには最適だと思い英子はこの店に決めた。
「はい」
 奈央は素直に頷いた。結婚する前、夫に連れられて来た記憶があるが、もう五年ほど前のことなのであまり覚えていない。何より、奢ってもらう身で英子に逆らえるはずもなかった。
 颯士は初めての体験なので、興味深そうにカラフルな店の外装を眺めている。

 運転席から降りた英子は、左側に回って颯士をチャイルドシートから降ろした。乗せた時は光の加減かと思っていたが英子だが、再度確認しても颯士の虹彩の色は右目が青く、左目が緑色だ。三歳児にカラコンを入れるはずもないので天然の色に違いない。
 英子は思わず奈央を振り返った。奈央も日本人とは微妙に違う印象を受けるが、白人のようでもなく目の色は茶色だ。
 颯士の目はとても綺麗だと思った英子だが、訳がありそうなので口に出さなかった。


 英子の予想通り店内はかなり空いていた。ベビーカーを押して入っても、ウウェイトレスは慣れた様子で椅子をどけて置く場所を作った。そして、颯士用に子ども椅子も用意する。
 颯士は嬉しそうに椅子に登って座った。

「颯士君はカレーとオムライス、どっちがいいかな?」
 お子様ランチが二種類から選べるようになっている。どちらにも小さなハンバーグと大き目のエビフライ、それにプリンがついていてかなり美味しそうだ。
「僕、オムライスが食べたい」
 おずおずと颯士が答える。その目は大きなメニューの写真に釘付けになっていた。

「奈央さんは何にする?」
「私は何でも。英子さんと一緒のものでいいです」
 奈央はかなり緊張していた。一緒に食事をしようと誘われてついてきてしまったが、本当に良かったのか悩んでいた。しかし、電車賃しか持たずに家を出たので、そのお金を使ってしまった今、奈央は無一文だった。ここまで来てしまった以上、英子に奢ってもらうしかない。

「そう、それじゃ若鶏の南蛮定食でいい? 私ね、タルタルソースが好きなのよ」
「あ、はい」
 今更ながら奈央も空腹を覚え始めていて、思わず頷いていた。

「この店はタブレットで注文するのよ。ほら、颯士君もやってみる? ここにキッズメニューがあるの。そこからオムライスを選んで。おもちゃは男の子用でいいわよね? キッズドリンクバーも押してね」
 楽しそうにタブレットを操作している颯士を見て、奈央は彼を道連れにしようとしたことを後悔していた。ファミレスさえ経験させてやることもなく、命を奪おうとしたのだ。
 しかし、もうあの家には帰るつもりはない。だからといって、奈央には他に行くところもない。

「話は事務所で聞くから、今は食事を楽しみましょうね」
 料理が運ばれてきても黙って俯いている奈央に、英子はそう声をかけた。ほんの一時間前まで死のうとしていたのだから食欲がないのもわかるが、今は楽しく食事をしたい。
「うん!」
 元気よく答えた颯士は、写真通りの美味しそうなお子様ランチを本当に食べていいなんて、夢のようだと思っていた。
 笑顔の颯士を見て、奈央もつられるように食事を始めた。思った以上に美味しくて、いつしか完食してしまっていた。



 食事を終え、映美のおむつ替えも済んで店を出る。
 自動車に乗ると、颯士は疲れていたのかうとうとし始めた。映美もすやすやと眠っている。
「本当にありがとうございます」
 助手席に座った奈央は、二人を起こさないように小さな声で礼を言った。 
 辛い思いばかりさせていた颯士の笑顔をたくさん見ることができた。それだけで奈央は幸せを感じていた。満腹になったことで、少し余裕が出てきたのかもしれない。
「気にしないで。私も楽しく食事ができたから」
 自分たちの力を打ち消しているモノを探りたいという下心がある英子は、二人分を合わせても千数百円の食事を奢っただけで、何度も礼を言う奈央に少し罪悪感を覚えていた。


 それほど新しくない五階建てビルの三階に『設楽法律事務所』は入っている。駅には近いが繁華街の反対側なので、近隣はそれほど賑わってはいない。そのため独立したばかりの英子でも支払えるくらいの賃料で借りることができている。
「ここが私の事務所なの。奥に簡易ベッドがあるので、颯士君はそこに寝かせてあげて。隣のベビーベッドに映美を寝かせるわ」

 パーテーションで区切った一画には、ベビーベッドの他に、産後二か月で働き始めた英子が仮眠をとれるようにと簡易ベッドも設置していた。映美を保育園へ入れてからはほとんど使っていなかったが、久しぶりに役に立った。
 奈央は英子の言葉に素直に従う。本当に弁護士だったのかと驚いていて、逆らうことなどできなかった。

「なぜ、死のうと思ったの?」
 ソファに向かい合わせに座った奈央にかける英子の声が少し鋭くなる。
 英子は心の声が聞こえるからこそ、とても孤独であった。大人たちは皆本音を隠して生きている。その秘匿された本音を知るのはとても辛いことだった。誰も信じられないと何度も絶望したのに、それでも英子は今まで生きてきたのだ。
 安易に子どもを道連れに死のうとした奈央のことが許せないと感じている。


「颯士の目が青と緑なので、夫や義父母に浮気を疑われているの。それで離婚するって言われて。でも、私にはどこにも行くところがないし、家政婦代わりに家に置いてもらっていました。だけど、夫に新しい恋人ができて、その人と結婚したいから出て行けって」
 かなり躊躇った後で、奈央が小さな声で語りだした。
「一応確認させて。颯士君の父親は奈央さんの夫で間違いないのよね」
「はい。浮気なんて絶対にしていません」
「DNA鑑定はしたの?」
「いいえ」
「奈央さんの親族に目が青いような人はいないの?」
 そう英子が問うと、奈央は小さく首を横に振った。
「私は役所の前に捨てられていたので、親のことはわからないの」
「だから帰る実家がないのね。颯士君は自動車に乗ったことがなく、外食の経験もない。あまり外に出してもらっていなかったの?」
 ファミレスのお子様ランチであれほど嬉しそうにするなんて、颯士は普通の三歳児の生活を送っていなかったのではないかと英子は感じていた。

「颯士のことをご近所に知られるのは恥ずかしいって義母が。だから、外へ連れて行くなって言われていた。夫の両親は元々広い土地を持っていたので、庭で運動させることはできたので、運動不足だけは防げたけれど」
「もしかして、谷山さん?」
 思わず英子は訊いた。それは、不思議な力の中央あたりに建つ立派な家屋の住人の姓だった。この地に越してきたことと弁護士事務所を始めた挨拶を名目にして谷山家を訪れた時、六十歳手前くらいの女性が応対に出てきて、息子が離婚を考えているのでお願いすることもあるかもしれないと言われたのだった。

「はい。夫の姓は谷山です」
 やはり奈央か颯士自身、それか彼女たちの持ち物に不思議な力が宿っているのに間違いない。英子はそう確信した。
「奈央さんの夫には恋人がいるのよね。それは不貞よ。慰謝料を請求できるわ」
「いいえ。浮気を疑っているのに、三年も家に置いてもらえただけで感謝しています。慰謝料なんてもらえません」
 その答えは弁護士としてはとても納得できなかった。勝手に浮気を疑って、恋人と結婚するので出て行けというのだ。しかも、家政婦代わりに働かせていたというのに、奈央には十分なお金を与えていないと英子は思っている。暖かい地方とはいえ、十一月なのに奈央も颯士も上着を着ていない。着ている服も古着のようだ。
 どう考えても慰謝料を貰わなければならない案件だ。

 しかし、奈央親子を囲い込むのにはこれは好機だと英子は思う。無一文で追い出された奈央を家政婦として誘えば、頷くしかないだろう。 
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